今日も寄っていただいて嬉しいです。
ありがとうございます照れ

震災に遭われた皆様
今もご苦労多いかと思いますが
心より御多幸多きこと
お祈り申し上げます。

久しぶりの投稿になりますが、
このシリーズが20までも続くとは..
びっくりなのと同時に
吐き出して気がつき、記憶の整理ができ
わたし自身の垢がかなり落ちました。


そして今日の光〜
綺麗ですねおねがい




さて記念すべき(?)シリーズ20...


Lさんの話をしましょう。

長くなります(苦笑)


Lさんとの経験はわたしの成長を

すごくすごく長く促進し続けた

そんな経験でした。

彼女がお産したお子さんが成人した数年前

やっと、呪縛とも言える自分からの自分を

解放できました。


この光に寄り添ってもらいながら思い切って

吐き出します。なんか丸い光が

オーブのようにそばにいてくれてますラブ



Lさんは地方の大学病院から

マターナル(母体搬送)されてきました。

最後の砦でありNICUには

世界で有名な先生もいた。

そして小児心臓外科もある。

彼女のお腹にいる胎児は

左心低形成という心臓の奇形がありました。


その他諸々、その左心低形成に影響を受けて

心機能に諸問題があり

陣痛に耐えられるかも

五分五分

生を受けて生まれてこられるかの可能性も

五分五分

生を受けて生まれてきたとしても

その後順調に生きられる可能性も

五分五分


Lさんと向き合って何度も何度も話しました。


普通、赤ちゃんの心音が苦しいサインを出すと

緊急に帝王切開をし

赤ちゃんを救う事を優先しますが


Lさんの赤ちゃんは緊急だと判断して

緊急帝王切開した時に


小児心臓外科医やNICUの体制が整っているか


が重要になりますから

出来るだけ緊急事態は避けたい

出来れば予定帝王切開がベター

と言う小児科からの結論が出ました。


それで産科はどうするか

になるのですが、

わたしはその時とてもとても違和感があって


その論争の中にLさんが居なかった。

彼女の要望や希望が何も反映されてなかった。

んです。


Lさんと何度も話をして

Lさんの気持ちも揺らぐので

結論は出せません、当たり前です。

簡単に結論が出せるはずもない。

我が子の命を救う話なんだけど

お母さんであるLさんがそこにいないんです。


それを主治医含め医師側は

「心音が危険な場合は緊急帝王切開が当然」

と言うだけ。

まぁそれはそうなんだけども

今ならそう言う意味も理由も全部わかる

けれど、当時のわたしは若かったので

そんな言葉を聞かされて

もう黙ってられず

「胎動を感じて赤ちゃんの無事を願っているのは

あなたじゃない、Lさんなんです!!!」

(気持ちはもう号泣して訴えてる感じ)


と、休憩室へ向かおうとしている

主治医の背中に廊下いっぱい響く声で

怒鳴ってました...(若い...あ、でも今でも

そのお母さんの気持ちも大事にしろや、

おい!ってお母さんを護るべく熱い心は

持ってますよんウインク)


それから、まぁまぁ医師側から助産師側へ

あいつ(あいつはわたしねキョロキョロ)は〜みたいな話が

出たっぽいですが、

当日の師長が庇って下さったらしく

(まぁこれも後にやっかみという形で

わたしの前に現れましたが)


主治医他、医師がちゃんと(そう、ちゃんと!)

Lさんとご主人と

対話を進めることになりました。


ご主人はもちろん赤ちゃんも助けたい

けれど何よりLさんを優先して欲しいと。

Lさんは健康なので

Lさんの命か赤ちゃんの命かという選択ではなく


Lさんの気持ちを優先して下さい


と言う意志でした。

(素敵なご主人なんです〜)


Lさんと色々話していて

彼女の気持ちを何度も何度も

時間をかけて傾聴しました。

時にはムッともされましたし

泣くLさんと一緒に心で泣いたり。


帝王切開をしてのちにもし赤ちゃんが他界したら

傷を見て自分は自分を責め続ける気がする。と。

赤ちゃんが赤ちゃん自身で決めた命の選択を

帝王切開という形で救う事ができても

その後にもし他界したら

わたしはきっと後悔する、

もっとお腹の中で対話・胎話してたかったと

思うと思う。

陣痛中にもし他界したとしても

わたしは赤ちゃんの意思で陣痛を起こしたんだから

産んであげたいというそういう事を

赤ちゃんのためでもあるけど

自分のためにもそうしたいと思う。と。


母は強し


そこからまた主治医とわたしの名がつけづらい

バトルを繰り返しながら

結果、主治医はNICUと小児心臓外科と

色々話し合ってくださり


自然陣痛を待つことになりました。


日勤を終えて帰ろうと挨拶に行ったら

「おしるしがあったー」と教えてくれて

わたしはお産の時には一緒にと思って

病院側にも協力をお願いしていましたし

いよいよだけど、予定もあるし、

一回帰って数時間後の連絡を待とうと

思って一旦帰宅しました。


ヘルツ(心臓)もちのお産は速い

のはもう知ってましたので


携帯を常にチェックしながら

プライベートの用事を色々こなし

夕飯を友達と食べるその時


運悪く携帯の電波が入らなかった場所だった...


そしてわたしは15分おきに

電波が入るところへ行っては

留守電のチェックをするけど

留守電に何も入っていなくて

数時間後

病院からの電話で

生まれたと知らせが入り


即駆けつけ

それまで何度も何度も合間を見ては

電話をくださっていた先輩方に

頭を下げて


お産に立ち会った医師からは

怒鳴られました。


もう本当に

不甲斐なし。を知り

穴があったら入りたい。を知った。


それでも赤ちゃんは無事に生まれて

NICUでお父さんも赤ちゃんのそばで

見守っておられて、Lさんには

「帰ったばっかりだったのに

来てくれたの〜ありがとう〜」

とまで言われ


その日は帰りましたが

もうどうやったらこの申し訳なさを

伝えられるかが全くわからないくらい

落ち込みました。


私が落ち込んでいることは

どうでもよくて

この先Lさんの赤ちゃんが無事に育つことに

全力を尽くそうと決意したんだけれど


自分も自責の念や自戒もふくめ

毎瞬毎瞬何やってんだ、情けないと思って

反省し続けてた上に

周りの評価や噂にどんどん追い詰められ

おかしくなっていくという経験も

もれなく付いてきました。


Lさんはストレスが重なり

そりゃそうです、生まれた我が子がNICU管理の元

オペ等の話がどんどん進むわけで

産後の体なのに聞いて理解して同意して

の慌ただしさで、おっぱいが止まりました。


わたしは若かった幼かったので

自分が取った行動に申し訳なさすぎて

Lさんに会う資格がないと責め続け

熱発してしまい2日後出勤した時は

おっぱいが止まっていました...


そこからわたしはもう立ち直れず

助産師スタッフの目線や噂話が

全部自分を非難しているように思えて

自分が壊れていく音を

聞きました。


Lさんは無事に退院されそこから

手紙のやりとりになりました。


ここ数年はわたしが海外に行ったりだったので

連絡してませんが、わたしが引っ越そうが

どこにいようが、年賀状のやりとりはあります。

来年はまた年賀状かカードを送ろうと思います。


あの時生まれた赤ちゃんは

沢山のハードルを一つ一つ越えて

成人を迎え、笑顔の可愛い方にご成長されてます。


あの時の自分がどうダメで

どうマズくてクズで

どう情けなくて

っていうもうダメダメを知って


不眠になって週に1kgずつ体重が落ちて

食べても食べても太れなくて

眠れなくなって


自分を責めた。


でもあの時の赤ちゃんは

無事に生きている。

生まれてきても生きられるか五分五分

と言われていたのに

オペに耐えてオペを超えて生きている。


そう、生きている。


この素晴らしい奇跡に

わたしは救われて、


今のわたしが在ります。

もう二度とこんな思いはしない

そしてもう二度とこんな思いをさせない

無責任なことはしないと

堅く誓った経験です。


当時色々とご迷惑をおかけした皆様

この場を借りて

深くお詫び申し上げます。


そして、また

あの時の赤ちゃんに今があること

わたしにも今があること

深謝申し上げます。



ずっと言えなかったなぁ

やっと言えたなぁ。


あーーーーーーぁ


うん


生かして頂いて

ありがとうございます。



ポンコツだったわたし


告白の巻でした。


読んでくださった方々

ありがとうございますニコニコ