ヒッチコックの『フレンジー』 殺人現場は路地の奥 | シネマの万華鏡

シネマの万華鏡

映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

 

アメブロ映画レビュージャンル界隈でも絶大な人気を誇っているのがヒッチコック映画。

中でも一番レビューを見かける頻度が高いのは『めまい』『サイコ』でしょうか? 『レベッカ』も根強い人気。『鳥』もファンが多そうですね。

どれも捨てがたい名作ですが、この中では私は『鳥』が好きなんです。突然鳥が人を襲い始めた原因が説明されないままパニックが進行していくのがイイ。得体の知れない恐怖って、毛穴に来るっていうのかしら?ぞわぞわっと皮膚の下まで沁み込んでくるあの感じ、怖いのに時々無性に欲してしまうんですよね。

『鳥』に関しては、ヒロインのティッピ・ヘドレンに執拗に襲いかかる鳥たちが、ヒッチコックの彼女への妄執とも重なって・・・あの映画の醸し出している何とも言えない恐怖の根源って、案外このあたりにも深~く根差してるのかもしれませんね。

 

そんなヒッチコック作品の中で、今日の映画『フレンジー』(1972年)はあまり語られることのない作品じゃないでしょうか。いわゆる「ヒッチコック・ブロンド」と呼ばれるレジェンドな美人女優も登場しないし、かの有名なフランソワ・トリュフォーの『映画術』にも載ってないし(1978年版には補遺的に追加されていますが)、映画賞の受賞歴もないし。そういう意味では地味な作品なんです。

ただ、名作かどうかは別として、私はこの作品好きなんですよね。大好きなロンドンが舞台ということもあるけれど、何よりも人間の生と死が反転する瞬間を捉えようとしているっていうのかな、そういうところ。ヒッチコック晩年の作品ですが、やっぱりさすがはヒッチー、衰えちゃいない、と思わせる部分があって、嬉しくなります。

 

あらすじ(ネタバレ)

舞台はロンドン。目下、人々を震撼させる連続女性絞殺事件が続いています。女性を暴行した上でネクタイで首を絞めるという残忍な手口で、警察は犯人像を性的に不能な変質者とプロファイリングしている模様。

そんな中、新たな犠牲者がまた1人。被害女性はコベントガーデン近くの裏通りで結婚紹介所を営むブレンダ・ブレイニー(バーバラ・リー・ハント)で、犯行時間の直前にブレンダの元夫リチャード・ブレイニー(ジョン・フィンチ)が彼女を訪ねていたことから、俄然容疑者はブレイニーに絞られます。

自分に容疑がかかっていることを知ったブレイニーは、勤めていた酒場の同僚で恋人のバブスと雲隠れ。ところが、荷物を取りに酒場に戻ったバブスもまたネクタイ殺人犯の手にかかり、変わり果てた姿で発見されることに・・・

 

序盤で犯行を観客に目撃させる構成。罪を着せられたブレイニーの逃避行と並行して、犯人側の心理や隠蔽工作もつぶさに見せることで、一連の異常な犯行を臨場感たっぷりに見せていきます。

 

『サイコ』のリベンジ?

性的に不能、かつ母親と共依存の男が、性的興奮を得るために女性を絞殺するというこの作品の連続殺人魔の犯行は、ヒッチコック作品史上最凶のサイコキラー、ノーマン・ベイツ(『サイコ』)を彷彿とさせます。

もっとも、こちらの犯人はノーマン・ベイツよりも分かりやすい人物。ベイツの場合、彼が女性に性的興味を抱くと、彼の中の母親の人格が現れ、息子を奪われる嫉妬に駆られて女性を殺害してしまうという、屈折した多重人格障害が絡んでいましたが、こちらはもっとストレートな性的興奮が動機になっています。

犯人はサディスティックな行為によってだけ異常性欲が発動して性的快感が得られるという性的不能者、女性絞殺は唯一快感を得る方法でもあり、平素彼に屈辱しか与えない女たちへの復讐でもあります。

ただ、母親との濃密な関係が背景にある点はベイツとの共通項。母親と息子の関係性が息子の異性関係の築き方に大きく影響するとはよく言われることですが、人間観察の達人で精神医学にも興味を持っていたヒッチコックにとっても、興味深い切り口だったんでしょう。

 

本作と『サイコ』の大きな共通点として、もう1つ、被害女性の遺体の目へのこだわりがあります。

実は『サイコ』が公開された後、映画を観た医師から「被害者の死体の瞳孔が開いていない」というツッコミが入ったらしく、本作ではブレンダ役の女優に予め瞳孔散大剤入りの目薬を射させて撮影に臨んだとか。恐怖で目を見開いたまま息絶えた被害女性の目を執拗に捉え続ける映像は、犯行の異常さ・残忍さを印象付けるものですが、同時に『サイコ』での失敗のリベンジという意味合いもあったのかもしれません。

 

それにしても、ブレンダ絞殺シーンは気合いが入っています。首を絞めつけるネクタイの繊維が強く引っ張られて伸びきっているのが分かるほど。ブレンダの首も真っ赤。どうやって撮影したんでしょう?

さらに、絞殺死体らしく舌をだらりと突き出させたあたり、何かヒッチコックの危ないフェティシズムを感じたりも・・・ただ、何よりも彼が描きたかったのは「さっきまで生きていた人間が命なきモノに変わる瞬間」なのではないかと。人の命が奪われる理不尽さと虚しさがこれほど際立つ瞬間はありませんから。

 

全裸で首にネクタイが巻き付いた状態で女性たちの遺体が発見されるのも、普通に考えたら重要な物証であるネクタイを遺体に巻き付けたまま遺棄するわけがないのですが、ヒッチコックは矛盾を押しても敢えてネクタイが絡みついた遺体を見せたかったんじゃないでしょうか。

ネクタイは男性器のメタファー。男の歪んだ欲望によって女性が命を奪われる理不尽さをシンボリックな絵として撮りたかった・・・そんなふうに思えます。

 

妻に、母に、頭が上らない男たち

 

ネクタイ殺人で男による女の理不尽な蹂躙を描きながら、一方で、ブレイニーの元妻との関係、事件を追う警部の夫婦関係では、女に頭の上がらない男たちを描いているのは、本作の面白いところです。

ブレイニーは金に困ると元妻に会いに行くし、妻のほうも元亭主に突然オフィスに押しかけられたことをそう嫌がっている風でもありません。一見何故離婚したのかよく分からなくなるほどですが、そのあたりは2人の様子を見ているうちにだんだんと分かってきます。

不和になった直接の原因はブレイニーの酒癖の悪さでしょう。ただ、もっと根本的なところで、この妻はブレイニーには出来過ぎで、頭が上らないところがあったんじゃないでしょうか。妻の経営するレストランでご馳走になり、帰りには知らないうちにポケットに金がねじ込まれている・・・なんて、男としちゃ有難い半面やりきれないものもありそうです。

 

一流料理学校卒の警部の妻も同じ。日々全力で凝りに凝った料理を作ってくれるなんて幸せこの上ないように思えますが、朝食にはソーセージとサニーサイドエッグが食べたい庶民的な舌の持ち主の警部には、過ぎたるは及ばざるが如し。完璧な家事能力の妻がいれば男は満足、というわけにはいかないようですね。

 

食事や食材を巧みに暗喩に用いながら、噛み合わない男女・夫婦の関係を本作に描き込んだヒッチコック。女性をないがしろにする殺人事件の一方で夫を凌ぐ賢妻を描いたヒッチコックの意図は何だったんでしょうか? 

女をモノのように扱うひどい事件を描いてはいても、けして女をないがしろにした作品ではないというエクスキューズ? それとも全く逆で、女が強い時代にうんざりした男たちの歪んだ願望としてこの事件を描いた?

なんとな~く後者の気配を感じてしまうのは、私のヒッチコックへの偏見が原因でしょうか?

どうもヒッチコック作品にはミソジニーの匂いを感じてしまうところが・・・そのあたりが私にとってヒッチコック作品のアクに感じられるところではありますね。

 

賑やかな路地に面した殺人現場

 

ただ、そんな中でも、なんだかんだ言ってやっぱりヒッチコックは凄い!と思わせる場面が本作にはあります。

それは、ブレイニーの恋人バブス・ミリガンを犯人が巧みに自宅に誘い込むシーン。今日はここが書きたくてこの作品をピックアップしたようなものです

 

その日、無実の罪で警察に追われているブレイニーとバブスは、フランスに逃げ込む計画を立て、翌日落ち合う約束をして別れました。フランスでいい仕事口さえ決まっていたんです。

濡れ衣から逃れられるだけじゃなく、もしかしたら今までよりいい生活さえ遅れるかもしれない・・・そんな明るい未来を目前にして、職場に荷物を取りに戻ったバブス。荷物を持って店を出た彼女は、ふと何か気配を感じて振り返ります。

そこにいたのは、彼女の顔見知りの男。観客は彼がネクタイ殺人の犯人だと知っているけれど、彼女はそれを知りません。その瞬間、観客は彼女の運命を知ります。バブスが無意識に感じ取った気配は、死の気配。その気配を、ヒッチコックは、映像世界に一瞬の無音状態を作ることで表現しています。

その後、観客は何も知らないバブスが巧みな言葉で犯人の家--そこは賑やかな通りに面した小綺麗なアパートメントの2階ーーに誘い込まれるのをなすすべもなく見守るしかありません。犯人と楽しそうに話ながら階段を上っていくバブス・・・そして、パタン、と犯人が部屋のドアを閉めた瞬間、映像がふたたび無音になるんです。

カメラはその無音の中、今しがた2人が上った階段、今は誰もいないその階段を下っていき、やがて建物の外へ。往来の人通りと喧騒の中に戻ります。

往来からほんの数十歩入っただけのところで殺人事件が起きているのに、誰も気づかず日常が続いていく無常、人の運命のはかなさが、無音の映像から押し寄せてくるようなカット。

精神的な病理を抱えた犯人による殺人を扱った作品としては『サイコ』の衝撃にはかなわないけれど、この場面だけは何か圧倒的なもの、ここが本作の全てと言っても過言ではない映像力を感じます。

 

ちなみに本作にもヒッチコックは例によってカメオ出演しているんですが、予告編はなんとヒッチコックがテムズ川にプカプカ流れながら本作を語るというもの。(川を流れている映像は人形らしいのですが)

もう完全に遊んでますよね(笑)