『JUNK HEAD』 ストップモーション・アニメーション界に孤高の新星あらわる! | シネマの万華鏡

シネマの万華鏡

映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

 

今年の春は何故かやたらと忙しく、しばらくブログがお留守になってしまいました。

忙しい時は癒し系の映画が活力源。コリン・ファース目当てで『聖トリニアンズ女学院』とか、ジェームズ・スペイダー見たさに『僕の美しい人だから』とか。あ、癒し系というより愛でる系でしたかね。

『僕の美しい人だから』はジェームズ・スペイダーがひたすら美しいという(そしてスーザン・サランドンがひたすらすれっからしてるのに彼を射止めるという)ロマコメですが、『聖トリニアンズ女学院』はひとひねりある学園もの。まさかアナカンの続編だったとは!(本当は違いますw)

おかげで急にアナカンが観たくなって、アナカンのDVDを買ってしまいました。

 

聖トリニアンズ女学院 (史上最強!?不良女子校生の華麗なる強奪作戦) [DVD]

 

アナザー・カントリー [DVD]

 

ただ先週まででやっといくつかの山が片付いたので、営業再開したアップリンク吉祥寺に行ってきました。

ずっと観たかった『JUNK HEAD』! 日本発のストップモーションアニメーションはたくさんありますが、他のどれにも似ていない、傑出したオリジナリティ。インディーズにしか辿り着けない高みを見た気分。驚きと興奮がありました。

 

そうそう、今回の緊急事態宣言中にアップリンク渋谷のほうは閉館しちゃったんですね。。。吉祥寺は残って、良かったです。久しぶりの映画館だったのでフンパツしてアップリンク名物(?)の辛口ジンジャエールをいただきましたよ。謎の黒いスパイスが浮かんでいて刺激的!大人のおいしさでした。

 

あらすじ(ネタバレ)

環境破壊によって汚染された地上に人類は住めなくなり、地下開発を進めるための労働力として、人工生命体マリガンが生み出される。だが、人類に反旗を翻したマリガンによって地下は乗っ取られる。以来、1600年の月日が流れ、遺伝子操作により永遠の命を得た代償として生殖能力を失った人類は、新種のウイルスによって人口の30パーセントを失ってしまう。

絶滅の危機に瀕した人類。ところが、地下世界の人工生命体マリガンが何故か生殖しているらしいことが判明。生殖機能を取り戻すため、人類はマリガン生態調査に乗り出し、調査に志願した男・パートンを地下世界へと送り込む。

(シネマトゥデイより引用したものに加筆)

 

今最もストップモーション・アニメーションらしいストップモーション・アニメーション

商業映画としてのストップモーション・アニメーションではLAIKA作品が今世界最高峰というのがおそらく共通認識でしょうか。私もLAIKAの作品は毎度楽しみにしています。

去年久しぶりに日本で公開されたLAIKA作品『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』も勿論観ましたしね。

 

 

3DプリンタやCGも取り入れ、どんどん進化しているLAIKAのストップモーション・アニメ。気が遠くなるほどの細かい細かいこだわりが詰まっていて、目を瞠るクオリティーです。でも、手作りならではのいびつさというストップモーションアニメーションの魅力は、技術が進化するほどに薄れてしまう。このジレンマ、デジタル時代のストップモーション・アニメーションの宿命なんでしょうかね。

そのせいか、個人的なベスト・ストップモーション・アニメーションはやっぱり『ストリート・オブ・クロコダイル』(1986年)で止まったまま。一卵性双子のクェイ兄弟がほぼ2人だけで作り上げたというあの歪な世界観に回帰してしまうんです。

人形アニメの世界は、ぎこちなければぎこちないほど魅力的。生命なきものに命が吹き込まれた不条理・不気味さが際立ちます。ストップモーション・アニメーションの到達点というのは、「より実写に近づけること」ではなく、より既成概念を壊していくことなのかもしれません。

 

そういう意味で『JUNK HEAD』はまさに私が求めていた作品でした。なにしろ製作者の堀貴秀氏が8年かけてたった1人で作り上げたというんですから、手づくり度にかけては比類なし。「他の追随を許さない」という言葉がこれほどふさわしい映画もそうはありません。

もともと芸術家を目指していた作者が生活のために始めたという内装工事店の一角で生み出された本作の舞台は、地表から3,000メートル以上もの深い深い地中に築かれた都市という設定。それも、当初は人類が移住する予定で建設が始まった地下都市が、建設作業用の人工生命体であるマリガンの反乱によってマリガンに占拠されたという設定とあって、激しく建設途中でがれきだらけ。荒廃した暗いディストピアです。この未完成でざらついた世界観が、手作りの風合いと絶妙に馴染んでいるんですよね。

 


しかも、単に手作り感に溢れているだけじゃない。今回公開されたのは全構想の1/10程度で、まだまだ続編があるという壮大な叙事詩。作者の一生のうちに完成するかどうかという、いわば1人の人間の人生そのものと言っていい重さを背負った作品でもあります。

一生をかけて1つの人形の世界を作り上げる・・・気が遠くなるような情熱ですが、ストップモーション・アニメーションには人生を狂わせる魅力がある、と言われたら納得できてしまいます。フィルムの中でとは言え、或る1つの世界を自分のイメージだけで創り出し、自分のイメージ通りに動かすという、いわば神の所業ですから。

製作に人生の全てを傾けた作者の情熱が、登場する人形たちに目には見えない不思議な精気(魔性と言ってもいいかも)を注ぎ込んでいるのは間違いない気がします。

 

生殖機能の回復=生きる実感を求めて

進化の過程で生殖能力を失い、絶滅の危機に瀕した人類が、かつて自分たちが作り出した人工生命体マリガンがいつの間にか生殖能力を持っていたと知り、生殖能力を取り戻すためにマリガン調査を始める。

つまりこれはある意味で「ち〇こを探す物語」なわけです。実際「ついにち〇こ発見か?」という場面も。こういうのは人形劇ならではですね。実写じゃあ生々しすぎて(笑) 

 

ふぁ?そんなお下品な話じゃないでしょ?と顔をしかめる方もいらっしゃるかもしれません。

たしかにその通りです。ち〇こは本作の中では生殖=生命力のシンボルであり、風もないのにブラブラしてる物体を主人公が目撃するのは、ちょっとしたギャグに過ぎません。(しかもちゃんとオチがw)今や頭部だけになった人類が生殖機能の回復を求めて旅に出るというストーリーは、じっと部屋にこもって人との接触を避け、何事もネットで済ませているコロナ禍下の私たちにこそ響く、「人間が生きる実感を取り戻す物語」でもあるのです。

人と接することがなく女性とのダンスさえバーチャルでしか体験したことがない主人公が、地下世界で初めて女の子とダンスを踊る、なんてあたり、まるでコロナ禍の到来を予期していたかのような流れ。肉食の怪物たちが闊歩する弱肉強食の地底世界で、或る時は逃げまどい、或る時は果敢に怪物たちと戦いながら必死で生き抜いていくパートンの姿は、人形でありながら生命力と躍動感にあふれていて、観客にヴィヴィッドな生の実感を見せつけてくるようです。

その姿はそのまま、日々の大半をパートンの物語に捧げ、日夜製作に打ち込む掘監督の姿にオーバーラップします。

人間が失いつつある生きる実感が、1人の人間の突き抜けた情熱によってスクリーンの中の世界に蘇った、そんな熱い感銘が伝わってくる映画です。

 

無機質の仮面の下から現れる神の創造物


 

いくつかの名場面がある中で、そこだけ鮮やかさが何段階も違うくらいに強く心に刻まれたのが、パートンが乗った地底行きカプセルがマリガンの警備隊によって撃墜され、粉々になったカプセル中から飛び出して転がっていた金属の塊をマリガンたちが拾い、開ける場面。

「博士」の物々しい実験室に運び込まれた謎の金属塊。まじないのような長い方程式を博士が装置にインプットすると、あら不思議!金属塊の蓋がすーっとスライドし始めるじゃないですか。

そして中から現れたのは、なんと人間(パートン)の顔!! 眼を閉じたその顔は少年のように無垢で、それを覆う無機質の容器とは全く異質な、有機体の透明感を湛えています。まさに神の創造物然とした神々しさに気圧される。人間という存在の神秘をしたたかに再認識させられる瞬間です。

 

この顔はポスタービジュアルにもなっていますが、「それ」が閉じていた眼がゆっくりと開かれる瞬間の打たれるような感覚は、静止画像では伝わりません。これは動画でぜひ観てみていただきたいところです。

こんなに強烈なインパクトを持つ主人公の顔を作り上げていながら、この顔が映されるのはたった一瞬だけ。あとは目が思い切り離れたファニーフェイスのヘルメットをかぶせられた姿しか見せないという。心憎いまでに効果的な引き算です。

 

人形アニメと悪夢

以前にも書いたように、人形アニメには不気味で不条理なストーリーが似合います。多分それは人形という存在そのものが持つ得体の知れなさ、人形に込められた人間の昏い情念にもつながっているのかもしれません。

ユートピアよりもディストピア、開放的な空間よりも閉塞的で抑圧された空間、良い夢を見て目覚めた幸福な朝よりも、悪夢の恐怖におびえながら目覚めた陰鬱な朝の感覚が、人形アニメの得意領域です。

本作の中で登場人物たちが話す言語が何語でもない独自言語で、非常に耳障りなノイズ音で構成されているのも、人形アニメの悪夢性を掻き立てる仕掛け。確信犯的なものじゃないでしょうか?

ストーリー自体はそれこそ日本の伝統的な冒険譚『桃太郎』みたいな話(主人公は少年ではないのですが、何故か地下世界では少年の体を与えられるのもそれっぽい)で、マリガンたちのルックスもユーモラスで面白いのですが、王道にまとまってしまったら人形アニメの魅力半減。

映画を作り始める前から操り人形を製作していたという堀監督ですから、恐らく人形劇の悪夢性を意識した上であの不快系言語を出してきたんじゃないかと想像しています。

 

『ミニオンズ』と『JUNK HEAD』

ナゾの生き物がわらわらワケの分からない言葉をしゃべる映画と言えば『ミニオンズ』もそうですね。

 

ミニオンズ (字幕版)

 

あちらは世界的な人気を博した作品だし、私はてっきり『ミニオンズ』の影響を受けた部分もあるのかなと思ったんですが、考えてみれば『ミニオンズ』第一作は2015年。本作の製作開始よりも後発なんですよね。

といって、『JUNK HEAD』は当時公開されていないし、あちらがこちらのアイデアを頂いたという可能性もまた薄そうです。

ミニオン⇔マリガン

眼鏡顔

ナゾの言語

これだけ類似点があって、お互いに意識してなかったのだとしたら、こういう作品のルーツがどこか別のところにあるということかもしれないですね。

 

 

上はマリガンの子供たち。子供たちがわらわらもつれあって遊んだり、謎の言語で囀り合う姿はミニオンにそっくり。でも、ミニオンがバナナならマリガンの子はソラマメ系の可愛さ。私はミニオングッズよりこっちの子たちの一団が欲しいな。

 

マリガン界では、女は赤いのが目印なんですが、女のほうが男より断然ガタイが良くて断然コワい。女尊男卑の世界なのも面白いんですよね。

 

 

堀監督は女性恐怖症? それともフェミニスト?

やっぱり、人形アニメには悪夢が似合うということかもしれないですね(笑)