『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』 ウディ・アレン的男と女の恋の駆け引き | シネマの万華鏡

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更新の間が空いてしまいました。仕事や読みたい本、考えたいこともあって(映画もざぶざぶ観たくて)、今月はのんびりペースで更新していきたいと思ってます。

 

昨日は緊急事態宣言以来の恵比寿ガーデンシネマへ。『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を観ました。

東京ではコロナ感染第二波か?という不安が広がっている中で、都心の中では普段から比較的人が少なめのガーデンプレイスを敢えて選んだというのもあるんですが、それにしても驚くほど人が少ない! ガーデンシネマは雰囲気・ラインナップとも大好きなので、ガーデンプレイス全体が活気のある場所に戻ってほしい気持ち半分、人混みには出かけたくない気持ち半分・・・複雑ですね。

 

映画を観た後は、ちょっとフンパツして友人とロウリーズ・ランチ。そういう気分になる映画だったっていうのもありますね。まあ今回は誕生日もあったし(結構前だけど)いいかなと。ローストビーフは勿論、パンが友人と顔を見合わせるほど美味でした。

 

あらすじ(ネタバレ)

学校の課題として著名な映画監督ローランド・ポラード(リーヴ・シュレイバー)のインタビューをマンハッタンですることになった大学生のアシュレー(エル・ファニング)。彼女と恋人のギャツビー(ティモシー・シャラメ)は、それを機に週末をマンハッタンで楽しむことに。ニューヨーカーのギャツビーは、アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内しようと張り切るが、ポラードに新作の試写に誘われた彼女が約束をキャンセルするなど、次々と予想もしていなかった出来事が起きる。

(シネマトゥデイより引用)

 

2018年の作品ですが、ウディ・アレンのスキャンダルの影響でアメリカでは公開中止になったとか。

 

音楽のような、流れる恋愛

今回初めて気づいたんですが、『カフェ・ソサエティ』以降のウディ・アレンの作品って『暗殺の森』や『ラスト・エンペラー』のヴィットーリオ・ストラーロが撮っていたんですね。彼以前も歴代名撮影監督がずらり。ウディ・アレン作品の都会的で洗練された映像は、ヨーロッパ仕込みの撮影監督のセンスが生み出していたってこと、今さらながら納得です。

 

ちょっと普通の人間には手の届かないラグジュアリーなライフスタイルの映像と軽快なジャズが作り出す、眺めているだけで夢見心地に誘い込まれる世界観がメイン・ディッシュで、物語は音楽と映像のために捧げられた振付けのようなもの。恋の痛みは苦みの効いたショコラデザート、美男美女たちが次々にペアを交代していくダンスのような・・・ウディ・アレンの映画の世界って、何かそんな感じがしませんか? 

個々の恋愛に深くは固執しないところが、恋の成就(または恋の不成就による絶望からの恢復)に恋愛の到達点を置く王道ラブストーリーとは根本的に違うところです。

今回の主人公ギャッツビーのヒロイン・アシュレーとの恋もそうだし、ギャッツビーの兄に至っては、婚約相手の笑い声が気に入らなくて婚約解消をひそかに画策中という、愛自体が羽根のような軽さ。恋愛は軽快に!結婚は気の迷い!とでも言いたげで、そこにウディ・アレンの頑なな信念すら感じます。

 

多くの作品が恋愛映画でありながら、それでいて恋愛をシニカルに、とても醒めた眼で捉え続けるウディ・アレン。何故「恋愛」にこだわりながら愛の深みに潜らず表面の被膜ばかりを描いていくのか、ずっと不思議に思えて仕方がなかったんですが、物語は美しい映像と音楽のための振付と考えれば、なるほど、という気がしないでもありません。

現実には恋愛は人生の一大事で、人は恋に固執するし、恋人の浮気や喧嘩別れに打ちのめされることも多々。そうなると、恋愛が奏でていた音楽は止まってしまいます。

でも、ウディ・アレンのラブストーリーの登場人物は、恋煩いで人生の音楽を止めるようなことはしない。人生を賭けるような女にも出会わない。女性に待ちぼうけをくわされて落ち込んでいても、ふと目を上げればそこにまた別の美しい女がいます。さあパートナー交代。

男は美しい女から美しい女へ、女はより自分を輝かせてくれる男から男へと、軽快に心を移していく、その駆け引きのゲームを楽しむドラマなのかもしれません。

 

それにしても、ウディ・アレンって女に恨みでもあるんでしょうか?(苦笑) 美しくて野心家の女たちによほど翻弄され続けてきたんですかねえ・・・

 

旬の主演女優に豪華オールスターキャスト

 

ヒロイン・アシュレーのドライさ・軽薄さは、『カフェ・ソサエティ』でクリスティン・ステュワートが演じたヒロイン・ヴォニーにそっくり。

クリスティン・ステュワートにエル・ファニング、美しさの系統は全く違うものの、どちらも当世1・2を争う美人女優、そこもまた共通点です。

物語には何かしらアンビバレントな要素があって、そのせめぎ合いに面白さが詰まっていると私は思うのですが、この2作におけるそれはヒロインの美しさと軽薄さのアンビバレンツ。

どうも作者ウディ・アレンは軽薄さも含めて女の可愛さと捉えているところがあるようで、ヒロインの軽薄さが美しさを凌駕していく時、恋は苦みを増し、逆に美しさが軽薄さを上回る時に恋は輝きを増す。その拮抗が物語の緩急を作り出しているし、反駁し合っているように見える2つの要素は実は深く絡み合っているようにも。そのあたりの微妙な文脈が、敢えて言えばウディ・アレン作品の深みなのかもしれないですね。。。個人的にはこのヒロインにはかなりイラっとくるのですが。

 

しかし世の枯れないオジサマがたの大好物であろうアホ小悪魔のアシュレーを、エル・ファニングがまたしても好演してるんですよねえ。彼女の演技は見どころ。

ミニスカートにふわふわセーターというもっさり感とヘンな色気を共存させた服装からして、アシュレーのキャラの重要な一部。一見御しやすそうで、癒しを求めて近づいてくる男たちを逆に翻弄する女ってこれ!!と思わず膝を打ってしまうリアリティーたっぷりのキャラづくりに見入ってしまいます。

ティモシー・シャラメ主演ということで半分は彼を観に行ったようなものだったんですが、今回も今や彼の鉄板と化しているつかみどころのない役どころで、あまり目新しさがなく、結果としてはエル・ファニングにばかり目が行ってしまいました。

 

第二のヒロイン役セレーナ・ゴメスも今旬の人ですね。『デッド・ドント・ダイ』『ドクター・ドリトル』と、今彼女の出演作が3本も上映中。

彼女が演じるチャンも、魅力的だけど毒を孕んだ美女。恋のライバルのアシュレーを「田舎者」とこき下ろす(アリゾナ住民は怒らないのかしら?)容赦ないところはあれど、良くも悪くも都会の水が合うギャッツビーには彼女のほうが相性が良さげではあったかも。

少なくともディモシー・シャラメの甘いルックスと彼女のシャープな印象とのバランスは最高でしたね。

 

娼婦役で登場したケリー・ローバッハが美しすぎてクラクラ。

 

男性陣もまた豪華絢爛のメンツ! ティモシー・シャラメにジュード・ロウにディエゴ・ルナに。彼らが全員エル・ファニングに群がってくるんですからそれは波乱も巻き起ころうってもんです。

ディエゴ演じるラテン系イケメン俳優以外の男性は全員ウディ・アレンの分身なんだろうな。

 

ニューヨークの魅力とせちがらさ

 

ニューヨークの名所を巡る趣向も、『カフェ・ソサエティ』との共通点ですね。

今作はニューヨーク育ちのギャッツビーがおのぼりさんのアシュリーをエスコートするという設定で、セントラル・パークで馬車に乗ったり、メトロポリタン美術館やMOMAも、ホテル・プラザ・アテネも、五番街も。

ウディ・アレンの映画に映し出されるニューヨークはうっとりするような美しい街。今回は雨模様のNYでしたが、グレー系が強い都会の風景は雨にもしっとり馴染んでいて、この敢えて雨のNYを選んだ点が本作の一番新鮮な要素だったかも。旅に飢えている今、心が欲していたタイプの映画でもありましたね。

 

ニューヨークには4年前に一度だけ行きましたが、綺麗な街とは思いませんでした。でも、多分お金を持ってる人には、とっておきの美しい奥の院を見せてくれる街なんだろうなと・・・どこの都会もそこは同じですが、ニューヨークはとりわけそういうせち辛さを如実に匂わせた街。五番街も一応行ったけれど、私が行ったのはユニクロですから問題外です(爆)

 

この映画の中でホテルのラウンジで営業している娼婦(ケリー・ローバッハ)がギャッツビーに笑顔でこう囁く場面があります。

「(サービス料金は)500ドル。高いと思ってるんでしょう? でもね、ここはニューヨークなのよ」

美しく魅力的だけれど扱いづらい女たち同様に、魅力的だからこそ欲望や虚栄が渦巻く街・ニューヨーク。

もしかしたらこの作品の真のヒロインはニューヨークなのかもしれないですね。

 

備考:上映予定80館