ちょっとした経緯があって、ブログで知り合った方から『憎しみ』(1995年)のDVDを頂きました。「『憎しみ』と『レ・ミゼラブル』(現在公開中)を比較した記事を書けるように」という細やかなお心遣い レミゼはまだ観てなくて、しかも会員になっている映画館で丁度上映が始まったばかりというタイミングの良さですよ。これはもう、観るっきゃない!ということでさっそく行ってきました。
結論から言うとこの作品、凄いです。フランス映画の中ではひさびさと言えるレベルの傑作だと個人的には思っています。
惜しむらくはこのタイトル。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』の映画化と誤解してる方もいらっしゃるんじゃないかな・・・違うんですよ、今や世界有数の多民族国家であるフランスの、新しい『レ・ミゼラブル』の物語。今季イチオシです。
あらすじ(ネタバレ)
パリ郊外のモンフェルメイユはヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の舞台になった街。今もユーゴーの時代と同じく貧困層が多く犯罪多発地域であるモンフェルメイユに、警察官のステファン(ダミアン・ボナール)が地方から転属してくるところから物語は始まります。
3人1組の犯罪対策班に配属されたステファンは、ベテランのクリス(アレクシス・マネンティ)とグワダ(シェブリル・ゾンガ)と共にパトロールにあたりますが、のっけから地域の荒廃ぶりと警官たちの横暴な職務態度、住民と警察の癒着の実態に驚きの連続。
アフリカ系移民が多く居住する「団地」を仕切る「市長」と名乗る男が、このあたりの黒人のフィクサー。彼と犯罪対策班のクリスはお互いに嫌悪しあいながらも手を結び、共存関係を作り上げています。しかし、「市長」以外にもイスラム原理主義組織のリーダーや、暴力団めいた組織のボスもいて、さらに付近にはロマも棲みついている。
ある日、団地の札付きの不良少年イッサがロマのサーカス団からライオンの子供を盗み出したことから、ロマと黒人コミュニティとが一触即発の状態になり、対立をおさめるべくステファンたち犯罪対策班がイッサとライオンを追ううちに、グワダがイッサをゴム銃で撃ってしまいます。
さらにその現場を団地の少年にドローンで撮影されていたことが分かり・・・
貧困と貧困、異文化と異文化が日々激突しながら辛うじて均衡を保っている世界。ひとたびそのバランスが崩れたら、押さえつけていた鬱屈が一挙に噴き出して、もうとまらない。「花の都・パリ」のイメージからは遠くかけ離れたパリ郊外の生々しい現実が映し出されていきます。
監督・脚本は、ラジ・リ。
監督自身が住人だから撮れるリアルなスラム団地の日常
『憎しみ』も『レ・ミゼラブル』も同じモンフェルメイユを舞台にした作品。しかし、見どころは全く違うところにありました。
『憎しみ』は貧困を描きつつも、ヴァンサン・カッセル演じるヴィンスはじめ3人の若者たちの、一切を振り切った刹那主義をシュールに描いた青春群像劇の印象が強い。閉塞感に覆われているとは言え、失うものは何も持たない彼らにとってはある意味で自由の天地でもあるモンフェルメユ。ただし彼らにとって「自由」は、「落下」と同義。3人の打ち上げ花火のようなはかない生きざまが鮮烈な余韻を残します。
一方、本作はドキュメンタリーと見まごうリアルさ。フランスの特異点とも言うべきモンフェルメイユという街の濃厚な「今」が感度高く映し出され、最初から最後まで、映像から全く目が離せません。
それもそのはず、監督のラジ・リはここモンフェルメイユで育ち、今もここに住んでいるんだとか。本作のエピソードは殆どが実際に団地で起きた出来事に基づいているというんですから、リアルなのは当然のことです。
個人的にはタイトルの「惨めな人々」とは別の印象、つまり、さまざまなルーツを持つ住民たちが衝突を繰り返す日常の中で人々がきわどいバランスを見つけながら生き抜いていく姿のほうが鮮烈に記憶に残りましたね。
「団地」周辺は、フランスというよりも限りなくアフリカ。しかしこの界隈の黒人たちの中にもイスラム原理主義者(ちなみに穏健派)とそれ以外の人々がいて、そこにも大きな溝がある。アフリカ系移民の中にも、頭を抱えてしまうほどの思想の壁、常識の違いがあることが分かります。
さらに、付近にはロマたちも棲みついて、サーカス団などで生計を立てている。彼らとアフリカ系移民のコミュニティも険悪な関係です。
劇中、突如ロマの屈強な男たちが団地に乗り込んできて、
「ジョニーを連れ去られた!連れ去ったヤツを殺してやる!」
と拡声器でまくしたてる。彼らは武器を手にしていて物凄い緊迫感です。
団地の「市長」が応対するも、「ジョニー」が一体誰なのかもわからないまま、揉み合いに。お互いにわめきながらやっと聞き出せたのが、「ジョニー」は人間ではなくライオンの仔(!)だということ・・・さまざまな民族が互いに威嚇し合いながら同居している地域ならではの、笑い話のような揉め事。ただ、こんな話がもとで死人が出かねないくらいに、人々の心はすさんでいます。
警察官も例外じゃない。都合の悪い話になるとフランス語を話すのをやめて母国語でまくしたて始める移民たちや、仲間意識が強く捜査を妨害する子供たちに疲労困憊して、つい暴力に訴えてしまう・・・しかも失態の隠蔽工作まで。
どっちもどっち、みんな貧しく、苛立っています。
ただ、実はここはここで1つのきわどいバランスの上に成り立った社会でもあるんですよね。私には、彼らの「惨めさ」よりもしたたかさ・強さのほうが、不思議と心に刺さりました。
実際、監督のラジ・リはここでの暮らし、ここの人々を撮影する毎日が好きなのだとか。
勿論その「バランス」は子供たちから見れば大人の汚い駆け引き。子供はそんな誤魔化しを許さない。終盤は非常に凄惨な展開を遂げるのですが、作品の暗さの一方に、貧困や抑圧に屈さず、異国で強く生き抜く移民たちの強さを映し出そうとした監督の思いが滲み出た作品のようにも思えました。
アイデンティティは「フランス人」
もうひとつこのフィルムに込められた思いとして強く感じたのが、「フランスというよりはアフリカ」と呼びたくなるくらいに異質の文化圏を作り上げて暮らしている彼らも、紛れのないフランス人だということ。
作品冒頭は2018年のFIFAワールドカップでのフランス優勝の日、団地の子供たちでしょうか?黒人少年の一群が凱旋門前の大群衆の中で旗を振る映像。
彼らが手にしているのは、勿論フランス国旗。国旗を振りながら、みんな誇らしげな笑顔です。国家に抑圧されていようと差別されていようと、彼らのアイデンティティはフランス人なんですよね。
このセリフ不要のプロローグは素晴らしい! 移民たちの中にある、国家に対する複雑でアンビバレンツな思いが、ただワールドカップ優勝に歓喜する黒人少年たちの笑顔とはためくフランス国旗の映像だけで十分に伝わってきます。
民族主義運動が戦争を引き起こしたり、弾圧を招いたり、国家を分裂させたり・・・そんな悲劇が歴史の中で何度も繰り返されてきたせいか、多民族国家は不幸だという認識がいつの間にか私の中に出来上がっていました。(多分、それは私だけじゃないでしょう。)そういう認識があるからこそなのか、モンフェルメイユの子供たちがフランス国旗を振っている映像には胸を打つものを感じました。これが「今」の世界なんだということを今更ながら思い知った気がして。
かつてのユダヤ人同様に国を失った人々が世界に溢れている今、「多民族国家」なんて言葉自体、もう忘れたほうがいいのかもしれません。
備考:上映予定館24館