『ボヘミアン・ラプソディ』今こそフレディ・マーキュリーを聴け   | シネマの万華鏡

シネマの万華鏡

映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

今こそ、フレディ・マーキュリー!

伝説のロックバンド・クイーンのヴォーカルだったフレディ・マーキュリーの伝記映画。

クイーンの名曲は勿論知っているけど、特別ファンでもなく。

きっと往年のファンが殺到して在りし日の思い出に浸る映画なんだろうな~・・・くらいの認識でした。この作品の人気が高いのも、ファンの多さの証明なんだろうと。

 

ところが、それはちょっと違うということに、観てみて気づきました。

フレディ・マーキュリーって、まさに今の時代にこそ求められてる存在・・・いやそれもまた微妙に違うかな?

「マイノリティであるフレディ・マーキュリーの伝記」。これが、今の時代に求められているのかも。

いずれにしても、これは旬だと思いました。アカデミー賞・・・作品賞狙うには、ちと掘り下げが弱いけど、主演男優賞ノミネートはあるかも?

1970年のロンドン。ルックスや複雑な出自に劣等感を抱くフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)は、ボーカルが脱退したというブライアン・メイ(グウィリム・リー)とロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)のバンドに自分を売り込む。類いまれな歌声に心を奪われた二人は彼をバンドに迎え、さらにジョン・ディーコン(ジョー・マッゼロ)も加わってクイーンとして活動する。やがて「キラー・クイーン」のヒットによってスターダムにのし上がるが、フレディはスキャンダル報道やメンバーとの衝突に苦しむ。

(シネマトゥデイより引用)

監督は『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー。

 

マイノリティのスーパースター

 

冒頭、ベッドで咳をする男の後ろ姿。

それが死に至る病を患ったフレディ・マーキュリーであることは、彼を知っている人ならすぐに分かります。

冒頭にこのシーンを滑り込ませることで、45歳という若さでエイズで亡くなったフレディ・マーキュリーの人生を、最期の日々から全盛期を振り返る形の構成に。

 

終わりから振り返った時、人生はひときわ輝きを増すもの。ましてや、フレディ・マーキュリーほど世界を熱狂の渦に巻き込んだ人の人生なら、どれだけの眩しさか。

そして、眩しければまぶしいほど、同時に押し寄せる無常感もつのります。

死病を患ったフレディの姿から入ることで、作品全体が斜陽のような明るさ(闇が忍び寄っていることを意識させる光)で覆われている感覚に陥ります。

 

やっぱり懐古調だな・・・と思いきや、むしろそれはこの作品のごく一部の要素にすぎませんでした。

個人的に強く感じたのは、この作品ではフレディ・マーキュリーのマイノリティである側面に光を当てているということ。

フレディ・マーキュリーのルーツはザンジバル。それも、両親はインド系でパールシーというゾロアスター教を信仰する少数民族で、イスラム教徒の迫害を受けてイギリスに移住したのだとか。

また、フレディはバイセクシュアル(かゲイ)でもあります。

私はあまり気になったことがないけれど、フレディは「過剰歯」で歯並びが悪く出っ歯でもあって、そこもこの作品ではだいぶ強調しています。

 

フレディ・マーキュリーの存命中、クイーン全盛期には、彼のそういう一面はあまり表だって取りざたされることはなかったんじゃないでしょうか。

彼自身、ザンジバル出身だということは隠していたようですし、「男性だけが好き」だということも、晩年になってはじめてバンドメンバーに明かしたのだとか(ネタ元はこちら) 

同じニュース記事によると、セクシュアリティのことは両親にも最後の最後まで告白していなかったようです。

なにしろ、ファンにとってフレディ・マーキュリーは完璧な存在。文字通りネ申。

多くのスターがそうであるように、彼はそのイメージを演じていた部分もあったんでしょう。誰の前でも本当の自分になれなかったから、孤独だった。

 

しかしそんな現実のフレディの行動とは違って、この作品では、彼がマイノリティである事実と向き合っていく姿を中心に描いています。

この辺賛否両論分かれるところだと思いますが、フレディのマイノリティとしての一面に焦点を当てることで、今の時代に求められている作品になったということ。これは大きい気がします。

 

もうひとつ、フレディ=マイノリティとして彼の曲の歌詞を眺めると、実はマイノリティであることが彼のアイデンティティの大きな要素だったということが見えて来る気がするんです。

たとえば『ボヘミアン・ラプソディ』にしても、弱さの告白。どん底に立って、「ママ、死にたくないよ!」と叫ぶ心境は、彼自身がマイノリティだからこそいっそう心に響くものがあります。

 

人を感応させる魔法は普遍的

(1985年の伝説のライヴ・エイドの再現)

 

それにしてもクイーンの曲は圧倒的。一瞬にして吸い込まれます。

クイーンを知らない世代の人にはどうだか分かりませんが、少なくともコンサート会場に詰めかけた観客全員を巻き込んでいく彼らの音楽のパワーに気圧されない人はいないんじゃないでしょうか。

そして、歌詞が神がかり的にいい。赤裸々で、一語も嘘がない。勿論曲もいい。

クイーン好きじゃない私でさえ、劇中のコンサートを観て涙ぐんでしまったほど。

ステージの上のフレディ・マーキュリーには、間違いなく神が舞い降りている気がしました。

 

勿論、スクリーンの中にいるのはフレディ本人じゃなく彼を演じているラミ・マレックですが、音楽を通じてフレディが彼に憑依して、ラミ・マレックもカリスマになりきってる。

この作品のラミ・マレックは、21世紀風に進化したフレディ・マーキュリーそのものに見えました(なんて言ったらきっとフレディ・マーキュリーのファンに叱られそうですが)。

彼にとっては、俳優人生を変える大きなチャンスだったんじゃないでしょうか。

本作でひと皮むけたラミ・マレックの今後の活躍が楽しみです。

 

アメリカでは死後に人気沸騰

クイーンの曲はアメリカでも大ヒットしていたという認識だったんですが、実際は、フレディ・マーキュリーの死後のほうが爆発的に人気が高まったのだとか。

1984年にリリースした『I Want to Break Free』のMVにメンバー全員が女装姿で出演したことが不況を買うなど、アメリカではフレディ・マーキュリーのセクシュアリティや生き方に対する反発も大きかったようです。

 

そのアメリカで作られた本作。

男女とも恋人は1人ずつという設定になっていて(もっとも、画面に映らないところでは「ご乱行」があったことは仄めかされています)、綺麗にまとめすぎている感はありますが、これはハリウッド映画の限界かな・・・イギリスで製作したらどんなことになるのか、ちょっと観てみたいですね。

ハリウッド的大団円ストーリーにはちょっと物足りなさを感じたものの、それを上回ってお釣りがくるクイーンの楽曲のすばらしさで、大満足!

今この不穏な時代に、勇気をくれる歌。今までクイーンのすばらしさに気づけなかったことをはげしく後悔しています。