14歳の少年2人の疾走ロードムービー
少年2人が主人公!ということで、予告を観た時から目をつけていた作品。
ドイツの映画監督ファティ・アキンが、ドイツでベストセラーになった小説『14歳、ボクらの疾走』を映画化。
監督もトルコ系移民、主人公に大きな影響を与える不思議な転校生・チックもロシアから来たという設定。移民大国ドイツらしい映画です。
ギムナジウムに通う14歳のマイクは、母がアルコール依存症、父は浮気に忙しく、孤独な少年。
人と考え方の違う彼は、学校でも変人扱いされています。
或る日マイクのクラスに見るからに問題児風の転校生がやってきます。
彼の名前はチック(原題の“Tschick”は彼の名前です)。ロシアの奥地から来たらしいのですが、詳しい事情は全く謎。一説によるとロシアン・マフィアの息子という噂もあり、危ない雰囲気の彼に近付こうとする者はいません。
そんなわけで、クラスで一番の美人タチアナの誕生パーティにも、問題児のチックと変人のマイクだけは招かれず。
ひそかにタチアナに恋心を抱いていたマイクはショックを受け、チックに誘われるまま、彼がどこからか「借りて」きたロシア産ディーゼル車・ラーダニーヴァで、遠出することに。
目指すは、チックの祖父がいるというワラキア(ルーマニア南部)。
運転するのはチック、言うまでもなく無免許です。
あちこちで破天荒なことをやらかしながら旅を続けるうち、2人はゴミ集積場で浮浪者風の少女イザに出会い、プラハに行きたいというイザも同乗者に加わって――
ひと夏の冒険を通じて新たな世界を知る、少年の成長譚
(マイク(手前)とチック(奥))
少年が生まれて初めて、見たこともない場所を目指し、それまで考えたこともなかったはるかな未来に思いを馳せた夏休み。
大人への扉が開かれようとしている・・・そんなめくるめく気配を感じさせる、冒険の旅、『スタンド・バイ・ミー』をはじめとする、子供時代との訣別の物語のひとつです。
出発早々、チックがマイクのスマホを車外に投げ捨てるのが象徴的。
日頃から自分自身が、外出するのにスマホを忘れただけでなんだか一日中落ち着かなくなってしまうというスマホ依存症の生活を送っているだけに、マイクのスマホが壊れた瞬間は取り返しのつかないことが起きた気がしたんですが、冷静に考えてみればスマホがなきゃ何もできないなんて、おかしな話です。
日常からも情報化社会からも解放され、自身のコンパスの指し示すままに未知の世界へと疾走していく2人、この種の自由をこのところとんと味わっていない私には、すごく羨ましく思えました。
マイノリティの視点
ただ、一見ひと夏の少年の成長を描いたロードムービーというだけでなく、マイノリティの視点を感じさせる物語でもあるのは、やはり監督自身トルコ系移民だからということもあるんでしょうか?
あるいは、今ドイツでは誰もが、その問題から目をそらせないということなのかも・・・
たとえばチックにしても、ロシアから来たと言いつつ、顔立ちははっきりとアジア系なんですよね。
でも、ロシア人がスラブ系というのもよく考えてみれば先入観にすぎません。
ロシアにはモンゴル系はじめ、アジア系の民族もいるし、少数民族問題はロシアの大きな課題です。
そして、チックが話題にする、「ユダヤ系ロマ」。
マイクは「ユダヤ系ロマなんていない、ユダヤ人とロマは別のものだ」と言いますが、ユダヤ人の定義は宗教によって決まることを考えると、「ユダヤ系ロマ」がいてもおかしくないわけです。
マイノリティの存在、その定義・・・案外知られていないんですよね。
もっとも、自分を「ユダヤ系ロマ」だと言うチックは、この言葉によって暗に自分が性的マイノリティだということを仄めかしているようにも。
ヨーロッパでアジア系はマイノリティ。その上に彼はゲイだということで、マイノリティ×マイノリティの「ユダヤ系ロマ」と重ね合わせたんでしょうか。
彼らがドライブインの近くのゴミ集積場で出会う少女・イザにしても、プラハにいるという腹違いの姉以外、身寄りもなく家もなさそう・・・こういう境遇の少女も、今のドイツには珍しくないのかもしれません。
(マイクと、彼がゴミ集積場で出会った少女イザ)
家や学校という狭い世界から飛び出して、これまで出会わなかった種類の人々に出会ったマイクにとって、マジョリティしか相手にしないタチアナがちっぽけな存在に見えるようになったのは、必然の結果。
逆にタチアナのほうは、自分の知らない世界を経験してきたマイクが急に魅力的に思えてきた気持ちも、よくわかります。
ドイツ人にとってのワラキアって?
真っすぐに南を目指したマイクとチックは、多分チェコとの国境近くまでは行ったんでしょうか?
ドイツから南を目指してもルーマニアのワラキア地方には着かないし、どのみち彼らは目的地には辿り着けなかったのかもしれませんが、そんなことは全く問題じゃない!
彼らは、心ではワラキアを往復していたに違いありません。
この辺は、ドイツ人にとってのワラキアのニュアンスが分かると、より面白かったんでしょうね。
私のイメージでは、13世紀にモンゴル襲来を経験したヨーロッパのアジア・ハンガリーにも近く、オスマントルコの属国でもあったという歴史からして、アジア圏とヨーロッパ圏の交差するあたりなのかなと思っていますが、実際のところはどうなんでしょうか。
トランシルヴァニアのドラキュラ城とあわせて、ワラキアにも一度行ってみたいもんです。
ドイツ南部というと勝手に「森」のイメージを持っていたんですが、この映画で映し出される沿道の風景は、広大な穀倉地帯。
こっくりした黄金色の土の色、生い茂る緑の色に、空色のラーダ・ニーヴァがとても似合います。
ヨーロッパ映画にはカルチャーショックがつきもの
2人のやってることは完全に犯罪。にもかかわらず、原作小説は児童文学賞も受賞しているというのが凄い!
日本では児童文学で犯罪がからむ話はタブーですよね・・・そういうところもなかなかカルチャーショック。
ヨーロッパの映画を観るたびに、ヨーロッパと日本の物理的な距離だけでなく、文化的な距離も強く感じます。
目新しいテーマではないけれど、向こう見ずに、でも知恵をしぼりながら、少しでも遠くへ旅を進めようとする少年2人がけなげで、観ていて清々しい気持ちになれる作品です。
「ギムナジウム」と聞くとすぐ竹宮恵子や萩尾望都の少年愛ものを連想してしまう私・・・でも、今のギムナジウムは男女共学なんですね。
チックがゲイだという事実は、マイクとの友情にちょっぴり切なさを添えているものの、2人はあくまでも友情で結ばれた関係。この作品の場合には、それがいいんですけどね。
チックはマイクに、ひと夏のハチャメチャな思い出と友情とを残して消えてしまいましたが、マイクが彼を忘れることはないでしょう。
約束通り、マイク・チック・イザが50年後に再会できるかどうかは、遠い先の話だけに分かりません。
でも、少なくとも50年後、世界が平和で、3人がどこの国にいようと自由に会える世の中であってほしいですね。