膵臓癌とわかるまで④ | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

退院後も夫は胸にいれたカテーテルにチューブが伸びてる丸い水色のプラスチックの入れ物からの携帯点滴を翌々日15時までしていました。

病院の帰りに薬局で処方された薬を諸々受け取りにいきました。

余りに種類が色々あり、フランス語の説明はわからず、夫に申し訳ないというか悔しい気持ちになりました。

 

既に薬局にいるときから夫は大分疲れていたのですが、夜は痛みで苦しんで眠れず、それは5日間ほど続きました。

昼はソファーで寝たきり。

それでも友人やらが来ると普通に対応しようとして、人々が帰った後にぐったり。

どんなに疲れてても、夫の頭の中では彼は「俺は病人じゃない!」と思ってるんだと思います。

 

病院から退院後すぐと2日おきに看護婦さんが自宅に来ました。

手術の翌々日は携帯点滴を外しました。

また、夫はその看護婦さんに「この痛みは普通なのか?」など質問が出来て、また看護婦さんも薬の説明をしてくれたので薬もちゃんと理解したのもありますし、精神的にも助かったようです。

 

また、ちょうどクリスマスバカンスの時期で義理の妹達も近くにいて話し相手になったのも、とても良いタイミングでした。

妹の一人は2017年に乳がんの経験があったので、夫もその妹の話を受け入れやすかったのです。一度だけでなく、日々少しづつ話していました。

義理の母や妹達は私の事もすごく気にかけてくれて、一緒に泣きました。

 

よかったなー。

家族の愛情が夫にとっても私にとってもあたたかい救いでした。

 

私もですが、夫も自分が病気、癌である事、その治療で通常には動けず食べれずの状態である事をまだまだ受け入れていない、慣れてもいません。

いい意味でもあるのですが頑固でプライドが高い夫、余計難しいのです。

(愛すべきめんどくさいところであります。)

 

しかし、肉体的にも精神的にも苦しんでいる夫を見るのは辛いです。

日々、泣きながらネットで膵臓癌について調べてました。

 

まだ同時に、試行錯誤しながら私なりに表を作って記録することにしました。

なんとなく、今後役に立つかもしれない、と。

 

>どの薬を何時に飲んだか

>トイレの大の有無

>食事 カロリー計算(既に10㎏落ちているうえ、あと2㎏落ちたら化学療法中止)

>痛みの記録

 

やっているうちに、メインの痛み止3種類とそのタイミングがわかるようになり、薬局や病院に何度か訪問して質問しながら理解していきました。

なにせ、フランス語は早くしゃべられたらわからないだけでなく、書類が手書きだと読めない!

長いような短いような、混乱の中で1週間過ぎたころから夫の深夜の痛みはやや落ち着き、日々のサイクルも何となく定まりました。

まだ15日サイクルの1回目ですが。

 

そういえば、娘にとっての初めてのクリスマスは(私は心で泣きながらでした)、大家族から沢山プレゼントをもらい生後7か月のMは笑って従弟たちに遊んでもらって楽しそうでした。

サンタの服を着せて可愛かったなー(親ばか)、一家のアイドル。

 

夫も大好きな生牡蠣とフォアグラを食べて、(そのあとぐったり動けなかったりしたけど)

娘をみて嬉しそうで良かった。

 

私たち3人家族にとっての初めてのクリスマス。

本当に最小限の事しかできなかったけど(ケーキも用意したけどほぼ手付かず)、

化学療法6日目だったけど、一応できました。