膵臓癌とわかるまで③ | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

 

あれよあれよと、1219日に胸のところにカテーテルを入れる手術を大きい街の総合病院で、そして翌日20日に近くの総合病院で化学療法を始める日がきました

今後はどうやらここの総合病院で治療していくらしい。

この時点までどの病院のどの医者が夫の治療を仕切っているのが不明でした。

 

さらにはカテーテルの手術の際に夫は「明日の治療の開始時間など追って電話で連絡する。」と言われたのに夕方になっても電話がない

明日行く病院に夫が自ら電話をかけて「朝9時頃じゃないかしら?」と曖昧な対応。

 

案の定、当日朝、着いた際に、「○○ですが、」と名乗っても看護婦さんはピンとこなかった大丈夫か?!

 

こんな状況の中、初めての化学療法。

 

私はこの時怖かった。

なんだか夫が変わってしまう、遠くに行ってしまう、そんな感覚があって悲しかった。

まだ膵臓癌と知って数日、私にとって癌も化学療法も得体のしれない状況でした。

 

病院にて女医さん(今後の担当者というわけではない)と治療前に簡単な説明があり「膵臓癌で肝臓に転移している、よって緊急で化学療法を始める事にしました。」と初めて直接ちゃんとした説明を受けられました。

それまでは報告を間接的に聞いていだけでした。この女医さんが英語が少し話せたから私も話ができたのです。

 

私「大きさとか、どうなんでしょうか?」

女医「ここにはスキャンなどのデータは来ていないからわからない。でも肝臓に転移している、それが重要。だから緊急に化学療法を始める。」

 

わかんないのかぁ、夫の病状を把握してる人がいない状態ではじめるのかぁ

そういうものなのか?

大丈夫か?

 

そして二人用の部屋の片方のベッドで治療の前に食事を、と看護婦さんが用意を始めた。

そしてそれは食事と言っても鼻からチューブを入れてとるものでした。

 

夫「いや、できない、絶対無理!」

 

夫は全身で拒否。看護婦さんも困って先ほどの女医さんを呼んで説得を試みたが夫は折れませんでした。

よって「食事」なしで治療を始める事になりました。

 

私は娘を抱えて退室。

そして涙が溢れてきてしまいました。

泣いていると、癌をつかさどるこの場ではよくある事なのか看護婦さんが寄ってきて「精神科医と話した方がいいんじゃない?」と聞いてきました。

 

私「いえ、数十分で終わるみたいなので」とよくわからない返事をしてお断りしました。

突然でしたし。

 

しばらくして夫のいる部屋に戻っていいとの事を言われて入ると

夫はまるで何もなかったかのように点滴につながれて、大したことなさそうと安どしていました。私もそんな夫を見て拍子抜けしました。

 

その後、数時間の点滴が必要だったので私は一旦娘と帰り、夕方に夫を迎えに行きました。

(この後、夫の疲労ははじまります。)

 

つづく