膵臓癌とわかるまで① | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

振り返れば10月くらいから夫が食欲ないと言っていましたが、

私はただの飲みすぎでしょー、と軽く聞き流してました。

 

フランスに来て1年半、出産は無事フランスの病院でしたけど、他は医療のお世話になったことなく、言葉も生活に支障ないレベルでフランス語はまだまだです。それでも離乳食を始めた娘と3人で幸せに暮らしてました。

 

夫は11月前半から2回ほど腹痛を訴え主治医(Medecin traitent)に行きましたが胃痛と診断されて終わり。

※フランスでは「主治医制度」となっていて、担当の主治医がいてその主治医が病気の判断をして、必要に応じて専門医へ回すシステム。これは夫の病気の件で知りました。まだまだ知らないことがいっぱい。

 

それでも1120日にやはり「痛い」と近くの総合病院のUrgence(緊急外来)へ行き、そのまま入院し膵炎と診断され、

退院時は痛み止めを頂いておしまい。

※どうやら、主治医制度の反面、どうしようもない場合はこの緊急外来へ行くらしい。ただし、「指を切った」というような軽傷から交通事故などあらゆる「緊急」が来るらしく、病院側も優先順位をつけるのが難しいという現状があるらしい。

 

その後、どうしても痛くて12月に入り車で小一時間する大きい街の総合病院の緊急外来へ行き、1泊入院。エコグラフィーや生検などの日程が組まれて退院。ここからはこの大きい街の総合病院で検査がされる。

 

「え、膵炎じゃないの?」と落ち着かない日々でした。

義理の母が、「こんなに痛がってるのに入院しないなんておかしい!」とパワフルに主治医に即刻予約入れて夫と私と3人+赤ちゃんで状況を確認しに行くと「肝臓にがんがある。」と!フランス語で癌=cancer, 肝臓=Foie、これは意味が解った。

ちなみに、義理の母はchimio (=英語のchemo、化学療法)と聞いて主治医に食いついて聞きだしたらしいと後で知りました。シーミュー、という発音で、これがケモ、化学療法と理解したのは数日後である。言葉がわからないのはやはり辛い。

 

「え、癌?でも肝臓、ならそんなに難しくないかもしれない...」とやや、治療すれば治るのかなー、なんてこの時は思っていました。

 

義理の母の押しもあり、主治医は大きい街の緊急外来への入院の手配の手紙を作成し、私たちは入院用の荷造りを即刻してそのまま夫は病院へ行きました。

そしてなんと、部屋が用意されないまま、深夜3時に帰されるという、、、(義理の弟が迎えに行った)

 

※主治医は大きい病院から来た検査の報告を見て「肝臓の癌」と言いましたが、後に結局膵臓癌だと私たちは知る事になります。主治医制度により、検査結果(どこの病院でも)はその人の主治医に報告が行くようです。しかし、主治医を訪れた前日の大きい街の総合病院から帰ってきた夫が持ち帰った報告書には「手術不可の膵臓癌」と書かれていました... 主治医、大丈夫か?この時は、まだ検査結果がすべて出たわけではなかったのかもしれないけど、主治医の迷言と病院の「患者は預かりたくない!」意気込みは不信感と不安を与えてくれた。

 

つづく