僕という松重豊ロックじゃない@ロケンロールは僕ではできぬ | まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

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何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

「神戸ニニンガ日誌」(第3,219号)

松重豊がロックを語った際の一人称は「」である。「僕自身とても」「僕ら世代は」「僕にとってのロック」と。

 

○お言葉ではあるが私は「僕」はロックじゃないと思う。私は私のことを私という。時折は俺という。僕は駄目だと思う。なんせ「下僕」「公僕」「従僕」の僕だで。何ぼ何でもロックで「僕」は駄目なんじゃないかとワシは思う。

 

○1981年アラジンのヒット曲「完全無欠のロックンローラー」でも高原兄は「俺はスーパースター!」と叫ぶ。ロックは「俺」であってほしい。内田裕也の本の題も『俺はロッキンローラー』だ。ほらみろ。あのちゃんの言う「ボク」は逆にロックだ

 

柴田哲孝の『デッドエンド』で、逃亡犯の笠原武大が船を駆る。穴水町の漁港の老人に「ここはどこか」と聞くと「わりゃ、ここは……」と言う。「わりゃ」もロックであろう。

 

○朝ドラ「あまちゃん」の種市先輩は自分のことを「ずぶん」と言った。ロックが凄く鳴っている。

 

○ですので俺は「僕」はロックではないと思います。分かりましたか、松重豊さん

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。