「神戸ニニンガ日誌」(第2,837号)
○昭和40年代、小学生のとき初めて「ざるそば」を食べた。家には「ざる」がなかったので、畢竟外食ということになる。
○「そば」は「蕎麦」と書くのであるが、「更科」店内で品書きに「お蕎麦」と書いてあったので小学生でも「そば」と読むことが出来た。
○「麦」の「ば」は分かるが、「蕎」の「そ」が分からない。落語家の笑福亭松喬や柳家喬太郎の「喬(きょう)」に草冠なので、これも「きょう」だと思う。
○漆塗りの器に敷いた寿司を巻く「巻きす」のようなものの上に、そばがちょこんと乗っていた。小学生は「餓鬼」だ。そばのスノコは「2階」のもので、その下に「1階」のそばがあると思った。そうでなければ器の厚みが説明出来ない。
○で、そばを食べ終わったスノコをめくった。当時「スカートまくり」が流行っていて、めくるのは得意だ。
○下には何もなかった。暗闇のブラックホールがあった。
○「ステルス値上げ」について書こうとしていたが、何故こうなったのか。
ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。