海外おもしろ話 -3ページ目

海外おもしろ話

小林健一のブログ。
旅話を中心に海外情報 日常のトピックスなども綴ります。

Hola! Que tal?

Como estan en fin de ano 2008?

2008年もあとわずか・・

オレは帰省という事で名古屋に帰ったところ・・

実家のパソコンでこのブログを綴っています。

新幹線はむちゃ混みでした 


スペインの年末と言えばマドリッド ソル広場の

葡萄カウントダウンを思い出すなぁ・・

12個の葡萄を12個 カウントダウンしながら、

1粒ずつ食べるんだよね。

 (2007年年末のブログで詳しく綴ってますよ)


その年がいい年になる事を願い、マドリッド住民の殆どが、

その行事に参加してた気がする。 変にそういう

お祭り行事を大切にするんだよね・・ スペインって。

年が明けた瞬間、ソル広場はお祭り騒ぎ・・

皆で抱き合いながら新しい年明けを祝うんだよね・・


そして2008年、残り僅かな日本の年末を・・

みんなは緩やかに過ごせていますか?


楽しい思い出や、辛かった時間・・

うまくいった出来事や、思いもよらない失敗も・・・

2008年のすべての出来事の意味が未来の為にあるとしたら・・

2009年がどんな年になるかは自分次第だよね。

いい年に出来るよう、 お互い頑張りましょう!


オバマ次期大統領じゃないけど、オレの大好きなCaravanの

「Chaneges」っていう曲がすごくいいので紹介します。

ちょっとカッコつけてる感じがしてしまうけど・・

このタイミングに合ってて、すごくいい詩だと思う。


*************

- Chenges- by Caravan


変わり続けるのさ 変わらない為に

空に漂う雲のように


流れ続けるのさ 流される前に

風に逆らう鳥のように


ゆっくり静かに感じたままに

必要なものは力じゃなくて勇気さ


しっかり静かに心のままに

大切なものは時間じゃなくてイメージさ


ラズベリー色した夜明けの輝きは

Just believe yourself. そんなメッセージさ

流れ出す街の光 走り出した太陽に

焦らない様に瞳閉じたまま

Just keep on changin'


ほんの小さな心のざわめきは

コンクリートの街に飲み込まれた

流れ出した涙に気付かないフリして笑った

微かな光りの射す方へと今


枯れてゆく花に微笑みを贈ろう

生まれたての風が手招いている

Just keep on changin'

**************


という訳で2009年はいい意味で自分自身

変化出来たらいいなぁ・・ と思ってます。


みんなはどう?


2008年は更新の遅いつたないオレのブログに

遊びに来てくれた方々・・


本当にありがとうございました!

心からお礼を申し上げます。


2009年がみんなにとって良い年になります様に・・

祈りつつ2008年最後のブログを終わりたいと思います。


それでは良い年を!


 (東京スカパラ話はまた来年!)


Muchas Gracias todos !

Hasta nuevo ano 2009. ('-^*)/















 






Hola ! Como esta? ずいぶん寒くなったけど風邪とかひいていない?
今回の話しは引越し! 先回 綴った通り、空き巣にやられたオレは
引越しを強く希望していたのだった。先月何とか会社の許可がでた為、
なんとか無事 引っ越しをする事が出来た訳です。
今度の住処はなんと新宿! 新宿も少しメイン処から距離をおくと
驚くほどで庶民的で静かなんだよね・・ 
今まで高層マンションの幹線道路沿いだったので車の騒音が悩み
だったけど今度は入り組んだ路地先マンションの1階なのでかなり静か。

そんなこんなで新しい生活環境を手にいれた訳です。

でも引越しは大変でした。
でももっと大変な引越しをスペインでは経験したのです。

と言う訳で今回はスペイン引越し話を綴ります。

何を隠そう、私はスペイン転勤が決まった2001年6月から
帰国した2005年10月まで海を越えた引越し2回と、営業所の引越し、
はたまたマドリッドの自分のマンションの引越しと計4度の引越しを
経験した上、日本帰任の際は、愛犬マリンちゃんの輸出まで成功した
経歴をもっている。 ちなみにマリンちゃんは2005年度から改定された
犬の輸出入に関する法律を初めて適用された記念犬なのである。 
マリンちゃんの渡日話は壮絶だが、ながくなるので次回にでも綴ろう。
会社の引越し話も更に壮絶であったのでまた別の機会に。

今回はオレの引越し話です。

賢明な読者の皆さんであれば、引越しなどと突っ込み所の多い状況で
あれば必ず何か問題が発生した事を想像しうるのではないだろうか。

一つ言える事は・・

スペインの引越しでは必ず物がなくなるのです。

オレがマドリッドで最初に暮らしたのは以前の話の通り、マドリッドから
北に20キロ程にあるMAJADAHONDA市である。(以下M市)
たまたま知り合い(T沢さん)にすすめられたのがきっかけであったが、
市内とは比較にならない程の緑の豊かさや、静かな環境を一発で
気に入ったのであった。

しかしオレは一つ大きな事を見落としていたのであった。

M市には旧市街と新市街があり、旧市街は治安が悪く悪さをする、
モロッコ人やコロンビア人が多いのである。

私が暮らし始めたマンションは旧市街のど真ん中であった・・

そんなところでジャパンマネーの匂いのぷんぷんする日本人が暮らす
のは、田舎から出てきたチェリーボーイがいきなり歌舞伎町で暮らす
のと意味は違うが、ある意味、同じ意味である。

悪者からしてみたらオレはねぎ鴨(鴨ねぎ?)に見えたはずである。

しかし契約してしまった以上、しばらく旧市街で暮らすしかなく、
他の日系企業の駐在員同様、安全な地位でプール付きのマンション
で暮らす事がそれ以降の一つのモチベーションとなった。
(まるでハマショーのMONEYの様だ・・多分分かんないだろうけど)

そんな日を夢に見つつ、モロッコ攻撃に怯えながら暮らす日々であった 
約2年過ぎた夏、会社の業績も好転、給与もそこそこ上がった事も
あり、M市の新市街にある、プール付きマンションについに引っ越す事に
なったのであった。 引越し業者はスペインにも数多くあり、適当に
一番安い会社に決めたのであった。 期待に胸を膨らませた引越し
当日、驚愕の事態に直面した。 

なんと・・・

作業員全員がモロッコ人だったのである。

それも目つきの悪い本物である。
まさかここまで追いかけて来るとは・・

彼らがオレの部屋を見渡す様は、作業の段取りと言うより、明らかに
ぎらぎら感たっぷりの、物色している様であった。 
多分昼は引越し屋、夜は窃盗団が濃厚であった。

オレはこんな緊張感たっぷりの引越しは過去に無く、未来にも二度と
経験する事は出来ないと思う。作業しながら彼らのポケットが
膨らんでいったのは気のせいではなかった。 

引越しを終えた後、荷物を整理すればするほど物がなくなって
いたのは言うまでもあるまい。それもポケットサイズの小物類が大打撃
を受けていた。 日本からの持ってきた時計、携帯、電子手帳などは
もちろん、Tシャツや帽子なんかもなくなっていたのだ。
まるでアウトレットショップである。 

スペイン人のアルちゃんを通じクレームしたが取り合ってもらえなかった。
彼ら曰く、その時言ってもらわなければ証拠が無いとの事。
その時ってなんだ!と思わず突っ込みたくなるよね。

後から聞いた話では、スペインの引越しは名の知れた業者以外では
平気で物がなくなるとの事。 そんなの早く言えよ~~! と更に
突っ込みたくなる話である。

余談であるが、先日新宿に引っ越した際の業者はアー○引越し社で
あったが、作業員の中に一人モロッコ風の外国人がいてびびった。
まさかお前らも・・ と思ったが、何も無くならなかったけどね。

しかしスペインの引越しは侮れない。 
皆もしスペインで引越し業者を使うなら慎重に。

物が無くなる可能性大である。

今回はこれで終わり・・・ 
いつも読んでくれてありがとう!

次回は東京スカパラダイオーケストラが来た時の事件です。
お楽しみに! Venga ! Hasta luego !!
Hola ! またしても久々の更新です。
最近、公私とも忙しくなかなかゆっくりとパソコンに向えないんだよね・・
といえども 頑張って更新してゆくので気長にお付き合い下さい!

という訳でやや恥ずかしい病院話の続きです。

病院話第3話・・・ 今回はなんと入院!

ある日 またしても腹部の痛みを感じた・・
そんな話をスタッフのフランシスにしてしまったのが始まりであった。

以前このブログにも登場したが、フランシスの奥さんは医者であった。
と言えども、オレの帯状疱疹を、毒クモによるアタックであるという
豪快な誤診をする良く言えばおおらか、悪く言えば危険な医師であった。

心配性のフランシスはまたしても奥さんに私の症状をチェック!
即時病院で検査となったのであった。

フランシスの愛車 SEAT(スペイン車)に乗せられた私は、
彼の奥さんお勧めの大病院に到着、周りのスペイン人の視線を
一身に受けつつ診察台に向かったのであった。 
そして色々検査された上、血まで抜かれた私はなんとレントゲン
までとられ最後には変なCTまで登場した。 そして出た結論は
異常なし・・ であった。 しかしその医師はあきらめない。
入院して更に検査をしたいとの事であった。 なんとしてでもオレを
病人したい・・という変なやる気におびえつつ6人部屋の病室に案内
されたのであった。 

しかしそもそもなぜ入院しなければいけないのかが分からない。
付き添いのフランシスもいつもの様に首すくめポーズであった。

ベッドに寝かされた私は、ものすごく痛い注射をうたれた。
もちろん何の注射かも分からない・・

頼みのフランシスも帰宅してしまった後であった・・

そして見たことも無い太いプラスティック製の針をオレの腕に刺す
準備を始めているではないか・・! 
これは何かと必死に確認中の私を、全く無視しながら年配の看護婦
うたれた針は点滴針であった。 そして何か分からん点滴が始まった。

想像してみてもらいたい。

ちょっとおなかの調子が悪かっただけであった。
異国の病院で一日かけて精密検査の上 あっという間の入院。
何がなんだか分からない注射や、点滴のオンパレードである。
そしていきなりの消灯であった・・

なんて1日だ・・  と思いながら隣のスペイン人親父のいびきが
始まった頃やっと点滴が終わった。 とにかく太い針だったので早く
抜きたくて仕方なかったが看護婦は来ない。 おまけに良く病院に
ある呼び出しブザーも見当たらない。

ここは本当に病院なのか・・
こうなったら自分で針を抜くしかない。

そう思った私は自力で針を抜き、その出血に対応した。
その直後、例の看護婦の登場である。 

鬼の様な形相でスペイン語でまくし立てられ、抜いた針をいきなり
消毒もしないで再挿入した。 抗議する気力も失ったオレは眠れない
まま朝を迎えたのであった。

そして朝食・・

なんと鳥が一匹 目の前に置かれたのである。
良く見ると毛も結構ついたままのワイルドな一品であった。

少しなめてみたが超薄味で、その辺の山で捕まえた鳥をただ
ゆでただけなんじゃないか・・ といった山男料理だ。
そんなオレを横目にとなりのいびきオヤジはガツガツとその鳥を平らげた。
まさに弱肉強食、輪廻転生の世界であった。

そしてオレのもっともディープな疑問は・・
腕に刺した極太の点滴針であった・・・ 
点滴は夜中にとっくに終わり針のみ再挿入された状態であった。
そもそも何でこんな目にあっているのか・・・・

その後フランシスと奥さんのノエリアが病室に来てくれた。
先回の毒グモ事件で迷惑をかけたから、今回は徹底的に検査する
様病院側にコネを効かせてくれたらしい・・

そして出た結果は 「異常なし・・」
退院直前まで極太針はそのままであったのは言うまでもあるまい。

今回もノエリアにやられた気がするが仕方ない。
なんて言っても悪気は無いのである。 
そして入院しての検査はいったいなんだったのだろう。
検査されていない気がするが・・・
そしてあの極太針による執拗な拷問・・

でも細かい事に腹をたててはいけない。

なんたってスペインである。

全てを笑い話にしてゆく事が一番大切だって事。

  病院話はまだまだあれど、一旦終わり!
 
  次回は引越しの話でもしようかなぁ・・
 
  じゃぁまた! Hasta luego!!  
Hola ! Como estas?

突然ですが空き巣にやられました。
盗まれたものもあり結構ショックではあるが、何より
第三者が部屋に侵入したイメージが気味が悪いんだよね・・
という訳で引越します!!

皆も空き巣は気をつけて!

今回は病院話パート2です。

先回女性医にずぼっとやられたおかげで、すっかりスペイン医師に
不信感を募らせたオレであったが、ある日猛烈なわき腹付近のの
痛みに襲われたのであった・・・

これが後々家庭の医学で調べたところの別名 「痛みの王様」
と名を馳せる程の病気であった。 その名も 「尿管結石」!!
腎臓で何故か出来た、とっきんとっきんの石が尿道に詰まるという、
考えただけでも痛々しい病気であったのだ。

信じられない痛みでのたうち回りながら救急車(ダイヤル061)を
思い出し、何とか自宅の住所を告げた状態で痛みの沈静化を願ったが
その気持ちをあざ笑うかのように痛みは急上昇であった。

そして救急車はこない・・

サイレンが遠くから聞こえている様な、いない様な・・ 
生殺し状態であった・・・

耐え切れず救急に電話をすると、もうすぐ (アオラ ミズモ)を連発
するだけでらちが明かない。 

仕方ない・・ 自力で救急病院に向かうしかない・・
急に気合が入った私は一石即発状態で欽ちゃん歩きのまま
救急病院に向かったのであった。

しかしとにかく痛みがひどく、気が遠くなるほどであった。
病院近くの植木に倒れこみ、しばらく気を失った状態に陥った程。
 
捨て身のパントマイムで救急病院に飛び込んだ私を、どうやら
日直の若手医師 2名はなにやら楽しげに迎え入れた。

あの救急車はその後どうなったのか・・

薄らぐ意識の中で考えながら診察台に横たわった。

しかしなにやら様子がおかしい・・・
なんと若手医師がオレに要求したのは、なんとズボンを降ろせ
サインであった。 一気にほろ苦い思い出に包まれた私は、もしや?
またしてもあの行為が繰り返されるのか?と自問自答の嵐であった。

その刹那・・  

またしても私の○門に何かが侵入した!

「ぐっふ!」

またまた私の脳裏に幼い頃の思い出や・・・
ほろ苦い初恋の記憶、友人や家族などの面影が走馬灯の様に巡った。

そして・・ なんでこうなるの~ を心で繰り返しつつ
○門の違和感におびえた・・ 違和感があるのだ。

どうやら座薬が挿入されたようであった。
しかし、そうならそうとアイフルのように、「事前に確認しましょ!」である。

そんなこんなで座薬が効き始めたのか痛みもやわらぎ、
やや軽い欽ちゃん歩きで帰宅する事が出来たのであったが・・
2度もはずかしめを受けた衝撃により、ますますスペイン医師に不信感
を募らせたのであった・・ 

そしてあの救急車は結局どうなったのであろう・・・

今回はここまで!
                       Gracias! Hasta luego !
                    
Hola ! 突然ですが今回は病院の話です・・
なかなか海外の病院事情は分からないのではないでしょうか?
オレが滞在5年で数度体験した、おそろしい病院体験話です!
結構色々あるので、また前半/後半で綴ります。
ちょっと恥ずかしい部分はさらっと流してください・・

病院の話をする前にまずはスペインの医療事情は微妙である。

スペインのIVA(消費税)が16%で分かる通り、社会保険が手厚く
居住許可さえ持っていれば無料で診察をうけられる。
そしてその全ての保険証(カード)に指定病院と主治医が
決められ、事前予約の上、決められた病院で診察を受けるのだ。

但し、社会保険の医療施設は結構いい加減で、緊急なのに
手術が予約で3ヶ月待ち なんて事もある。なので在留人は
殆ど民間の医療保険に独自に契約して万全を期していたが
オレはそんなお金がなかったので社会保険一本であった・・

そもそも結構高い税金を払って手にしている社会保険なのに
アフリカからの不法移民者やジプシーなどは急患を装い、
平気で無保険で治療を受けたり、子供をばんばん生んだりしていた。
変に慈悲深いカトリック国家だけあって、誰からかまわずピンチの
人には手厚いのだろう。 でもなんか変で損した気分である。

そんな中、オレの最初のピンチは渡西半年後位にやって来た。

妙にお腹が痛かったのだ・・

さすがにこの時期のオレはスペイン語 超初心者コースであった。
しかし果敢(無謀)にも指定病院に出向いたのであった。
高い税金を納めているので、病院にいかねば損!
といういやしい根性丸出しであったとも言える。 
そんな直接交渉であった。

受付で社会保険カードを高らかに掲げ、すかさずお腹を押さえ、
指をさし、その度に顔をゆがめる変なパントマイム
でお腹の痛さを表現したオレを冷ややかに見下げたセニョリータは
なんとなく意味を理解したらしく 第一関門突破 

待合室でしばらく待たされた後、「ケニチ!」(オレの名前はkenichi)
と、声高らかに診察室からお呼びがかかった。
主治医と初対面であった。

なんとオレの主治医は女性であった。
一瞬 ラッキーと思ったが良く考えると多少の気恥ずかしさがある
でも総合的にはラッキーだ・・!などと考えているうちに診察が
始まった・・が何しろ言葉が通じないのである。
受付で効いたパントマイム進化バージョンを演じているオレを、
何故か鬼の様な形相で聞いたセニョリータは、スペイン人特有の
肩をすくめて「だめだこりゃ・・」的に返した。 

第二関門突破ならず・・ っていうか関門が何か分からない・・

そんなオレを横目に、なぜかセニョリータはゴム手袋を
つけ始め、気合の入った目線でオレを手招き、そして何故か
壁に手をついて、四つんばい姿勢を指示するではないか・・

いったい何が始まるのか・・
なんと、ズボンを下ろせという指示まで飛び出した・・!

言葉が通じない異国の診察室の中、いきなりの屈辱的な姿勢・・
おまけに上着はそのまま、ネクタイまで締めている状態である。

何がなんだか分からないままでいると、いきなり ○門に
セニョリーターのゴム手袋の人差し指が飛び込んできた・・

「ぐっふ!」

良く分からない心の叫びを上げつつ、両親や、友人、
はたまた幼い頃の思い出が走馬灯の様に駆け巡った・・

一瞬の間隙を経て、オレの直腸付近の触診を終えたセニョリーターは,
「vale・・」(okの意味) と一言だけ発し さりげなく
ゴム手袋を処理したままオレを置き去りにした・・

後々聞いた話では、欧米、特に欧州では直腸がんなどの病気が
非常に多いのだそうだ。 なので腹部異常の際は、
必ず触診などで異常をチェックするものらしい・・

しかし想像してもらいたい・・

異国の地の初めての病室で・・
言葉も通じず、一見きれいなセニョリーターにいきなりの
屈辱姿勢から○門アタック・・
触診という医療がある事も知らなかったオレである。
何がなんだか分からず 変な気分になってしまったの
は言うまでもあるまい・・・ その後変な薬を渡され、
しどしどと内股で診察室を後にしたのであった・・

マジにこれがスペインの初診察の思い出である。

そして更に恐ろしいスペイン医師たちの攻撃を、
この先幾度も味わうことになるとは・・・

この時は想像も出来なかったのであった。

次回入院話を赤裸々に綴ろう!

                   Hasta luego !

 最後のお客様の安否確認が終わったの、お客様が外出先から
ホテルに戻った夜11時過ぎだった・・ 
Atocha駅を利用するツアーのお客様は全て別の駅からの行程に変更
したり飛行機へ変更、送迎をアレンジしたりしたのだが、一斉に多くの
旅行会社が同じ対応をした事により様々な手配、確保が
本当に大変であった・・・・    ・・・が何とかなった。
帰宅したのは既に日付が変わった12日 スタッフの頑張りもあり、
上手く全ての確認 対応が出来た・・ 
(当時の支店のスタッフ・・ Kさん Yちゃんが頑張ってくれた)

そんな安堵感に包まれた・・

その後、驚いた事に本社から連絡が入った。
最終の安否の確認の為であったが、日本は夜が明ける時間のはずだ。
いったい何時まで働いていたのだろう・・
あらためて事の大きさと、日本側の対応も大変であった事を実感した。

結局今回の事件は、約13ヶ所にダイナマイトが仕掛けられ内10ヶ所が
爆発したとの事だった。すべて携帯電話による遠隔操作の起爆であり、
9.11みたいな自爆テロでは無かった。

余談だが・・  スペインの報道は日本と違う。
倫理観の違いかもしれないが、スペインの報道は全てをそのまま
出来る限り近くでとった画像を放映する。 なので日常でテレビを見て
いると目をふさぎたくなるシーンがしばしばある。

スペインと日本の報道を比較するとスペインはとにかく全てを見せ、
内容の説明は薄く、視聴者に考えさせようとする報道が多い。
反面 日本の報道は様々な資料や言葉で事件を暴き、ドラマ性を高めた
決め事として視聴者に落とし込む気がする。

マドリッド同時テロの報道も壮絶であった・・

新聞も、ニュースも亡くなった方々の無残な画像ばかりで、放心状態
で頭を抱える負傷者の男性、血だらけで運ばれる少女・・・ あまり
詳しくはやめておくが、オレは本当にしばらく食欲を失ったくらいだ・・

犯行はETAによるテロ事件説が一般的であったが、なんとETAから 
自分達の犯行を否定する声明が出されたのだ。アルカイーダの
犯行が疑われたが、スペイン政府は強固に否定し続けた。

これには理由があった。

実はスペインでは14日に総選挙の投票を控えていた。 
ニューヨークの9.11事件後、中東で軍隊を展開するスペイン政府にむけて
アルカイーダの犯行であったとしたら、今回のテロの発端が現行の
スペイン政府という事になり、国民感情を考えるとまず総選挙に
勝てない。 政府がETAの犯行を主張し続けたのはそういった
背景によるものだった。

ETAの犯行にすり替えようとする政府の動きがみえみえだった事もあり
市民は現行の政府を強く非難した。その後、世論の感情を配慮して
主要政党は選挙運動の中断を表明した。
政府は11日から3日間を服喪期間とすると発表し、
全国民にテロ組織との闘いを様々な方法で呼びかけた。

そして一夜空けた12日・・・
アトーチャ駅は驚くほど早く機能を回復し始めた。 
まるでテロには屈しないっという国民のメッセージの様だった。
人々は黒いリボンを手にして、亡くなった犠牲者への思いと、テロへの
怒りを表現した。 多くの町でテロ撲滅のデモや集会が始まり、
事件現場では犠牲者に心を寄せるように・・・
多くのキャンドルに灯がともった。

今オレの家の引き出しを開けると、黒いリボンの切手が貼られた葉書
が大切に保管されている。

3.11を忘れない・・ テロに屈しない・・
 
そんな未来向けのメッセージがこめられた追憶の記念切手である。
葉書の内容は関係ないが、その切手が貼ってあった葉書や封筒は
捨てられないで全て日本に持ち帰る事にしたのだった。

その黒いリボンを見ると鮮明に当時の記憶が蘇る。
最悪の出来事、卑劣な犯行・・  悲しみや憎しみを感じるはずなのに・・ 
なぜか少しだけスペイン人の強さや、正義、そして未来への希望に
触れるような気がしてしまう。
その感情は多分、その時マドリッドにいないと分からないと思う。
事件後のマドリーニョ(マドリッド人)はもちろん、全てのスペイン人
が一つになったのを実感したからだ。

テロに負けない!屈しない!

一人一人の力は僅かだけど・・それを結集した強さと意志を
オレは現地で感じたのだ・・・
200名以上の尊い命は消えてしまったけれど、その魂は彼らの強い意志
とともに生き続ける・・   本当にそんな風に思えたし感じた。

日本で同じような事件がもし起こったら・・
きっと人々はそんな風に強く団結できない気がするなぁ・・

皆はどう思う?

そしてこれからも人類は続く・・・
そして同じように災害や事故、事件なども続いてしまう・・・
いつその対象が自分になるか予想出来る人はいない。
すごく俗的な言い方で恐縮だが・・ 次は自分の番かもしれない・・

だから今を大切に精一杯 生きてゆきたい。
良い人生は後で後悔しない人生だと思う・・
バルセロナ郊外のバルでUさん(現地の親友)とよくそんな話をしたなぁ・・

3.11・・・

手の届かない程の深い悲しみと怒りは・・
彼らの強い意志となり世界中の人々へのメッセージに変わった・・

NO MORE TERRO
Hola・・ 

先回 カナリア諸島の事を少し綴ったばかりなのに・・
マドリッド、バラハス空港で原因は現在不明だがカナリア諸島行き
スパンエアー機が離陸に失敗。
150名以上の方が亡くなる大惨事となった。


オレも良くこの時期、カナリア諸島行きのスパンエアーを利用したので、
その時の機中の雰囲気なんかを思い出し・・
今回の事故に照らし合わせるとすごく複雑な気持ちになります。
離陸直前、機内で旅行を楽しみにしていたスペイン人やドイツ人
オランダ人の子供達のはしゃぐ様子を想像してしまい・・
想像出来る訳が無いその時の一瞬の刹那と 人の運命みたいな
ものを結び付け、色々と考えてしまいます。 

お亡くなりになった方々へ 心からご冥福をお祈りします。

こんな惨事や事故を見聞きするとあの事件を思い出す・・

3.11 マドリッドの無差別列車同時爆破テロ事件・・

200名以上が亡くなり 1.500名以上が重軽傷を負った、
テロとしては、スペイン史上最悪の許せない事件である。
今回はその事について綴ります。

もちろん笑いは無しだけど、オレ自身がスペインを語る上で
外せないもっとも忘れられない出来事だ。


2004.3.11 多分朝7時頃だと思う。
いつものように起き、いつもの様にシャワーを浴びて
いつもの様に身支度をしていた最中に携帯電話が鳴った・・

電話表示からガイドの知り合いからという事がすぐ分かったが
今までこんな時間に連絡を受けた事は殆どなかったので
なんとなく嫌な予感がして電話をつかんだのを覚えている。

「小林さん!ATOCHA駅(アトーチャ マドリッドの中心な総合駅)で
大きな爆発があって大変な事になってるみたいだ!駅も閉鎖されて、
負傷者も結構でているみたいだよ!」

正直マドリッドはETAという反政府ゲリラが良く爆発テロを仕掛け、
日常的に事件となっている。

「またETAかなぁ・・ でもATOCHA駅というと旅行者はかなり利用する
はずだし通勤時間だから大きな被害が出ていないといいが・・」

とにかく家を飛び出し、車に乗り込み、いつものFM番組でなく、
スペイン国営放送を呼び出し情報に集中した。 そして、いくつかの
事がわかり始めた。

予想以上に被害が大きく、朝の時間帯、多くの通勤者が巻き込まれ

何十人も死者が出ている事・・ 

いくつかのRenfe(国鉄)の車両を狙った同時テロである事、

ETAによる声明 (テロの後は必ずある)は出ていない。

その後、東京の本部から状況確認の連絡があった。
名古屋や大阪のツアー企画担当者、営業の責任者なんかからも
ひっきりなしに電話が鳴り続け、運転中でありながらも電話の
対応に追われる様にマドリッドのオフィスにたどり着いた。

当時我々の支店は既にインバウンド(現地ツアー手配)をスタート
しており、日本から送客頂いたマドリッド滞在者のリストアップ、
また念のため、ホテル予約のみのお客様も含め全てのお客様
の安否確認を支店のメンバー全員に指示した。 
当時の日本人スタッフ、全員がとにかく電話にかかりっきりとなった

そしてぞくぞくと入ってくる情報によると、3つの駅で4つの列車が
10分の間に次々と爆弾が破裂、どの列車も大破しているとの事・・
また死者予想も大幅に訂正され、200名以上の可能性があるとの事・・・
最悪の状況であった・・

もちろんお客様の安否は重要だが、現地の友人や知り合い、関係者
の多くがその時間帯 アトーチャ駅を利用しているはずだ。
皆 巻き込まれていなければいいが・・・

そんな事を思いながら安否確認を続け、夕方頃までには殆どの
お客様と連絡がとれ安否が確認された。 また友人や知り合いも、

ほんの数分違いで難を逃れた・・ 
爆発する1本前の電車に乗った・・

などの冷や汗の実話はあれど皆無事である事が分かった
大使館関係の知り合いの情報で、日本人の被害者情報が無い事
少しづつ確かなものになっていったのも事故当日夕方位であった。

それでも我々は、未だ連絡が取れていないお客様の
安否確認を続けつつ、身近にとんでもない惨事が起こった緊張感から
抜け出せずにいたのだった。

                          ----後半に続く




 













Hola ! Como estan?

まだまだ暑い日が続くけど、夏バテしてない

俺は8/14から休みをもらい、名古屋に帰省しました。
愛知県の南側、知多半島からフェリーに乗って、「日間ヶ島」
という 蛸(たこ)(何か笑える・・)が名産 の島へ両親、妹達他、
総勢9名でしばしのバカンスを満喫して来ました。
波乗りには毎週の様に通ってるのに、何気ない海水浴が
メローな感じで楽しかった。

沖のテトラまで泳いだり、飛び込んだり・・

岩場で潜水したり、浮輪で漂ったり・・

昔は夏になると、海水浴へ家族でよく出かけたんだよね・・
いつも間にか行かなくなってしまたなぁ・・
そんな事をふと思いながら充実した日間ヶ島旅行でした。 

夕食はもちろん蛸料理・・ 丸ごと出てきました(笑)
そしてえびの踊り食い・・
こいつらも家族やら恋人やらいるんだろうな・・ とか思うと
なかなか手がつけれなくなるんだよね。 
遠くからドナドナの歌が聞こえて来たのは俺だけ?だと思う・・

前置きが長くなったけれど今回良く行った海の話を少しだけ・・  

ご存知の通りマドリッドは海抜1.000m位で、周りは山ばかり、
海は地中海に面してたくさんある各リゾート地が人気です。
それでも車で行くしかないので、Autopista(高速道路)
ぶっ飛ばしても3~4時間かかる。おまけに夏は
お気楽スペイン人が民族大移動となるので渋滞に
巻き込まれると悲惨である。スペインにAT車はほぼ無い。
MT車のStop&Go は足先がぷるぷるしてしまう。

という訳で俺はもっぱら喧騒を避け、北部の海探しに
出掛けたものだ・・ 情報は何も無く空港の本屋で買った・・
Guia de Surf en Espana(スペインサーフィンガイド)片手に
愛犬のマリンとイーグル号(覚えてる?)
で色んな海岸に出没した・・

冒頭の日間ヶ島と 蛸(たこ)つながりなのだが・・
スペインの北の端にあるCadizという都市の名物料理も蛸である。
街中 凧揚げの様に蛸(洒落では無い)が飾られ軽く不気味だが
バルで食べた蛸(pulpo)はやわらかくてほんとに美味しかったなぁ。

スペインで一番良かった街は?・・
良く聞かれるのだけど、俺の一番はダントツに 
「カナリア諸島」の島々である。 
詳しくは省くし、詳しくは別で綴る予定だが、
カナリア諸島で過ごした思いでは俺にとって相当である。
日本からの乗り換えは大変だが、認知度が高まれば
かなり人気が出るリゾートなのは間違いない。
この旅行記は今度詳しく綴るね。 結構笑えるはず。

では今日はこのへんで・・・
                 Hasta luego!!
                   

Hola! Como estas! 

Hace muy calor no? !


毎日暑いね・・

でもスペインの夏も暑かったなぁ・・


でも滞在中5度の夏をエアコンなしに乗り切ったのです。

気温が40度を超えてもマドリッドは湿気が少なかったので

何とかなったんだよね・・・  


スペインの飲み物の話・・


バールのテラサ(テラス)でよく飲んだのが Tinto de Verano

赤ワインのソーダ割りなんだけど、これがかなり美味い!

でもがぶがぶやっちゃうと赤ワイン配合だけにすぐ酔います。


あと女性がよく飲んでいたのがclala(クララ) 

ビールのソーダ割りなんだけど、これもかなり美味い。

ソーダはカセロ(綴り忘れた)といって、日本のサイダー

みたいなものが人気でした。


ビールはmahoo(マオー)や cruz campo(クルスカンポ)

なんかが一般的でした。それもスーパーで

70centimo(80円位)お店でも1.5euro位(200円位)なのに

新宿のスペインバルで800円位しててびびリました。


オフィスの冷房は最悪だったなぁ・・

もともとのオフィスはスペインビルの22階、西日ががんがん

あたるのに冷房が壊れてばかり。修理を依頼すると

涼しくなった秋くらいにやっと業者が来てまた次の夏に

壊れるスペインならではの厄介な流れにまきこまれ最悪でした。

そして山火事がすごかった・・

家のベランダから遠くの山が真っ赤に燃えてるのが

はっきり見えるのです。 オレンジ色の炎が揺らめいて

一見きれいだけど、民家まであと何百メートルとか緊迫状態が

ニュースでやっていて人事じゃない緊迫感を感じました。

郊外に向かう道沿いの山が丸焦げ後だったのはすごかった。


そして恒例の日本人会主催の盆踊り大会!

日本レストランがさまざまな日本食を振る舞い、

マドリッド音頭なるフラメンコ風の盆踊りを日本人、スペイン人

入り乱れとにかく踊るのです。 俺はもっぱら飲んでばかり

だったけどね・・


真夏の忘れられない記憶というととにかく子供の叫ぶ声!

俺の住んでいたpiso(アパート)には、中庭になんとプールが

あって、毎日のように子供が大絶叫ではしゃいで、

ものすごくうるさかったのです。 

それも何かよくわからない歌を歌ったり、

プールに飛び込んだり、泣いたり、喧嘩したり・・

子供の生態のすべてが垣間見れたあの夏の我が家のプール・・


子供がはしゃぎだす前の朝の時間帯に、一人水面に浮かんで

見上げた真っ青な空の真っ白なスペインの日差し・・


とにかくスペインの夏は暑かった!!

          

                    Hasta luego !!
    




Hola ! Como esta?


雨の東京・・  

ほんとに梅雨は気が滅入るね・・


でも冷静に考えると梅雨がもたらす効果は数知れず・・
作物が育ったり、夏の水不足が防げたり・・
ゆっくり出来たり、傘がさせたり 紫陽花が咲いたり・・、
そして何より・・ 晴れた時うれしい!


同じように、普段直面する様々な嫌事も、
   何かうれしい出来事に繋がるものかもね・・


でも早く梅雨明けしないかなぁ!


今回はテニス話!


賢明な読者の皆様であれば このスペイン話の面白出来事
の影には、常に酒にやられちゃってる俺、または友人との
出来事が多く、言い換えれば普段飲んでばかりなんだなぁ・・
とか思われても仕方ないのだが・・  


実際は違う。。


かなり健康的であったのだ。

先回の釣りはもちろん、サッカーもやっていたし、
そしてもっとも燃えたのがテニスなのだ。


俺はもともと高校時代は女性12名 男性たった2名の
超軟派なテニス部でなんとキャプテンも努めた男なのである。
(ちょっと恥ずかしいが、軟派の上に軟式テニスであった・・)


スペインはご存知?の様に屈指の世界ランカーを多く
排出しているテニス天国である。 いたる所にテニス場が
あり料金も格安である。 日本のぶっちぎり料金と比べると、
一流ホテルのしっとりディナーと場末の居酒屋程の違いである。


おまけにオープンテラスのバル(BAR)なども併設されており
テニスで汗を流した後、気があったテニス仲間達と
わいわい飲む夏の木陰のビールは、どこからか
Quieenの「I was born to love you」が聞こえてきそうな程である。


という訳でスペインで知り合った様々な友人達と、
会社帰りの夜間や週末のどちらかは必ずテニスをやった。

しかし高校時代のなんちゃってテニスとは訳が違う。

MトラベルのDさんがいたからである。


Dさんは今でも付き合いのあるMトラベルのおえらさんだが、
人生感や仕事の姿勢で妙に気が合い影響を受けた人物である。
そして無類のテニス好きでおまけに熱くラテンな人物だ。

そんな彼と主にテニスをしていた事もあり、皆でコーチを
雇って指導を受けたり、「Vamos!!」などと叫びながら
本気で試合をしたりしたものである。


しかも真夏のテニスは地獄である。

ただでさえクレイジーな暑さで死者が出るほどなのに、
コートのコンクリートで増幅した刺す様な熱気は
SPF50であってもこんがり日焼けしてしまう程であった。


そんな中ふらふらになりながら必死にテニスに熱中
したのは何でだったのだろう・・・


それはきっと日本の都会での生活とは違い
贅沢とか物欲とか 流行とか見栄なんかを気にしない環境で
一番自分がしたかった事が素直に出来たんだろうなぁ・・・


想像してみて。


ぎんぎらの太陽の下・・
気の会った仲間とスポーツで汗を流す・・

さっとシャワーを浴び着替えた後・・
テニス話やばか話を肴にきんきんに冷えたビールとタパス・・

本気でスポーツを楽しみ、思いっきり笑う・・

22時過ぎまで暮れない太陽が少しづつ暮れて・・
夕日の変化を感じながら・・・ 
最後は最高に美味いワイン・・・


どう? 最高じゃない?


日本ではなかなか難しいけど、仕事やストレスに
巻き込まれてしまう生活だけはごめんだね。


人生は一度っきり・・

過ぎた時間は戻らない。


色んな経験をして、前向きに楽しく生きてゆきたいものです。


           ちょっとながくなってしまった・・


           またねー! Hasta Proximo !