夕刻の帰り道、遮断機を抜けると秋の香りがした。過ぎ去って行った夏は足早で、まるで心変わりしてしまった恋人のように、無慈悲に何も残さず消えていった。毎年のことながら夏の終わりを実感すると妙に心が急いてしまう。それは今年も例外ではなかった。
具体的に何に焦るわけでもなく、ただ漠然と心がザワザワする。上手くいかない仕事に、上手くいかない私生活、口うるさい大家の苦情にはいい加減限界がきている、焦る要素は沢山あるけれど、それら全てとは無関係にそんな小さな事とは関係ないレベルで夏の終わりは漠然と焦燥する。青き時代の終わりは果てしなく心にくるのだ。
どこか静かでどこか物寂しい、そんな住宅街を抜けてアパートに到着すると、ポストに1枚のハガキが挟まっていた。薄っぺらい電気料金の伝票と一緒に投げ込まれたであろう1枚のハガキはなんだか過ぎ去った夏を思い出させてくれるようだった。
それは絵葉書で、表面には達筆な筆文字で僕の住所が、裏面では綺麗な砂浜の写真が、電気もつけていないボロアパートの玄関先でも十分に分かるほど色鮮やかに存在感を放っていた。
原色のトロピカルな海、感触まで伝わってきそうな白い砂浜、海と同じ青なのにまるで違う透明感を持つ空、空気にまで色がついていそうなその写真は、まるで過ぎ去った夏の置き土産のようだった。夏への扉のようだった。
もう一度表面に返し、差出人を見ると親父の名前がこれまた達筆な文字で書かれていた。僕の住所と名前、差出人には親父の名前、書かれているのはそれだけで他に何のメッセージもなかった。
いつものことながら親父の行動は理解不能だ。何のメッセージもなく、こんなどこかの外国の絵葉書を1枚送ってきて何をしたいというのだろうか。いつもならすぐにでも電話をかけて何事かと問いただすところだが、ポッカリと心に穴が開いてしまっている今の僕にできそうにもない。投げるようにテーブルの上に置いた。
ゴミをまとめ、朝に出せるように玄関先に置いておく。こうしておかないと大家がうるさい。夜遅くなると大家がうるさいので洗濯機を回す。バタバタと日常の雑務を終えてパソコンの前に座り一息つくと、またあの絵葉書が妙に気になった。
机の上に手を伸ばし絵葉書を手に取る。この綺麗な砂浜は一体どこの写真なのだろう。よくよく見ると、写真だけだと思われた裏面の右下にはコピーライトの文字だろう、なにやら英語で書かれていた。その文字を頼りに検索にかけてみると、どうやらこの写真はバリ島の砂浜を映したものであることが分かった。
なぜ親父がバリ島の絵葉書を。全く分からなかった。うちの親父は頭おかしいキチガイで、なんかヒョコヒョコと落ち着きのないひょこひょこおじさんなのだけど、たまに意味深なことをし始めるから始末に悪い。もしかしたらこの絵葉書にも何か意味があるのかもしれない。ジャカジャカとうるさいテレビを消し、少しだけ親父と絵葉書、夏の日について考えてみた。
こういった絵葉書を親父から貰うのは初めてだけど、親父が絵葉書を買い、書いているのを見たことがある。そう、あれも確か夏の日だった。そしてその時も何もメッセージを書いていなかったように思う。確かにあの日、親父は絵葉書を書いていたのだ。
夏休みだった。小学校の夏休みは心踊るのとは裏腹に、暇との戦いだ。お金もない友達もいない宿題やる気もなければどこか旅行に行く予定もない、裕福な家庭でなかった僕は、とにかく暑さと暇さと戦っていた。その時にハマっていた遊びがウィリアムテルごっこで、ゴミ捨て場から拾ってきたダーツの矢を、弟に向かって投げるだけという、なんとも微笑ましい兄弟愛がそこにはあった。
泣き叫ぶ弟に、怒り狂う母親、その光景を見て親父は怒り狂った。うるさくて眠れん、静かにしろ!とまだ夜の7時だというのに布団に入り怒鳴っていた。当時、朝4時くらいにムクリと起きて仕事に行く親父のことを不思議に思っていた。朝4時に起きるために夜の7時には寝ていたのだけど、そんなに早く起きてどこに行くのだろうと不思議に思ったものだった。
親父に尋ねると、なにやら物凄く遠くまで仕事に行ってるから早起きなんだと言われた。暇で暇で仕方ないこの夏に心底ウンザリし、イライラを感じていた僕は、連れて行ってくれとせがんだ。仕事の邪魔をしないから連れて行ってくれとせがんだ。親父はしぶしぶ承諾すると布団の中に潜り、眠りについた。
次の日。朝4時に叩き起こされる。文字通り叩いて起こされた。夏で日の出が早いとはいえ朝4時は夜と言っていいほどに暗い。まさか本気にして早朝に叩き起こされるとは思わなかった。頭がグワンングワンするのを感じながら車の助手席に乗せられ、親父の軽トラックは、これから降り注ぐ夏の日差しに備えてるかのような冷たい街を滑りぬけていった。
3時間くらい経っただろうか。気が付くと、想像を絶する山の中にいた。僕自身田舎生まれの田舎育ちなんだけど、その田舎の中でもちょっとした街だった場所に住んでいた僕にとって、本当に想像を絶する山の中だった。人なんか住んでなくて神々くらいしか住んでないんじゃないかと思えるほどに緑豊かな大自然だった。
けれども、やはりこんな山奥にも人は住んでるみたいで、古ぼけた小学校がそこにあった。たぶん分校とかそんなものなんだろうけど、僕が通っていた小学校と同じくらいの規模の校舎だった。建設業を営んでいた親父は、どうやらこの小学校の工事を頼まれたらしい。夏休みで子供たちがいない間に工事しちゃおうっていうやつらしい。
緑に囲まれた小学校は魅力的で、他に工事に来ているオッサンたちも優しく、働く大人たちの傍らで校庭の遊具で遊んだり、裏の森で虫をとったりすっかりこの分校にはまった僕は、毎日親父についていくようになった。
朝4時に家を出発し、7時に分校到着。4時には親父の仕事が終わり、7時に家に帰りついて眠りにつく、その繰り返しだった。夏休み前はあれだけ嫌で行きたくなく面倒だった小学校に足しげく通う、それも規格外の早起きで。なんだか奇妙な感覚だった。
一度だけ貸切状態のプールに入る機会があった。基本的に小学校全体を改修しているので夏だというのにプールに水は張られていなかったのだけど、何かのテストという名目で水が入れられるらしい。そこで泳いで遊んでも良いと親父から言われた。
僕は大喜びで、物凄く綺麗で冷たい水が張られたプールに飛び込んだ。学校のプールだと、良く分からない様々な浮遊物や、たぶん中でしちゃったやつのオシッコとか混ざってるのだろうけど、何も混ざってない澄んだ水。しかも帽子をかぶれだとか、飛び込むなだとか、口うるさい筋肉ムキムキの体育教師もいない。水着なんて持ってきてなかったから、スッポンポンで泳ぎまくった。
水に漂うまだ剥けてない当時9歳の僕のチンチンはバナナのようで、さながらバナナフィッシュだ。時には優雅に漂い、時にはプールサイドでゆっくりと水面を眺める。小舟のほとりで佇むように、誰もいないプールに反射する太陽の光を楽しんでいた。
そうしていると、数人の地元の子供たちがやってきて、俺たちもプールに入れろと要求してきた。たぶん、夏の間、工事でプールが使えないのが不満だったんだろう、しかし遊ぶ場所もこの小学校周辺しかない。暑いなかやってくるとなぜかプールに水が張られ、訳の分からないガキがフルチンで泳いでいる。さぞかし驚いたことと思う。
そんな地元の子供たちの要求を、親父を含む工事関係者は快く承諾し、全員フルチンで泳ぐことになった。最初は僕も、向こうも人見知りしていたが、9歳の子供たちにとって仲良くなるのに理由はいらない。大人たちは理由がいるかもしれないが、そんなの関係なかった。
それからは、小学校に行くのがもっと楽しみになった。今まで一人で遊んでいただけでも十分に楽しかったのに、それを地元の子供たちと一緒にやるようになると途方もない楽しさだった。一緒に虫を捕り、川でも遊んだ。
そのうち地元の女の子グループと男子グループの対立みたいなのに巻き込まれたり、女の子グループのリーダー格の子に僕が恋をしたりもした。その子はリーダーを張るくらいだったから男勝りな性格だったけど、 愛らしき口もと、目は緑じゃなかったけど大きな綺麗な瞳をしていた。
夏休みも終わりに近づくと、何やら工事が間に合わないらしく、親父はその山奥の町に泊まり込みで工事をするようになった。小学校近くの民宿なのか民家なのか良く分からない場所に寝泊まり。もちろん、僕も無理を言って一緒に泊まらせてもらい、残り少ない夏を山奥で過ごす。
この当時、うちの母親は色々な疲れや、体の病気なんかに悩んでいて少し精神的に塞ぎ込みがちになっていて、僕と親父が山奥の町に長期間滞在することを快く思っていなかった。毎日、民宿に電話がかかってきて、早く帰って来いと半狂乱な感じで言われていて、僕も親父もちょっとまいっていた。親父は仕事だから仕方ないと言い、僕はそんな母親がいる家に帰るのがちょっと嫌だった。
滞在している間、地元の夏祭りに誘われて、そのリーダー格の女の子一緒に遊んでたりしていたら、同じように祭りに誘われ、地元青年団と酒を浴びるように飲み、何がどうなったらそうなるのか分からないけど何故か体に火をつけて火達磨になった親父が狂ったように走り回る姿を目撃し、
「あのおじさん、狂ってるね」
という彼女に対し、うちの親父だよとは言えず、黙っていたら、親父を知る男の子がやって来て、笑い男のようにゲラゲラ笑いながら
「お前の親父すげえな!走って風圧で火を消せるとか言って消せなかったぞ!川に飛び込んでた!」
とか暴露されて顔から火が出る思いをしたりと、色々なことがあったのだけど、どうにかこうにか夏の終わりと共に夏休みも終わり、もちろん改修工事も終わって、ついにこの山奥を離れ帰ることになった。
最後の日、何かお土産を買おうと町の銀座通りに位置する雑貨屋に親父と立ち寄った。ここはこの町で最も栄えてると言われる場所で、小さなスーパーとガソリンスタンドと農協と郵便局があって、その脇にひっそりとこれまた小さな雑貨屋があった。
中に入ってみると、テディベアを作ろうとして失敗したみたいな毛糸作りの熊の民芸品やら、誰が買うのか分からない木彫りの般若など、そうそうたるラインナップで、9歳だった僕は当然金がないので買えないのだけど、金があったとしても何も買わない、そんなレベルの品揃えだった。
そんな中で、親父は何やら色々と物色した後、一枚の絵葉書を買っていた。その絵葉書はこの山奥の町の名所らしい大自然を映した写真のシリーズで綺麗な紅葉や冬の豪雪、春の花々などどれも綺麗なものだった。親父ぐらい狂ってるのならば、その横に置いてあった豚が空を飛んでいる意味不明な絵葉書を選びそうだったが、意外にもこの町の名所らしい大きな滝の絵葉書を購入していた。
店の外に出ると、親父は早速その絵葉書の包みを破り、持っていた仕事用のペンで表面にサラサラと何かを書き始めた。住所を書いていたのだけど隠しながら書く親父の仕草を見てると覗いちゃいけないような気がして、どこに出すものか分からなかった。
サラサラと書き終えた親父はスルスルと隣の郵便局に行き、郵便局前に置かれた錆だらけのポストにその絵葉書をストンと投函した。結局、どこに出したのかも謎なまま、あの夏は終わった。楽しかった夏は終わり、あの山奥も、あの仲間たちも、好きな子も、火達磨の親父も二度と見れないと思うと、いや、火達磨の親父はその後も何回か見ることになるのだけど、とにかく、何かを喪失した気持ちが物凄かった。もしかしたら、夏が終わるたびに何か焦る気持ちが沸くのは、この夏の体験が原因なのかもしれない。夏が終わるとやる気がなくなるんだ。
最近、平成の大合併でその町は小さな町から少し大きな町に変わったらしい。合併で市にならず町のままというのがなんとも田舎らしいが、あの分校のような小学校は統合されてなくなったようだ。それでも建物自体は地域コミュニティのために使われているらしい。
そして、親父が出したあの絵葉書の行方だけど、なんだか聞くのも悪い気がして聞けず、どうなったものかと悶々としていたのだけど、そんなことも忘れかけた数年後、思いもがけない形で知ることになる。
あの絵葉書は母親が持っていた。
どうやら親父は、どこかに行くたびに母親に絵葉書を出していたようだ。何のメッセージも書かれていない、綺麗な風景だけの絵葉書。精神的に不安定だった母親は、その絵葉書を受け取る度に安心し、落ち着いたそうだ。エズミに捧ぐ――なんてかっこいいつもりだったのかもしれない。雄大な自然を見て落ち着くように、そう言いたかったのかもしれない。母は、その絵葉書たちを束にして大切に大切に保管していた。
そして、さらに数十年。目の前には親父からの絵葉書が、もちろん何のメッセージも書かずに置かれている。あの日、母に届けられた絵葉書のように。
親父はきっとバリにでも行ったのだろう。そしてメッセージのない絵葉書で何かを僕に伝えたかったのだろう。いつだって親父はお見通しだ。あの日、母に、滝でも見て落ち着けと伝えたように、バリの砂浜を見て落ち着けと言いたかったのだろうか。
もしかしたら、終わりゆく夏にやる気をなくし、気が滅入ってしまっている僕に、バリのように常夏の場所だってある。夏は終わらない。夏が終わったのならまた夏に向かって行くだけだ、なんて言いたかったのかもしれない。
とにかく、あの日の母のようになんだかやる気が出てきたのは事実で、あのキチガイもなかなかやるじゃねえか、バリに行ったついでとはいえ、絵葉書を送ってくれて無言のメッセージで元気づけてくれるなんて、とお礼の電話をかけると
「バリの絵葉書来たぞ」
「あ、あれバリなんか?」
と何やら様子がおかしい。
「四国かと思ったわ」
とにかく様子がおかしい。
「四国の桂浜かと思ったわ」
やっぱりおかしい。四国の桂浜はこんなにトロピカルじゃない。
どうも話を聞いてみると、親父が旅行に行ったのは事実らしいが、バリとかではなく大阪に行ったらしい。そこで美人なお姉ちゃんに騙されて500枚ほどの絵葉書を買わされたらしい。土地を買わされるところを粘り強い交渉で絵葉書に収めた、実質俺の勝ちだ、みたいな訳の分からないことを供述しており、恐ろしくていくらで買わされたのかは聞けなかった。
「出す場所がなくてな!これから毎日出すからヨロシク!」
何がヨロシクなのか全然分からないが、全く関連性もクソもない絵葉書が、毎日のように届く。猿が極寒に耐えてる風景や、モンゴルの夕暮れ、エスキモーの生活、マンハッタンの夜景、本気で何のメッセージ性もなく嫌がらせのように毎日届く。本当にやめてほしい。
過ぎ去る夏を想い、次に巡る夏に思いを馳せる。なんだかやる気を出して頑張ろうと思った。毎日来る絵葉書はうざくて発狂しそうだけど、バリの砂浜の絵葉書だけは、大切にしまっておこうと思う。あの時の母のように。