夜の帳が下りた繁華街は怪しく、それでいてどこか魅力的だ。
軒を連ねる飲み屋や風俗店、外国人パブの淫靡な看板は人を狂わせるに十分だ。毎夜、この怪しげな光の下で男女の思惑が交錯し、時に悲しみ、時に喜び、終わることなきドラマが繰り広げられているのだろう。
そんな重厚な夜の街を、ジャージ姿で闊歩する僕。周りを見ると皆、スーツやらドレスやら、夜の街にふさわしく着飾っている。どうにもこうにも理解の許容値を超えるのだけど、風俗店の呼び込みなのかナース姿の女性すらいるほどだ。どう好意的に解釈して夜の街にふさわしくない出で立ちで闊歩していた。
別にゴミ漁りをしていたとか、露出高めの夜の女性を鑑賞しにきたとか、そういうわけではなくて、普段は来ないこの夜の繁華街に来たのはそれなりの訳があった。
いつものごとく家に帰って寝たりオナニーしたり、お湯を入れて入浴しようとすると栓が緩んでるみたいで服を脱いでいる間に湯が忽然と姿を消すイリュージョン湯船と格闘したりしていたのだけど、そうこうしていると急激にドーナツを食べたい衝動に駆られてしまった。
ドーナツが食べたい。あの丸い甘菓子が食べたい。
それはもう理屈でもなんでもなかった。慟哭に近い衝動に駆られ、とにかくドーナツを欲した。おっぱいとドーナツだったらどっちがいい?と聞かれても勢い余ってドーナツを選択してしまうでなかろうか、というほどに追い詰められていた。
何事も我慢とは良くないもので、例えばココで、もう夜も遅いから我慢しよう、ということになった場合、ドーナツを食べたいという思いだけが地縛霊の如く残されることになる。この叶えられなかった思いは明日になってから解消すれば良いと思いがちだが、少なくとも僕にとって特殊な食物であるドーナツ、明日の朝まで食べたいという欲求が維持されているはずがない。
そうなると、ドーナツをわざわざ買いに行くことはなく、永遠に「昨日の夜、ドーナツが食べたかったのに食べられなかった」というセンチメンタルな思いを抱えて生きていくことになる。この厳しい現代社会、そんな報われない思いを抱えて生きていくことは大きな十字架を背負って生きているようなものだ。
そうならないためにも、絶対に思い立った瞬間にそれを叶えなくてはならないのだ。さすれば、「夜中にドーナツが食べたくなっても食べられる自分」というポテンシャルに大いに満足するだろうし、明日からの活力にもなるだろう。とにかく、今はドーナツを食べることだけを考えるべきだ。
早速、インターネットを駆使して今この時間に営業しているであろうドーナツ屋を調べ上げる。さすが、田舎町だけあって、夜遅くまで営業しているドーナツ屋は少ない。よく考えると当たり前で、他のファーストフードや食事なら夜中に食べたくなるのも分かるのだが、さすがにドーナツが食べたくなるってのはあまりない。需要がないのだから、当然、資本主義の原理に則って営業時間も短くなるのだ。
「ドーナツ 夜遅く」
とかとても見つかりそうにない検索ワードで検索しまくり、ついでに
「ドーナツ 夜遅く おいしい」
と、ワガママな条件までつけて検索する始末。しまいには
「ドーナツ 夜遅く おいしい 店員が巨乳」
とか訳が分からない状態になっていたのだけど、なんとか夜遅くまで営業しているドーナツ屋を見つけることに成功。それが、この夜の繁華街に近くに位置するドーナツ屋だった。
おそらく、スナックとかキャバクラで働く女の子にドーナツのお土産とかプレゼントするオッサンが多いんじゃないだろうか、繁華街に位置する花屋が深夜まで営業しているのと同じ理屈で燦然と営業していた。
酔っ払いが楽しそうに闊歩し、アベックが今にもイマラチオしそうな勢いでイチャイチャ歩く。店の軒先ではフィリピーナが「マタキテヨー」と大声を上げる。そんな喧騒に包まれた繁華街のメインストリートを、ただドーナツのためだけにジャージ姿で闊歩する僕。何かが大幅に間違えている気がするのだけど、今はコレでいいのだと言い聞かせてドーナツ屋を目指す。
あの、丸くて甘い菓子。おまけに真ん中に穴が開いていてちょっと卑猥。あのドーナツを食べたい。今食べたい。
と心の中で念じつつも、実はドーナツなんてどうでもよかった。ドーナツ自体はさしてどうでもよかった。ただ、ドーナツが食べたいと思ったらすぐに行動に移せ、さらに手に入れてしまうであろう自分が誇らしかったのだ。
コレがその辺のコワッパだったらそうもいくまい。夜中に外出しようものならお父さんに怒られるからな。しかし、俺はフリーダム。いくらでも、外出できるし少し遠い繁華街にも車で来れてしまう。何者も俺の行く手を阻むことなど出来ぬわ、ガハハハハハ、と闊歩しておりました。
すると、
「ノーパン焼肉」
魅惑的な、平凡パンチみたいなフォントで書かれたケバケバしい看板が僕の行く手を阻むのです。パンツをはかない、いわゆるノーパンツでの意味合いのノーパンと、重厚でジューシーな焼肉が頭の中で繋がらない。もうドーナツのことなんかどうでもいいといった趣で、看板の前に立ち尽くしてしまったのです。
普通に考えるならば、店の女の子がノーパンで肉とか運んできてくれる焼肉屋のはずだ。いにしえのノーパン喫茶、ノーパンしゃぶしゃぶに代表されるいかがわしい飲食店、それであるはずだ。
しかしながら、焼肉とはこれいかに。なにも焼肉でなくてもいいではないか。だいたい、ノーパンの女の子を鑑賞するのが主目的で、誰も肉のことなんてどうでもいいはずなのに、特選牛とか謳ってるのがおかしい。それよりなにより、肉を焼いて店内に煙が立ち込めたら肝心要のノーパンが鑑賞できないではないか。それ以前に、ホルスタインみたいな女がノーパンで肉運んできたらもっと驚く。
とまあ、ない頭を必死で回転させましてね、とにかくノーパン焼肉について本気出して考えていたんです。
風俗店が軒を連ねる繁華街、そこにジャージ姿の小汚い20代後半の男性が一人で立ち尽くし、風俗店の看板を食い入るように見ている。これはカモがネギ背負って調味料まで持参している状態です。自ずと怪しげな呼び込み店員がワラワラと近づいてくるのです。
「お兄さん、何かお店探してるの?」
「いい娘いるよ、いい娘」
「おっぱい、おっぱい、おっぱいのイナバウワー」
3人の風俗店呼び込み店員と思わしきスーツ姿の男性が話しかけてきます。個人的には3人目の「おっぱいのイナバウワー」が気になって仕方なく、フラフラとついていきそうになるのですが、そこは断腸の思いでグッと堪えます。なにより、財布には2000円しか入ってないですからね。
「いやー、僕も気になるところなんですけど、あいにく2000円しか持ってないんですよ」
と丁寧に断ると、2千円しか持ってないヤツなど存在価値がない、早く死ね、と言わんばかりの冷徹な、まるで愛とか優しさに触れずに育った殺人鬼のような冷たい目で睨まれ、呼び込みメンズはスゴスゴと自分の持ち場へと帰っていきました。
そう、ノーパン焼肉の衝撃に我を失いかけていたのだけど、そういえば元々はドーナツを買いにきたのだった。危うく本来の目的を忘れるところだった、と魅惑的な看板と決別しましてね、気を取り直してドーナツ屋へ歩み始めたのです。
「お兄ちゃん、いい娘いるよ?遊びどう?」
余程カモなのか、余程好き者に見られるのか、歩いているとまたもや呼び止められるではないですか。しかも、今度は何らかの達人と思わしきババア。どこで売ってるのと問いたくなるような服装に、引っ越せ引っ越せと布団を叩きそうなご尊顔、そのババアがまるで通せんぼをするように僕のいく手を阻むのです。
おちおちドーナツも買いにいけないこんな世の中じゃ、ポイズン。とか言ってる場合ではなく、なんとか達人ババアの手から逃げないといけないのですけど、
「警察がうるさいからな、ちょっとこっち来てや」
と暗がりの方へ連れて行かれるではないですか。「警察がうるさい」という魅惑のダイナマイトワードに惹かれた僕は、暗がりの向こうに何があるのか気になってしまいましてね、とにかくババアの言われるままに裏路地の方へと連行されていったのです。
本当は「いや、ドーナツ買いに行かないと・・・」「ドーナツなら若い娘にもついてるがな、こっちのほうがおいしいで」という訳の分からない、将軍様と一休の問答より酷いトンチ合戦みたいなやり取りを経て、無理やり連行されたのですが、とにかく、ババアが「ちょっと待っててや」と言いながらどこかに電話しているので、何が待ち構えてるのか見届けようと暗がりで待ったのです。
煌びやかな繁華街から裏路地に連れて行かれ、よく見えなかったのですが、次第に目が慣れてくるとちょっと離れた場所に同じように、別のババアと僕のようにうだつの上がらない青年が立っている。
見ていると、同じように別のババアもどこかに電話していて、青年はソワソワと落ち着きのない様子。しばらく見ていると、ブーツ姿の今風のギャルというか、セックスが主原料みたいな、全身クリトリスみたいな女性がやってくるではないですか。
で、その性兵器みたいな女性がババアと二つ三つ言葉を交わし、青年も何かを了承。青年と女性が腕を組んでさらなる暗がりへと消えていくではないですか。で、ババアは何かホクホク顔で明るいメインストリートの方へ帰っていく。
思いましたね。これは売春を斡旋するババアじゃないか。組織的にババアが男を捕まえ、女の子を紹介する。男は女の子に金銭を支払っていいことをする。ババアには紹介料が入るし女の子も効率良く客を捕まえることができる。なんともまあ、恐ろしい社会の暗部を見たような気がするのですが、夜の繁華街では比較的ありうることなのかもしれません。
ということは、今僕をキャプチュードして裏路地に連れ込んできた引っ越せババアも僕に女の子をあてがってくれるのだろうか。さっきの青年にしてくれたように、僕にも全身クリトリスのような、杉本彩に麻薬を打ちまくったみたいなエロス溢れる女性を紹介してくれるのだろうか。おいおい、こりゃあドーナツどころじゃないぜ。っていうか、ドーナツ、なにそれ?ってなもんですよ。
とまあ、2000円しか持ってないのを忘れて一人で悶々としておりましたところ、引っ越せババアは何件かの場所に電話をかけては切るの繰り返し。良く分からんのですが、そういった女の子を斡旋する場所に電話をかけてるような口ぶりです。
「なんか好みとかある?」
とか聞かれたのですが、全くその時の僕はどうかしてたのですが、「おっぱいの大きい子で」とか即答してました。その前のババアの説明では、女の子とそういうことをいたすには2万円くらいかかると聞かされていたのですが、2千円しかない状態で好みのタイプを答えるのが間違っている。
何件か電話をかけた後、いよいよ女の子が到着してくるのかといった機運が高まり、僕もそろそろ逃げる算段を整えなくてはと思う反面、どんな女性が来るのか見届けてやろうと思いましてね、ワクワクとドキドキの入り混じった、布袋の兄貴が出てきてスーリールーとか言いそうな一触即発の時間を過ごしていたのです。しかしながら
「じゃあ、いこっか」
と引っ越せババアの意外な一言。あれれ、ここで女性を紹介とかしてくれるんじゃないの?女性を見届けてから逃げようと思ったのに。ああ、そうか、ババアは警察がナンチャラうるさいからとか言ってたしな。きっとココじゃ目立ちすぎるんだろう。裏路地と言っても繁華街からちょっと入った場所だしね。きっと、もっと目立たない場所で紹介してくれるに違いない。それを見届けてから逃げればいいじゃないか。とババアについていったんです。
そしたらアンタ、こんなのあったんだと言いたくなるような朽ち果てた民家みたいな場所に連れて行かれましてね、どうにもこうにも旅館みたいなんですけど、そこの入り口でババアが言うわけですよ。
「60分2万円だけど1万5千円でいいから」
いよいよ女の子が来るのか。60分か。よし、オマケしてもらっても払えないから女の子を見たら脱兎の如く逃げるぞ、と決意したその瞬間ですよ。ババアが猪突猛進といった勢いで旅館に入っていくではないですか。おいおい、ババア、ボケちゃったのか。
「あれ?女の子は?」
と僕が素っ頓狂な声で尋ねると、ババアは自信満々で言い放ちましたよ。
「私が相手だ」
と、まるで軍事司令部の非道な命令のような冷酷な言い方でしてね、一瞬、何のことか全然分からなかったんですけど、どうにもこうにも、このババアが僕のお相手のようです。母親より歳が離れてるじゃないか。さすがにそれはない。
確かに要求どおり巨乳っぽいけどさ、さすがにそれはないよ、と悔しいやらおぞましいやら大変なことになりまして、とんでもない速さで逃げ出しました。逃げながら「コワイヨーコワイヨー」と、ちょっと半泣きになってた。
涙ながらにドーナツ屋に到着し、ドーナツを買って食べたのですが、とても甘くて美味しかったのですが、ババアの言っていた「ドーナツなら若い娘にもついてるがな、こっちのほうがおいしいで」という言葉がリフレインし、ババアのドーナツを想像してちょっとオエッと来たのでした。
欲望とお金、様々な性が渦巻く夜の繁華街。人々はまるでドーナツのようにポッカリと開いた心の穴を埋めにこのマッドシティに集います。それだけに、その穴につけこんだおそろしい誘惑もあるのです。
若い子を斡旋してくれるババアかと思ったらババアが若い子のつもりだったという途方もない笑えない事態もありえます。みなさんも、夜の繁華街を歩く時はそれなりに気をつけましょう。ホント、60歳は軽く越えてるであろうのに「私が相手」とか、1万5千円も取るつもりとか、いったいドーナツてるんだ。