実はね、出るんですよ。ウチの会社。
日も傾きかかった夕暮れの頃、同僚にこう言われた。ウチの職場は仕事の特性上、数ヶ月に一度の周期で泊まりこみでの作業に当たらなくてはならないことがある。過酷な作業だわ残業手当はつかないわで散々な業務であるため、皆が皆この泊まり作業を敬遠しがち。泊まり勤務になったやつがあまりの嫌さに逃げ出してそのまま退職したという伝説を持つほどだ。
しかし、誰もやらないってわけにはいかないので、会議の席で「次回の泊まりこみ作業者を決める抽選」が行われるのだけど、いい年したオッサンが輪になって懸命にクジ引きをしている姿、決して涙なしでは語れない。
「ちょっとまってよ!アミダは不公平だ」
初老の部長が声を荒げる。
「どうして不公平なんですか!?平等でしょ!」
血気盛んな中堅社員が反論する。
「そう言うがね君ィ、私は生まれてこの方アミダで勝ったことがないんだよ。公平を期すためにもジャンケンにすべきだ!」
一見すると真っ当な意見に聞こえるけどよくよく考えたらアンタの都合じゃないか。というか、いい年した大人が会議の席で真剣に発言する内容ではない。
「ジャンケンで決める?負けた人がやるんですか?それじゃあまるで泊まり業務が罰ゲームじゃないですか。あれは業務上どうしても必要な作業です。嫌々やっている様な印象を受ける選出方法は避けるべき」
普段は物静かな同僚が突如しゃべり出す。ごもっともな意見だが、みんな嫌々だからこんなに会議で揉めるのだろう。今更何を言ってるんだ。だったら貴方がすればいいじゃないか。
こうして、抽選方法を巡って会議は空転し、すったもんだ、散々揉めた後にクジ引きに落ち着く。そこら辺にあったボールペンを即席のクジに見立て、数本を部長がゴソゴソとやって握る。なんでも1本だけキャップがついてるボールペンが当たりの様だ。そう、あくまでも当たりが泊まりであり、当たりくじを引いて初めて泊まり勤務の権利を得るのだ。
もちろん、僕だって泊まり勤務だけは死ぬほど避けたく、あれは業務も大変だけど寒くて凍死しそうだとか食事も食えない、なにより夜の会社が死ぬほど不気味で怖い、トイレも行けない、といった悪しき噂を聞くので何としても避けたい。
こういったクジ引きで当たりを引かない様にするのは簡単で、徹底して引かないことか一番最初に引くことだ。1本だけの当たりを巡ってクジを引くということは確率は一定ではない。最初に引くのがもちろん確率が低くて望ましい。一人、また一人と引いていく中で誰かが当たりを引いてくれることが望ましいのだが、ハズレクジが減っていき、必然的に当たりの可能性が高まっていく。それだけはなんとしても避けたいのだ。
中途半端な順番でクジを引くのが最も愚かなことで、それだったら徹底してクジを引かなければいい。もう、最後の一本まで引かなければいい。実は、そこまでで当たりクジが引かれる可能性はかなり高い。確率で勝負するまでもなく途中で誰かが当たりを引いてくれるに違いないのだ。中途半端な位置で確率勝負するなど、だからお前らは搾取され続ける庶民なんだ。僕の様な選ばれし者はそんな運試しみたいな勝負はしない、ただジッと相手の自滅を待つのだ。
よくよく考えると、確率的にはどこで引いても同じなんですけど、難しい確率の話をすると鬼が笑うと言いますので割愛しまして、あくまで確率的に分の良い気がする1番クジか最後クジを引いてやろうと虎視眈々と狙います。まず、一番クジを引こうと思ったのですが、最初に部長が自分の手から1本抜き取り「よし、ハズレ!」とガッツポーズを見せた。ハズレでカッツポーズとは正直なお人だ。
こうなったら最後クジに賭けるしかない。なあに引くまでに誰かが当たりを射止めてくれるさ。と、なるべくクジを持っている部長が近づいてこないようコソコソとしていたのだけど、次々と皆がハズレクジを引いて「よし!」とガッツポーズをしやがる。ちょっと大胆な万引き犯くらいあったボールペンの束があれよあれよという間に2本だけに。残るは「泊まりの日、4才の娘の誕生日なんだ」と語っていた僕と梶田さんの二人になってしまった。
さっきまで普通に聞き流していた娘の誕生日発言。しかし、残り二本となった今や、祖父の遺言より重い言葉に感じる。彼が当たりを引けば彼の家庭は灰色一色。僕なんか泊まり勤務せずに家に帰ったところでオナニーするのが関の山。どう考えても僕が当たりを引いた方がいいのだけど、やはり泊まり勤務だけはしたくない。
緊張の一瞬。僕の葛藤、誕生日を迎える娘の思い、梶田さんの娘を思う気持ちを、様々な物が混沌と渦巻く中、梶田さんが運命のクジを引く。
結果はハズレ。ボールペンの先にキャップはついていなかった。梶田さんは晴れて娘の誕生日を家族で祝う権利を手に入れ、そこには確率だ愚民だと悟った様なことをのたまっていたアホが約一名残っただけだった。そう、いまや地獄の泊まり勤務が確定した悲しき勇者が。
皆、晴れ晴れとした笑顔で、「いやー、いいクジ引きでしたな」などとのたまう始末。何がいいクジ引きだ、何が娘の誕生日だ。
そんなこんなで、バッチリ泊まり勤務にあたることになったのですが、僕が落胆しつつ「泊まり中にどうやってオナニーするか?」的な深刻なことを考えていましたところ、憐れみなのか何なのか件の梶田さんが声をかけてきたのです。
「いやあ、大変ですね、頑張ってくださいよ」
その晴れ晴れとした笑顔はまさに勝者の印。クジ引きという選別をくぐり抜けた選ばれし者の笑顔。たかだかボールペンの先にキャップがついてるかいないかなのに、随分と差がついたものです。できるなら1時間前に戻りたい。クジ引きは負けそうだから不公平だ、アミダにしよう、と主張したい。
「気を付けてくださいね」
さらに満面の笑みで、まるで誕生日を迎える自身の娘が憑依したかのような無邪気な笑顔で続ける梶田さん。
「え、なにを気を付けるんですか?」
まさか過労死するとか凍死するとか、噂に聞いてるけど本当に気を付けないといけないレベルなのか、命を賭けて仕事をしないといけないとは、などと落胆していると、梶田さんが急に深刻な顔して言うんですよ。
「実はね、出るんですよ。ウチの会社」
出るとは一体何が出るのか、痴女でもでてエロスなことしてくれるのか、と思うのですが、どうも妖怪とかモノノケといった類、幽霊とか「あなたの知らない世界」的なものが出るらしいのです。
ハッキリ言って、どんな過酷な労働だろうが、凍死するほどの寒さだろうが目じゃない。幽霊が出るなんてこれほど嫌な話があるだろうか。
大体ですね、幽霊なんて非科学的な物はその実体や存在が立証された例はなく、僕の様な合理的視点の人間には極めてちゃんちゃらおかしく、精神部分に依存する逃避的思考とナンチャラカンチャラで、と書こうと思ったのですが正直に言います。幽霊が怖い。
あのね、自慢じゃないけど僕は死ぬほどの恐がりですよ。ホラー映画の呪怨ってあるじゃないですか。あれもう無理ね。最初の家が出てきたところで無理。霊的なものがまだ出てきてないのに無理。停止ボタンを押しちゃう。怖いゲームも無理で、「かまいたちの夜」なんてシルエットが怖くて布団かぶってブルブル震えてましたからね。あと、幽霊とおセックスするって設定のエロビデオがあったのですけど、出てるのは普通にカワイイAV女優であんあん言ってるんですけど、こいつが霊だと思うと本気で抜けなかったですからね。ビデオ巻末の新作紹介で抜いたくらい。
それだけの恐がりである僕に、これから会社での泊まりこみ勤務を控えている僕に、「出るんですよ」と言うとは、梶田のクサレは何を考えてるんだ。ついでに誕生日を迎える娘も何考えてるんだ。梶田さんは娘が誕生日だし、暇な自分が泊まり勤務を、と一瞬でも考えた自分の愚かさが憎い。恐がりの僕に平然と「出る」とか言ってのける梶田が怖い。ほんま、幽霊より何より一番怖いのは人間、ってのはほんとだわ。いや、幽霊の方が怖い。
しかしまあ、ここで「幽霊怖い」とか勤務を断ろうものなら一生涯「軟弱者」「とんだチキン」「そういえばたまにイカ臭い」などと影で揶揄されることになりますから、ここは極力平静を装って普通どおりに対応するしかありません。
「へ、へえ、出るんですか。前に忘れ物取りに夜中に侵入したときは出ませんでしたよ」
どうにも内心で動揺してるのを梶田オブデビルに見透かされた様で、彼は得意満面の顔で詳細を話し出したのです。我が職場に伝わる伝説の「泊まり勤務のK」の話を。
もう十何年も前の話。この職場にはその当時から数ヶ月に一度泊まり勤務という風習があり、不幸なことに気の弱い新人君が勤務に当たることになったそうです。彼は仕事があまりできず、その暗い性格も手伝って当時の上司に大変嫌われていたそうです。上司は何と彼が自主的に退職するよう、今では裁判沙汰になりかねないくらいのパワーハラスメントを行ったそうです。泊まり勤務もそんな嫌がらせの一環で彼に半ば無理矢理押しつけられた様で、彼は嫌で嫌で仕方なかったようです。その気持ち、大変分かります。
ついに上司のイビリに耐えられなくなった彼は泊まり勤務中に逃げ出し、そのまま自殺したそうです。虐め抜いた上司へ恨みを抱きつつ、勤務に当たる部屋で、パソコンの前で首を吊っていたそうです。
それからですよ。泊まり勤務の時に限って彼の霊が職場を徘徊するようになったそうです。まるで無念を晴らすかのように、まだ職場で永遠の泊まり勤務を続けているかのように、彼の霊が彷徨っているようです。
泊まり勤務中、作業をしている時に彼の霊が現れると、不可解な物音、廊下を歩く足音がし、そして作業をしているパソコンに「K」が入力されるようです。勝手に連打で入力されキーボードをぶっこ抜いても止まらず、これがKの霊と言われるゆえんなのですが、なんでも彼を虐め抜いた上司のイニシャルがK.Kだったらしく、霊となってもそれが伝えたく、相当な怨念を抱いているのだろう、とサターン梶田が言ってました。
おいおい、霊として出てきたのにキーボードの「K」を押すだけとは、なんてチンケな霊だ、お前はバンプか、と冷静に冷徹に言いたくなるのですが、そんな余裕は皆無で恐怖マックス。だって霊の悪口言ったら出てきそうやん。
「そ、そんな非科学的な話ね、あれですよ、ナンセンスです。ま、まあ、出てきたら退治してやりますよ、ラリアットっすよ、がはははは」
と、内心おしっこチビりそうになりつつ、ガクガクする膝を抑えて言ってやりましたよ。言ったりましたよ。
そんな激闘を経て、現在は真っ暗な深夜の職場で泊まり勤務をしつつ、この文章を書いてる訳なのですが、今頃梶田オブデビルのヤロウは娘の誕生日を祝ってるのか、いや、こんな深夜だから娘は寝てるか。今頃は「ねえ、アナタ、久しぶりに」「勘弁してくれよ疲れてるんだ」「なによ!美香には誕生日プレゼントあげれるのに私にはないの?」「そんな、あ、馬乗りに!どこでそんな技を!」「あーあー、いーわー」「美香が起きる」「あああああああ」と大変な事になっているかも知れません、想像したら興奮してきた。
しかしまあ、泊まり業務は噂に違わず大変というか、熾烈を極める業務なのですが、決して怖いから気を紛らわせるために今この文章を書いてるというわけではありません。本当は怖くもないし、仕事も忙しいのですけど、何か宇宙的な「書かねばならない」という命令を受けて書いているのです。言うなれば義務、本能、大宇宙の意志、ピタゴラスの定理、バンプオブチキン、幽霊怖い、もう帰りたい。
それにしても、決して幽霊が怖いというわけではありませんが、気を紛らわせるために震える手で書かせて貰いますと、こういった幽霊的な話でウチの親父が言っていたことを思い出しました。
「恨みを持つ心が恐ろしい幽霊を呼び込む」
ウチの親父は豪胆なバカで、元産婦人科でツタがビッシリと取り囲んでいる様な不気味な洋館を買い取って取り壊し、そこに会社建物を建てた人なのですが、親父曰く、さすが元産婦人科と唸るほどモノが出るそうです。
親父はよく会社のソファーで酒飲んでそのまま寝てしまうんですけど、なんか濡れ髪の女の人が子供を抱えて出てくるそうです。まあ、僕なんかその時点でガラスでもぶち破って逃げるんですけど、親父は平気。
「おう、また来たのか」
とその霊に話しかけるとか何とか。アンタは宜保愛子か。
「焼酎でも飲むか?」
と焼酎を薦めるとそのままスーッと消えていくとか何とか。おまけに連日出るもんだから出ないと淋しいとか言い出す始末。本当にこの親父だけは狂ってるんじゃなかろうかと思う。ちなみに、抱えている赤ちゃんが少しずつ成長しているそうです。いつかは焼酎飲ませる、って豪語してた。なんか、あまりに飲まないから焼酎を口に含んで毒霧みたいに噴霧したら消えたらしい。ムタか。
まあ、うちの親父は狂ってるから仕方ないんですけど、正常な僕なんかはその話を聞いただけで恐怖100倍、未だに会社建物に近づきたくないんですけど、そんな僕を見越して親父は言ったのです。
「恨みを持つ心が恐ろしい幽霊を呼び込むんだ。誰かを恨む心、誰かを憎む心、妬む心、そういった暗い気持ちが恐ろしい霊と共鳴して呼び込むんだ。そんな気持ちがない人間は霊を恐がりはしないよ、良い穏健派の霊しか来ないんだから。つまり、霊を怖がる人間、それはすなわち自分の心が霊と共鳴するほど醜い感情で埋め尽くされていると自覚している人間だ」
まあ、キチガイが言うことなんですけど、それでも「なるほど」と思いましたね。恨みなどのネガティブな感情が霊と共鳴して恐ろしい霊を呼び寄せる。ネガティブな感情さえなければ怖い霊は出ない、出ても良い霊だ。ということのようです。親父はネガティブな感情を持ってない自信があるから怖くないのですね。
「ワシのような善良な市民のところには良い霊しかこない。これが良い例だ、いまうまいこといっちゃったな。お前、俺を妬むなよ、怖いのが来るぞ」
とか、焼酎飲みながら言ってました。
ということで親父の教えを守れば大丈夫、ネガティブな感情さえ持たなければ怖い霊は来ないと言い聞かせて、「梶田さんとか恨んでない」「おつりをくれなかったマクドナルドの店員を恨んでない」「抜けなかったAV女優とか恨んでない」「世界のみんなありがとう」とものすごいポジティブなことを何度も何度も繰り返しつつ、この文章を書いてます。
なのにですよ、なのにですよ、なんか知らないけどさっきから廊下をヒタヒタと歩く不穏な物音がするのですが。もちろん、こんな時間に職場内を歩く人なんていません。なのに、さっきからガタガタ音がして近づいてくるのですが。
まさか「K」の霊が来やがったか。噂によるとここからキーボードの「K」が連打されて、恐怖のうちに僕が仕事放棄してガラスを破って逃走と相成るのですが、き、きっと大丈夫です。たぶんまだ感謝の気持ちとか色々と足りないのです。僕の中に存在する微量のネガティブ感情が「Kの霊」を呼び込んでいるのかもしれません。ということで、もうちょっと感謝の気持ちを口にするだけではアレなので書いておきます。
こんな恐怖の勤務をさせてくれて職場のみんなありがとう。
みんな、いつもNumeriを読んでくれてありがとう
チンコが痒くてインキンありがとう
この感謝の気持ちで、きっとKの霊も消えてくれるはず。と思ったらヒィィィィィァ、さらに足音が近づいてきて部屋の前で止まりました。もうこの文章とか書いてる余裕すらヒイイイイイイイイイイイア、ノックしてるうううううううううう。ぎゃあああああああああああああ
足音とノックの主は梶田さんでした。
何か悪い気がしたからと缶コーヒーの差し入れを持って来てくれたみたいです。「君のおかげで誕生日が祝えたよ。娘もやっと寝付いてね」とか言ってましたが、こんな深夜に寝付く娘なんて夜遊び予備軍、非行予備軍です。きっと、娘はとうの昔に寝ていて、奥さんと一戦交えた後なのでしょう。顔がテカテカしてた。
いやー、それにしても、梶田さんは「がんばれよー」と言い残して帰宅していったわけですが、やはり「Kの霊」などチャンチャラおかしい話です。だいたい、わざわざ霊となって出てきてキーボードの「K」しか押さないってどんな霊ですか。妖怪小豆洗いでももうちょっとホラーに振る舞うぞ。
けれどもまあ、やはり親父の言うとおりネガティブな感情を捨てて感謝の気持ちを綴ったために強い憎しみの感情を持つKの霊は出てこなかったのかも知れません。やはり人を恨んで良いことはありません。それは様々な悪しき霊を呼び寄せることになるのですからね、感謝の気持ちが大切ですよ。これに気付けただけでも過酷で怖い泊まり勤務をした甲斐があるってものです。ほんと、ありがとう。
ちなみに、さきほど「知らないみたいだから」と梶田さんに教えてもらったのですが、どうやら泊まり勤務を決める部長のクジは毎回裏があるようです。なんでも、あまりに部長が泊まり勤務をしたくないためか、あのボールペンクジには最初から当たりが入ってないそうです。そう、最初から全部のボールペンにキャップがついていないハズレクジ。
それを用意して、自分が最初に引けば大丈夫、絶対に当たらないと言うわけです。で、最後に引いた人が自動的に当たりになるように仕組まれてるって事です。おかしいと思ったんだ、普通はクジを持ってる人間が最初に引かないだろ。どう考えても最後に余ったのを自分のクジにするのが普通。なのに率先して自分が引きやがった。やってくれるぜ、あのエロやタヌキ。
とりあえず、イカサマ部長のそのせせこましさが大変腹立たしいので、部長死ね、7回死ね、と恨んでおきます。チャンスがあったら寝首をかいてやる。死ね7kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk
ぎゃああああああああああああああああああ