どう考えますか? | macsan10のブログ

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若いころは街に出ると、どの街にもパチンコ屋があって、ジャラジャラと賑やかな音があちこちから聞こえてきました。

 

しかし、最近ではパチンコ屋をほとんど見かけなくなりました。

 

あるところにはあるのだとは思いますが、すごく減ったな~と感じます。

 

私はギャンブルをやらないのですが、今の時代には色々と楽しいことがありますし、いつの間にか、パチンコ屋さんは斜陽産業になってしまったんだな~と感じます。

 

そういえば、街の書店も減りました。

 

私は電子書籍というものが苦手なので、今でも書店にはよく行きます。

 

しかし、書店に来ているお客さんって、かなり減っている感じがします。

 

全国の市町村の1/4には書店が無いそうです。

 

私としては、本がどんどん溜まってしまい置き場所に困ってしまいますが、やはり、正しい情報を身に着けるために書籍は絶対に欠かせません。

 

テレビやネットなどの情報は、いつも検閲されていて、情報がコントロールされています。

 

正しい情報、正しい知識を得るために、本は無くてはならないものだと、常々思っています。

 

 

そして最近、「書いてはいけない」(森永卓郎)という本など3冊買いました。

 

私は本を買うと、一気に読みます。

 

そして、また読み直します。

 

本は繰り返し読み直すことで、必ずそのたびごとに新しい『気付き』があります。

 

その時に買った本というのは、その時の情報として永遠に手元にあるわけです。

 

テレビやネットだとそうはいきません。

 

忘れ去られていくでしょうし、記録も消えてしまいます。

 

この『書いてはいけない』(森永卓郎)という本について、現在、とてもよく売れているのだそうですが、著者の森永卓郎という人、以前はよくテレビに出ていた人でした。

 

バラエティや報道番組、情報番組などにひっぱりだこでした。

 

最近はぱったり見なくなって、どうしたんだろうと思っていました。

 

そしたら、昨年の11月頃に、すい臓がん(ステージ4)になられたとニュースを突然見ました。

 

驚きました。

 

いきなりステージ4だなんて。。

 

すい臓は小さく、がんの進行にも気付きにくいのだそうで、いきなりステージ4というのは珍しくないのだそうです。

 

いま、海外ではあちこちで戦争をやっていて、最近では化学兵器(毒やウイルス)を使用した戦争も当たり前になっています。

 

そして、電磁波によって癌を引き起こすことも出来ると聞きました。

 

それを信じるかどうかは、その人次第ですが、私は、そのくらい何でもなくやるだろうと思います、この世の中ですから。

 

ウクライナ戦争がはじまって間もなく、プーチンさんの癌が話題になっていましたね。

 

最近では癌で亡くなる方々をいちいち疑うようになってしまいました。

 

その人の立場や行動によって、その癌が自然発生的なモノなのか攻撃されたモノなのか、いちいち疑うようになっていったのです。

 

森永さんは自然発生的なモノだと思いたいです。

 

彼がテレビで見られなくなったのは、彼曰く『干された』のだそうです。

 

彼のほのぼのとした語り口は割と好きだったのですが、テレビに出演するときに絶対に触れてはならない三大タブーがあるのだそうです。

 

1.ジャニーズのタブー

 

2.財務省のタブー

 

3.日航123便のタブー

 

1.は誰もが知るジャニーズ問題。2.は税務省の緊縮財政が日本の経済成長を妨げてきたというもの。そして3.は1985年に起きた日航ジャンボの墜落事故のことです。

 

これらのことに少しでも触れてしまうと、テレビに出演できなくなってしまうのだそうです。

 

彼はこれまでなんとか真実に迫ろうと、各局のディレクターさんに個別に検証番組の交渉をしながら、その機会をうかがってきたのだそうです。

 

しかしその結果として、情報番組・報道番組のレギュラーをすべて失うことになったのです。

 

あるラジオ番組では放送直前までいって、放送直前でダメになったのだそうです。

 

テレビを見ているだけの人には、こういったことに気づくことはできないでしょう。

 

彼は、膵臓がんでの病闘中という状況にありながら、この本を出版しようと、命を懸けて取り組んでこられたようです。

 

最初、この本を世に出すために森永さんは大手出版社を周りました。

 

しかし、どこもこの内容を扱ってくれるところはありませんでした。

 

落胆しておられたところ、ある出版社が扱ってくれるということになりました。

 

内容に共感してくださったその出版社は、実は社長さん1人でやっている出版社だったのです。

 

リスクを一緒にかぶりましょう、ということだったようです。

 

私はこの引き合わせは偶然ではないと感じています。

 

波長導通の法則です。

 

私はこの書を読んで一番印象的だったのは、1985年の日航123便の墜落事故の件でした。

 

子供の頃、テレビのニュースでジャンボジェット機が落ちたというニュースを見たのは覚えています。

 

しかし、あれは事故ではなく事件だということが書かれていました。

 

当時の報道ではこの機体は数年前に尻もち事故を起こして修理した過去があり、実はその時の修理の不備によって、今回、飛行中に機体後部の圧力隔壁が破損して、垂直尾翼が破壊し、墜落したのだという論理でした。

 

123便は制御不能になって、いったんは羽田に引き返そうとして諦め、横田基地に緊急着陸をしようとして諦め、その後群馬県の上野村の山中(御巣鷹山)に墜落したというものです。

 

私はこの書を読み、森永さんの命がけのこの書を読み、特に123便の話にはとても興味を惹かれました。

 

その後、色々な方が、現在でもこの事故について、真実を求めて活動をしておられることを知り、私なりに調べて、考察してみることにしました。

 

というか、スルーできませんでした。

 

実は昨夜いったん書いたのですが、書いた直後に、全てが消えてしまいました。

 

通常はブログには自動上書き機能があるはずなのですが、それも機能せず、綺麗に消えていました。

 

そして今書き直しています。(こんなこと初めてです)

 

あくまでも、これは個人的な考察ですので、ご興味をお持ちになられた方は、ご自身でお調べ頂ければと存じます。

 

 

一般報道(→)

考察  (⇒)

 

1.18時12分に、羽田を離陸(大阪伊丹空港に1時間程度で到着予定だった)。

 

 

2.離陸から12分後、後方で爆発音

 

→この機体は7年前に尻もち事故を起こしておりボーイング社が修理した過去がある。今回、その修理不備によって金属疲労が起き、機体後方の圧力隔壁が破損した。これにより急減圧が発生、さらに後方の垂直尾翼の7割の破壊につながった。

 

⇒圧力隔壁の破壊が垂直尾翼の破損に繋がったのであれば、高度7000M以上にいた機内には急減圧が発生し、酸素マスク無しではコックピット内で通常任務を果たすことは無理だったでしょう。公開された一部のボイスレコーダーからは急減圧を感じさせるような雰囲気は一切伝わりません。生存者の話からもそうです。急減圧時に鳴る警報装置も作動していません。

 

⇒実際は、当時相模湾で(米軍と共同?)訓練中だった自衛隊が飛ばした訓練用の飛翔体(オレンジ色のミサイル)が垂直尾翼に命中し、垂直尾翼が破壊された。飛翔体に爆薬は含まれていなかった。

破壊された垂直尾翼は、ジャンボ機が飛行中だった伊豆半島手前の相模湾に落下した。

 

 

3.ジャンボ機は羽田に帰還しようとするが、それをすぐに諦め、近くの横田基地に緊急着陸をしようとすることを決心し基地に連絡(18時31分頃)。基地側も受け入れ態勢okと返した。

 

 

4.近くを飛んでいた米軍輸送機がジャンボ機と管制塔とのやりとりが日本語に切り替わったところで異変を確信し

米軍基地に連絡。

 

 

5.ジャンボ機は、横田基地への着陸のため、高度を下げるために大月市上空で急旋回しています(18時41分頃)。

 

 

6.しかしジャンボ機は横田基地目前でなぜか着陸をあきらめ、北上していきます。

 

⇒機体のコントロールがほとんどできない状態に陥っていた可能性があります。

 

 

7.群馬県の上野村の山中(御巣鷹山)に墜落(18時56分頃)

 

→一般報道ではレーダーから消えたため墜落と判断し、墜落直後に茨城県の百里基地から戦闘機(偵察機)2機が発進した。

 

⇒実際は、ジャンボの墜落時には既に、自衛隊機2機がジャンボの後ろにぴったりと追尾していたのを、多くの地元住民が目撃しています。墜落したのを確認して去っていったと。

 

 

8.その後しばらくして米軍のヘリが現場に到着。人命の救助活動に入ります。ヘリについては、助かった乗客がこの音を聞いていましたが、その後ヘリは飛び去っていってしまい、落胆したと話しています。この時はまだ、多くの乗客のうめき声が聞こえたということです。

 

→このことは一切報道されていません。

 

⇒米軍は夜間でもヘリから降下して人命を救助するための訓練をやっており装備が整っていたため、救助しようと降下を開始した。そして地上まで15M以内のところまで来た時に、横田基地から連絡が入った。『帰還せよ』。耳を疑い、理由を聞くと『日本側の要請だ。日本が対応するから帰還せよ。』

ヘリは飛び去って行った。

 

 

9.墜落したのは18時56分頃だったが、報道によると、墜落当日は墜落現場が特定できず、翌朝になってようやく墜落現場が報道された。

 

→翌朝8時49分、ようやく墜落現場で救助活動が開始された。

 

⇒初めから墜落現場を特定できていたにもかかわらず、また、地元民が国や県、警察に懸命に電話で墜落現場を伝えていたにもかかわらず、全く違う場所を墜落現場とする報道等が流れ続けた。

(後の報道によると、警察と自衛隊との主導権争いによって救助が遅れたという可能性を指摘していましたが嘘だと思います。)

 

⇒ある新聞社の記者は、当日自ら現地に行き、ジャンボ機は自衛隊機に当てられたというスクープ記事を書いた。それは翌朝の朝刊に載るはずであった。午前零時の時点ではそれが決定していたということです。しかし翌朝の朝刊には全く違う記事が掲載されていて仰天したと語っています。

 

⇒当日、百里基地の司令官がある男性に、標的機(飛翔体)が民間機に衝突してしまったと語っていたと言われています。

 

 

10.翌朝までの真夜中の時間帯に、現場で何が起こっていたのか?

 

⇒20代の地元の若者3人が、当日夜の9時ごろ、上空を旋回している戦闘機2機を確認し、あのあたりが墜落現場なのだろうとあたりをつけ、バイクで墜落現場に向かった。地元民であるため土地勘はあった。バイクで進められるところまで進み、途中からはバイクを置いて歩き進んだ。墜落現場に到着したのは午前4時ごろ。

現場には既に100名ほどの自衛隊員がおり、被害者のうめき声があちらこちらから聞こえた。

彼らは何かを地面から拾い集めていた。暗視ゴーグルを着け、4、50センチほどのカバンを手に持ち、それに詰め込んでいたと。

隊員は、『後から来る部隊が人命救助にあたることになっている』と若者に告げ、地面から拾い集めたものの入ったかばんを数十個単位で、上空にホバリングしているヘリに引き上げていたとのこと。

地元の若者はその言葉に安心し、その場を後にした。

しかし、夜が明けて、実際に救助されたのは524人の内のたった4人だったことが分かり驚愕した。

また、救助したのは自衛隊員ではなく、地元の消防団員であったのだ。。。

 

⇒政府は、自衛隊の訓練で誤って旅客機を撃墜してしまったということがバレることを恐れ、事故を装うために、特殊部隊を現場に送り、飛翔体(オレンジ色)の証拠を残さないよう回収を指示、また証拠隠滅のために、乗員乗客に生存者を出さないように指示を出したのではないか。

翌日発見された遺体は、通常の航空機事故ではありえないような完全に炭化したものばかりであったと言われています。

木炭のようにカリカリとなっており、ある検視医によれば検証のために触れると崩れてしまうので思案しながら検視したと。

航空機の燃料はケロシンといって、これは灯油に近く、火力の弱い燃料を使っているのだ。なぜならば航空機にとって火災は最も警戒しなくてはならないものなのだから。一方で、ある解剖医によると、遺体が2度焼きされたような状態であったと語っています。遺物からベンゼンが検出されたが、航空機燃料にはベンゼンは含まれていない。

一方でガソリンにはベンゼンが含まれている。

現場にはガソリンとタールを混ぜたような強い異臭が立ち込めていたことがはっきりと伝えられており、これは特殊部隊が保持する火炎放射機で使われるゲル燃料がそれにあたります。

自衛隊員を現場で待機させながら、特殊部隊が遺体を焼き払ったのではないかと考察します。

なぜ4人が助かったのかという疑問が残ります。

ジャンボ機は墜落時に前部・中部と後部が分離し、機体後部はスゲノ沢を300Mほど滑り落ちています。

つまり、機体後部だけ、主要部の残骸とはかなり離れたところにあったのです。

これによって特殊部隊はそれを見つけることが出来ず、翌朝幸運にも地元の消防団に後部にいた乗客が助けられたのです。

 

⇒人間は魂と肉体がシルバーコードというもので繋がれています。

よく幽体離脱などと言いますが、この時もシルバーコードで肉体と繋がったままです。シルバーコードが絡まることは無いのだそうです。このシルバーコードは人間の死後、約24時間後に消滅します。

もし、シルバーコードが消える前に人間を火葬するようなことがあれば、それは人間を生きたまま焼くのと同じことになり、魂となった本人は地獄の苦しみを感じることになります。

 

⇒ある霊能者の方は、救助の前に軍隊が現場に来ているのが見える、遺体を2度焼きしているのが見えると語りました(この方の霊視能力には毎度驚愕しています)

 

 

11.当日夜のニュース番組

人命救助に向かった自衛隊員が何者かに銃撃され死傷者が数名出ているようです!

と、キャスターが速報でいったんこう伝えたそのすぐ後に、誤情報だったと訂正しています。

⇒待機命令を無視して人命を救助しようとした自衛隊員が殺害されたのではないかと。

 

 

12.なぜ政府は事件を事故として隠蔽したのか

 

⇒当時、日米では足並みを揃えて防衛力を強化していく約束をしていた。しかし当時の日本では自衛隊に対する国民感情がとても悪かったため、自衛隊の不祥事を公にはできなかった、そう考えたのではないかと。

実際、国民が自衛隊を評価するようになっていったのは大きな震災が起きてからなのではないでしょうか。

 

⇒事故(事件)の翌年、数名の自衛隊員が自殺(?)で亡くなっています。彼は発見された垂直尾翼の残骸と一緒にオレンジ色の金属片が映り込んでいる写真を同僚に託していたそうです。

 

 

13.今日まで、遺族はフライトレコーダー、ボイスレコーダーの全面開示を求め続けていますが、日本航空はこれを拒み続けています。司法・立法・行政が一体になって日本航空をサポートしており、遺族の訴えは実現していません。

 

⇒TⅤやネットの番組でしばしばボイスレコーダーが流れますが、これは『善意の第三者』によって大手報道機関に持ち込まれたカセットテープによるものとされており、この『善意の第三者』が誰なのかは明らかになっていません。また重要な部分はカットされた加工物である可能性があります。

 

 

 

最後に、

これまで旅客機はボーイング社とエアバス社に注文してきた日本政府でしたが、この墜落事故(事件)があってから、ボーイング社のみへの注文に切り替えています。

事故の原因となった、整備不良を起こしたボーイング社への注文を増やすだなんて、国民は誰も納得しないでしょう。

しかし、ボーイング社に罪をかぶってもらったという真実を知れば、そうなるのか、ということになるのでしょう。

この事件は自衛隊が起こしたものなのか、米軍が起こしたものなのか、そこも不明です。

もし、米軍が起こしていたものであれば、国民感情は頂点に達するでしょう。

 

この、日航ジャンボ機の墜落があった後、それまで飛ぶ鳥を落とす勢いであった日本経済が、真っ逆さまに転落していきます。

当時の総理大臣は中曽根康弘さん(日米構造協議は宇野総理)。アメリカはレーガン大統領です。

◎プラザ合意(1985年9月)

◎日米半導体協定(1986年9月)

◎日米構造協議(1989年~)

これらによって日本経済はアメリカによってくじかれ、言いなりとなり、日本経済は真っ逆さまに奈落の底に転落していきました。アメリカにしてみれば、総理大臣が替わらないうちに、ということだったのかもしれません。宇野さんは2か月で降りた人ですし。。酷いものですね。

 

そして現在の日本経済の状況を見て、皆さんはどうお感じになられるでしょうか。

 

 

余談ですが、中曽根康弘氏は1966年に2件の航空機事故があったその翌年に運輸大臣になっています。

航空機事故は運輸大臣の管轄です。当然、事故処理にも携わってきたことでしょう。

また、1971年には全日空機雫石衝突事故という大惨事がありました。自衛隊機と民間旅客機が空中衝突をして、民間機の乗客乗員計162名が全て死亡した。一方の自衛隊機の乗員は脱出に成功しています。この時の防衛庁長官はこの事故を踏まえて辞任しているのですが、実はその40日前まで、中曽根康弘さんが防衛庁長官を務めていました。

このように、中曽根さんという方は航空機事故にいつも近いところにいた人物ということが言えるでしょう。

そういう意味で、事故への対処についても、ありのままに対応するのではなく、介入することが出来た人物であった可能性はあります。この方、101歳まで生きておられました。