粕谷栄市詩集
短い期間に類似のネタが続くのも何なので、最近サルベージした旧ホームページの日記(2001.10.8)から。
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粕谷栄市詩集
冬に備えるために部屋の片付けを始めた。半年の間にストーブの周りに積み重なった書物だのがらくただのをなんとかしなければならない。大切な本は本棚へ、これから読む本はとりあえずダンボール箱へ。
片付けの最中に、本棚の奥から懐かしい本を見つけた。『粕谷栄市詩集』。
実は、この詩人がどういう人か、あまりよく知らない。鮮烈な詩が十数編、それで十分だと思っている。高校生の頃、眠りに就きながらたまたま聴いていたラジオの深夜番組で、この詩人の作品が朗読された。その1年後、札幌の本屋でこの本を見つけたとき、記憶の奥に刻み込んだその時の印象が甦った。そして、...喫茶店のコーヒーを諦めて、本屋のレジの前に立った。当時の定価で580円。フランス装の小さな詩集だ。
「水仙」 粕谷栄市
私以外には、誰も知らない。遙かに、夥しい水仙の咲くところを、私は知っている。無数の水仙が、常に咲き乱れる、恐怖のようなところだ。
湿原と呼ぶのであろう。暗く、寒く、絶えて人々はやって来ない。しかし、花々は、限りなく闇を彩る。微風が吹くと、絶叫のような美しさが、一齊に飜える。
僅かに、偽りの暗示のように、白い月と断崖のみが、うっすらと見えるのだ。
或いは、生まれる以前、私は、そこに立っていたのかも知れぬ。私の肉体は無能だったが、同じものを、何度か、私はどこかで見た記憶がある。病気のような高熱のなかで、私の知る全ての都市の窓に、そして、全ての人人の顔に、私は、それが映っていたと思うのだ。
全ての葉は、天を指し、目を瞑ると、どの水仙も、私より巨大である。死と快楽が、同時に、ひとつの月であり、不安と歓喜が、同時に、一本の縄である事実を、そこにいると、私は感じるのだ。
その煌めく露のようなものを、妻にだけ、私は、秘かに教えた。眠っている彼女を抱いて、私は、そこに行く。そこでは、私も妻も、そのまま水仙で、永遠に、無名の夜に所属できるのだ。
『現代詩文庫67 粕谷栄市詩集』,(思潮社,1976),14.
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愛知県の民放のFMラジオ局だったと思うのだが、どんな番組だったのか今調べても全く手がかりが無い。
まあ、ウン十年も前の話だからなぁ。覚えているのは上に引いた「水仙」だけだが、定期的(?)に、この詩集の書名をあげて幾つかの詩を朗読していたので詩人の名前は記憶していた。そんな中でもこの「水仙」の或る種浪漫的な気配のある幻想風景は、それこそ記憶の奥に刻み込まれた。
ちなみに、詩の朗読のバックで不思議な雰囲気の音楽がかかっていたが、これがキース・ジャレットのケルンコンサートの冒頭だったことを後で知った。
…こんな些細なことだが、放っておけば消え去る情報をこんな風に記録しておくのも悪くないだろう。
YouTube:
Keith Jarrett "Köln, January 24, 1975, Part I (Live)"


