「シリン・ネシャット展」(2005) 鑑賞覚書
約20年前、出張の空き時間に偶々訪れた美術館で開催されていた展覧会の鑑賞メモ。
展覧会のタイトルは、「第6回ヒロシマ賞受賞記念 シリン・ネシャット展」。これも旧ホームページの日記(2005-11-03)から。
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「シリン・ネシャット展」
9月30日、広島現代美術館にて。展覧会の概要は以下の通り。ちなみに、シリン・ネシャットについての予備知識は皆無だった。
「アラーの女たち/Women of Allah」 写真作品のシリーズ。
「荒れ狂う/Turbulent」 映像インスタレーション。
「歓喜/Rapture」 映像インスタレーション。
「マッハドックト/Mahdokht」 映像インスタレーション。
「取り憑かれて/Possessed」 映像インスタレーション。
「パッセージ/Passage」 映像インスタレーション。
「トゥーバ/Tooba」 映像インスタレーション。
会場に入ると、通路の壁に写真作品がかかっている。イスラムの女性の写真の上にペンで書込みを行った作品だ。この時点で、作者シリン・ネシャットがイスラム系の国の女性でフェミニズム的背景をもっていることを知る。会場は各映像インスタレーションごとの部屋に分かれ、各部屋は自由に出入り出来るようになっている。
最初の部屋は、「荒れ狂う」。これは本当に衝撃的な作品だった。部屋に入ると、左右の壁二面のスクリーンにビデオ映像が映し出されている。右側は、髭を生やした男性歌手と観客。歌手は何故か観客ではなくこちらに向かって歌を唱う。古典的な風俗歌をいかにも情感たっぷりに歌う凡庸な歌唱。歌い終わった後、観客からは拍手が湧く。...その間、左の女性歌手は目を伏せて静かに自分の出番を待っている。無人の劇場。彼女は歌い出す。しかし、これを歌と言って良いのか? それはまるで大地の響き、鳥の叫び声、木々のざわめき、それとも女の呻き、慟哭...。まさしく"Turbulent"というべき音声パフォーマンスだった。抑圧された女性の悲しさと苦しみ、そして大地に根付く者故の強靱な生命力。それらを吐き出すように歌いきった後、彼女の頬に涙が流れなかったか? この作品の構成は、たしかに少し間違えればステレオタイプな「フェミニズム」芸術になったかもしれない。しかし、この女性歌手の真に圧倒的なパフォーマンスが全てを決したと言って良い。
「歓喜」では、海に孤立した城塞で行進、格闘、礼拝を行う男の集団と、荒れ果てた大地で彼らを見つめる女たちが左右のスクリーンに映し出される。やがて女たちは、祈りを捧げた後、木の船に乗って海に乗り出していく。この作品も男と女を左右に対比させる。政治を行い、戦争をし、宗教を牛耳る男たちと、大地に繋がりながら男たちの所行を見つめる女たち。海に出ていく女たちの姿は作者の未来への希望を象徴しているのだろうか。
「マッハドックト」。オフェーリアのように池に浮かぶ女の死体。場面が変わり、黄色い毛糸の服を着た少年少女が野原を駆け回る。池の近くにいた少女が彼らに誘われて駆け出すが、はぐれてしまう。泣きながら彷徨う少女。少女はいつの間にか若い女になって、懸命に黄色い毛糸で服を編もうとしているが、遅々として進まない。焦りと絶望。それは池に浮かぶ女の記憶なのか。大人になれば結婚の相手を見つけ子供を産む。その世間の掟の圧力に押しつぶされた女の姿だと私は受け取った。
「取り憑かれて」では狂気に陥った女が町の人々を混乱に陥れ、自らはすり抜けるように去っていく様が描かれる。肌が顕わになる薄地の白いブラウスを着て意味不明の言葉を呟きながら町を彷徨う美しい狂女。彼女の存在に気付いた群衆が彼女を取り巻き、そのうちある男が彼女に話しかけようとして、他の男に阻止され喧嘩が始まる。そのメカニズムの根底には一種性的な心の動きがある。女たちの肌を隠すように強制する制度とは、性的な好奇心と嫉妬心に根を持つ男同士の牽制ではないのかと、問いかけているように見える。
「パッセージ」では幻想的な埋葬の儀式、「トゥーバ」では神話的なエピソードが描かれる。いずれも美しく詩的な映像作品だった。ただ、そのメッセージは他の作品ほど明瞭ではない。敢えて言えば、「生と死」だろうか。
シリン・ネシャットは1957年生まれのイラン出身の女性映像作家。16歳の時、アメリカの学校に行くため出国したものの、イラン革命の勃発によって帰国できなくなってしまったという。したがって、彼女の芸術家としての自己形成はアメリカで行われたわけだ。彼女はイラン人としての出自とアメリカ的教養という二面を抱えている。この二重性が良くも悪くも彼女の立ち位置を規定していると言える。
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このメモを書いてから何年か後、YouTubeに「荒れ狂う/Turbulent」がアップされていることを知った。正対する二つの壁に投影されるオリジナルの映像を動画の画面の左右に並べて見られるよう編集されていた。
今回改めて検索したが、「荒れ狂う/Turbulent」は健在。新たに「取り憑かれて/Possessed」が見つかった。
YouTube:
Shirin Neshat "Turbulent"
YouTube:
Shirin Neshat "Possessed"
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ちなみに、現代の所謂「フェミニズム」に関しては、実態があまりに多様なため肯定も否定もしない。
…この展覧会では、むしろ映像作品の豊かな表現力と可能性について認識できたことが最大の収穫だった。
ということで、なんとなく幻想的な風景写真から。



