札幌興農園 小川二郎の系譜 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

小川二郎は松江市殿町に生まれ、後に分家し北海道に移り住んでいます。その祖は戦国時代の武士小川右衛門橘勝重です。
小川勝重について木次町誌に記載され、永録5年(1562)に尼子氏に仕えていた下熊谷高畦城主(くまたに)熊谷新右衛門を毛利氏に属した三刀屋氏の家臣小川卯衛門兵衛勝重が攻め破ったとあります。この頃は尼子氏に属していた三沢、三刀屋、赤穴などの武将は毛利氏に降っていますが、その後、小川氏は高畦山城主となり文録元年(1591)に没します。その子雨庵は医者として堀尾氏に仕え二百石を賜っています。堀尾氏あとは民間人となり、木次に移住して医業を続けたという事です。

この小川勝重は橘とあります。町誌には尾原の大坪大明神社の棟札に大壇那を三沢氏(飯島)として神主橘重清(1516)、神主橘清重(1534)、神主橘信重(1564)とあります。代々当地の神主を務めた家柄だったと考えることができます。三刀屋氏の家臣というより、三沢氏の家臣の方だったのではないのでしょうか?

小川の地名は木次町内にもありますが、関連は不明です。小川氏についての新な情報が得られたので記事にしました。