ジャニーズ改名問題と強迫性障害 | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

ジャニー喜多川氏の性加害問題から「ジャニーズ」という名称変更も現実のものとなってきた。ジャニーズのファンからすれば慣れ親しんだ名前が変えられてしまい残念という感想もあろうが、被害者の心情を慮れば反対意見の聞かれないことに理解は出来る。だが、私は心の病の側面から言ってこれに異議があるのだ。

 

私は記憶障害によるトラウマ体験から、強迫的にそれを避けようとするあまり日常生活に支障が出る経験をしてきた。だからジャニー氏の被害者の抱えるトラウマによって、「ジャニー」という名前を聴いただけでトラウマが再生される苦痛から逃れたいという気持ちは充分に分かるつもりだ。

 

だが、分かることとそのままで良いということとは全く別の話である。私のように避けることで日常生活が成り立たなくなる場合だってあるからだ。トラウマは自分にとってものすごい威力を持つものだった訳だが、忘れないことが大事なことではない。忘れることは出来ないかもしれないが、思い出す回数を減らすことで以前の自分に近づくことが出来るのだ。

 

それには暴露療法的に避けていた嫌なものに接して慣れる必要がある。私はたまたまだが、それをすることになって日常生活を取り戻せたのだ。だからその意味で「ジャニーズ」という言葉が無くなってしまうと慣れることが出来なくなる訳で、これが私の異議の理由なのである。

 

ただ、今回の問題に限って言えばトラウマの治療にはならないが、「ジャニーズ」という言葉を抹消することで日常に支障のない生活を送ることが出来るかもしれないとは思う。それは「ジャニー」という言葉がジャニー喜多川氏とほぼイコールで結ばれるからである。

 

スペルを見れば分かるが、ジャニーとはjohnnyであり通常はジョニーと表記されるものだ。そう、ジョニー・デップのジョニーである。それをネイティブな発音に倣ってジャニーと表記したために「ジャニー」はジャニー喜多川氏固有の名称となったのだろう。

 

もし、通例の通りに「ジョニー」としていたら、被害者はジョニー・デップの名前を聴いてもフラッシュバックを起こしてしまうかもしれない。だからと言って、ジョニー・デップに改名を要求する訳にはいかない。通常はこのように全く無関係だが同じ記号を有するものが存在したりする訳である。だから社会的な生活をする上で慣れることは必要なのだ。

 

そんな訳で、今回だけは「ジャニーズ」抹消計画が遂行されても実害はあまりないのかもしれない。だが、これによってこの「臭い物に蓋」的な思考が常態化してしまったら、先述したように同じ属性を持った無関係なものに被害を及ぼしてしまうことになる。そのことには充分に留意すべきなのである。

 

そしてまた、トラウマは当人のためには解消すべきものなのだ。多くの事件や事故で「この問題を風化させるな」論が盛り上がり、被害者もそれを使命のように感じてしまうものである。だが、少なくとも被害者は日常を取り戻すことこそが必要なのだと私は感じている。

 

尚、私の記憶障害によるトラウマは下記に詳述している。

決して侮れない健忘 マイスリー  | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)