レールを外れた者へのロールモデル | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

先日やっと精神科の薬の完全断薬に至った。これでめでたく障害者から卒業できたわけだが、手帳はともかく障害年金が当てに出来なくなるので生活費を何とかしていかなければならない。もっとも、いい歳なので60歳から老齢年金を繰り上げ受給するという手も無くはないのだろうが思案中である。

 

もともと美大卒(それもファインアート)だからまともなレールに乗ろうとしていたわけではなかったが、結果としてはそれなりにサラリーマンをやり中間管理職にもなったのだった。だからメンタルを病んでの現状はやはり想定外である。こんな想定外にある者にとって先達のロールモデルは参考にしたいものだが、それがなかなか見つからない。それは精神科デイケアに通う利用者仲間にとっても同様だと思うのである。

 

だったら自分がロールモデルになってやろうとも思うのだが、それを体現しようとしている人(境遇は違っているが)の番組を観たので参考にしつつ考察したい。聴覚障害がありながらスターバックス(NHKだから伏せられてはいるが)で接客する山口トモさんである。

 

難聴の山口さんが話し言葉中心のオーダーを受けるのは難しい。そこで山口さんは聞こえないことをはっきりと伝えて、専用の指差しオーダー表を使用している。通常のコミュニケーションでは不都合があることを客側に意識してもらうことは大切なことだ。それはマイノリティである障害者がマジョリティである健常者社会で行動する基本でもあろう。ただ、こんなことが許されるのは意識高めのスタバの社風によるだろうし、また同様にそこそこ意識高めのその客層だからだとも思えるのだがどうだろう。

 

私は”意識高い”なんて揶揄するためにしか使わないが、そんな薄っぺらなものであれ他人に対する最低限のマナーのある環境は、障害者が働く上で重要であろう。私が掃除夫としてバイトしている商業施設には、スタバには行かないであろう意識低めの人たちも散見される。中には掃除夫というだけで自分より劣位だと思っている者(横柄な態度)だっている。幸いいまの私は客観的な判断能力があるので「彼等よりはマシな人間だ」と思えている。それで病まずに済んでいるが、そうでなければ薬の量が増えることになるだろう。

 

意識低めの自分本位な彼等は少しでも自分の負担になることは嫌で、まして客であればそれが当然のこととして譲らないものである。そんな彼等に山口さんの指差しオーダーが素直に受け入れられるだろうか? いや、彼等はスタバには行かないからいいのだが、そんな客層をフィルタリングしているスタバだからこそ成り立つことだと言いたいのだ。障害者を雇用している企業はそれなりにあるだろうが、接客を伴う場合の客層までは選べないことが多いのではないかということである。

 

片や精神科デイケアの利用者には「ひきこもり」に近い社会的な自信を失っている者が少なくない(かつての私もそうだった)。そんな彼等にとってデイケアや作業所等の障害者コミュニティは攻撃からは守られてはいるかもしれない。だが、そんな環境に居続けていてはいつまでも自信≒抵抗力は得られないと思う。これは番組で山口さんに教えられる側の難聴の高校生がいるだろう環境についても同質に思えた。彼等も守られている分狭い世界に閉じこもっているのだろう。

 

ロールモデルとは規範のことだが、そこには自信が備わっているものである。そうか、自信とはより広い社会の中で「自分流が有効だ」との経験値を積むことで育まれるのだ。いま改めて気付いたが何のことはない、いわゆる成功体験という言葉に収まる話である。そんな自分流を最小限のリスク(意識高めの環境)で試せる場所を探すことが、デイケア利用者にとっての第一歩ということになるのだろう。期せずして何とか第一歩に進めている私は、より広い社会での第二歩目をこの指針で探していこうと思う。