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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

前回の記事

 

夫婦・家庭というものは

良いお手本がないとなかなかうまくいかないものですね?

 

 

そもそも、家庭というものは

二人が作り上げていくのであり、

自然にできるものではないのです。

 

私の中には、愛し合った(好きになった)二人は、

何もしなくても、いつまでも好きになった気持ちが

続いていくものと思っていました。

 

ですからそもそも、

好きという気持なんかは2~3年で覚めるものだから、

その後ずっと長く気持ちよい家庭を作り上げるためには

どうすればいいのか?

 

などという考えは思いつかなかったし

不幸にもそれを教えてくれる人にも出会わず、

というより自分で回りを見て気づくべきことに

何も気づけずに・・

 

愛情が覚めた後苦しみ続けた私がいたわけです。

 

→次に続く

 

前回の記事

 

そうしたら神様はじゃ!『ずっと家にいてくれるこの人はどうじゃ』と

会わせてくれたのです。

 

独断と少し偏見を交えて言わせてもらってもいいですか?

 

彼は大人として子供と遊んでいたわけではないのです。

自分も子供になっていたのです。

 

仕事よりもその方が楽しかったのです。

 

仕事として子供と遊んでいる大人はいますが、

普通はずっと子供と遊び続けられる大人はいないと思います。

 

私は私のママ友から

『お父さんが子供と遊んでくれるからわねエ~』と

いつも言われていました。

 

私は『そうですね』と答えながら、

『何か変だ』という思いでした。

 

彼は仕事をしないで子供と遊んでいたのです。

 

その仕事をしないで・・・というところは、

他人にはわかりません。

 

困るのは私だけです。

 

→次に続く

前回の記事

 

彼に打ち込んでいる仕事があれば、

子供と遊ぶより楽しい仕事があれば

子離れはもっとスムーズだったと思います。

 

神様はなかなか意地悪です。

というよりも残酷なまでに公平であり、

何事もバランスをとってくれます。

 

というのは私の父は家庭よりも仕事の人でした。

とはいっても小さい頃は、

色んな所に連れて行ってくれたようです。

 

毎週のように日曜は徳島の児童公園に

行っていたような記憶がありますし、

 

夏には必ず海水浴に一家で行っていた記憶もあります。

 

でも小さい時の記憶よりも大きくなってからの方が

鮮やかに残りますね!

 

それに父は仕事熱心で出世をした人なので、

家にいる時間が少なかったことは当然の事だったと思います。

 

そして、昔の人にありがちな怖い父だったので、

和やかに家族で話をしたという記憶は全くありません。

父は怖いもので、

父に甘えるなどということは絶対にできませんでした。

 

やはりそれは少し寂しいこととして

私の心に残っていたのでしょう!

 

結婚する相手は家庭的な人がいいなぁと思っていました。

 

→次回に続く