猿蟹合戦
昨日から、仕事の残件整理が続いております。
皆様のBLOGへの訪問や、コメントのご返事などが遅れそうです。
お許しを
《猿蟹合戦外伝》
サルがカニの代わりに木に登って柿を独り占めすると、蟹が一計を案じて「柿の籠は枝に掛けると良いんだが」とつぶやきます。サルはなるほどと枝に籠を掛けると、柿の枝は折れやすいので籠は落ちてしまいます。蟹は素早くこれを抱えて穴に潜り込むます。サルが、「柿をくれ」というと、「入っておいで」と話が噛み合いません。サルは怒って、「では、穴に糞をひり込んでやる」と穴に尻を近づけました。蟹はあわててサルの尻を挟みました。それ以来、サルの尻から毛がなくなり、蟹の爪には毛が生えるようになったという由来話となっているものがあります。

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お許しを
《猿蟹合戦外伝》
サルがカニの代わりに木に登って柿を独り占めすると、蟹が一計を案じて「柿の籠は枝に掛けると良いんだが」とつぶやきます。サルはなるほどと枝に籠を掛けると、柿の枝は折れやすいので籠は落ちてしまいます。蟹は素早くこれを抱えて穴に潜り込むます。サルが、「柿をくれ」というと、「入っておいで」と話が噛み合いません。サルは怒って、「では、穴に糞をひり込んでやる」と穴に尻を近づけました。蟹はあわててサルの尻を挟みました。それ以来、サルの尻から毛がなくなり、蟹の爪には毛が生えるようになったという由来話となっているものがあります。


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律
本日は、仕事の打ち合わせが長引き、画像の掲載が遅れました。
本日の画像は、既存家紋の「律」です。
古代中国の基準音階、十二律に起源すると考えられます。
十二律とは、オクターブを半音ずつ十二分したものであり、奇数の各律は「律」、偶数の各律は「呂」と呼ばれ、合わせて「律呂」と称するものです。
六律は「陽」、六呂は「陰」としました。
雅楽では、唐代の六調子(りくちょうし)と呼ばれる壱越調、平調、双調、黄鐘調、盤渉調、太食調の中から管弦の曲目が選ばれます。
これらの調子は、季節とも関連し、春には双調、夏には黄鐘調、秋には平調、冬には盤渉調というように選ばれることもあります。
いずれにせよ、陰陽五行説が背景にあることはまちがいないと考えられます。

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背景は、私が撮影した銀座と、お寺の山門の合成画像です。

本日の画像は、既存家紋の「律」です。
古代中国の基準音階、十二律に起源すると考えられます。
十二律とは、オクターブを半音ずつ十二分したものであり、奇数の各律は「律」、偶数の各律は「呂」と呼ばれ、合わせて「律呂」と称するものです。
六律は「陽」、六呂は「陰」としました。
雅楽では、唐代の六調子(りくちょうし)と呼ばれる壱越調、平調、双調、黄鐘調、盤渉調、太食調の中から管弦の曲目が選ばれます。

これらの調子は、季節とも関連し、春には双調、夏には黄鐘調、秋には平調、冬には盤渉調というように選ばれることもあります。

いずれにせよ、陰陽五行説が背景にあることはまちがいないと考えられます。


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背景は、私が撮影した銀座と、お寺の山門の合成画像です。
蟹牡丹・仙台蟹
本日の画像は、仙台七夕の時期にちなんで、伊達家の「蟹牡丹」です。
伊達氏の使用している牡丹家紋は、伊達綱村の時に近衛家に願って贈られ、その後重村の代に近衛内前の養女を室に迎え、斉村の代には鷹司輔平の娘を夫人とし、婚姻により実質的な裏付けを得たものです。
同じように他家においても、島津氏は近衛家の島津庄司の役により下賜され、津軽氏は戦国時代に近衛家から養子(落胤だという)を迎え、江戸時代にそのことを近衛家に認められ家紋を与えられました。
浄土真宗の東本願寺の寺紋は「牡丹」でありますが、これは江戸時代の中ごろ、近衛経熈の娘熈子が東本願寺光朗に嫁いだことから用いられるようになったといわれています。このように、牡丹紋は近衛家との関係をもって用いたことが分かります。
牡丹の花はまことに豪華で艶艶な美女を連想させます。
中国では富貴の象徴とされ、百花の王と呼ばれました。
日本に伝来すると珍重され、貴公子の間に広まり、やがて衣服などの模様に取り入れられました。
神護寺の源頼朝画像の着衣にも図案化した牡丹が描かれています。 

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伊達氏の使用している牡丹家紋は、伊達綱村の時に近衛家に願って贈られ、その後重村の代に近衛内前の養女を室に迎え、斉村の代には鷹司輔平の娘を夫人とし、婚姻により実質的な裏付けを得たものです。
同じように他家においても、島津氏は近衛家の島津庄司の役により下賜され、津軽氏は戦国時代に近衛家から養子(落胤だという)を迎え、江戸時代にそのことを近衛家に認められ家紋を与えられました。
浄土真宗の東本願寺の寺紋は「牡丹」でありますが、これは江戸時代の中ごろ、近衛経熈の娘熈子が東本願寺光朗に嫁いだことから用いられるようになったといわれています。このように、牡丹紋は近衛家との関係をもって用いたことが分かります。
牡丹の花はまことに豪華で艶艶な美女を連想させます。
中国では富貴の象徴とされ、百花の王と呼ばれました。
日本に伝来すると珍重され、貴公子の間に広まり、やがて衣服などの模様に取り入れられました。
神護寺の源頼朝画像の着衣にも図案化した牡丹が描かれています。 

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