「なぜ過労死はなくならないのか」マルクスの資本論から読み解く意味②〜100分de名著より〜 | 『もの想い』macoto

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wikipediaより参照

カール・マルクス

1818年ドイツ生まれの

哲学者・思想家・経済学者・革命家

 

 

以下よりNHKEテレ

100de名著より抜粋

 

1867年マルクス経済学を説いた

『資本論』第1巻(全3巻)を刊行

 

資本主義システムを分析し

社会の問題を明らかにすること

をテーマに書かれた150年前の本

 

 

 

 

 

難しい本を読むのが苦手は私は

よく「100分de名著」のような

噛み砕いて説明してくれる番組を

好んで観ています📺

 

※この記事は5000文字超えの

長文記事になります🙇

お時間のあまりない方は

赤字だけ読めば雰囲気はわかります😅

 

 

 

 

 

今回の放送は2021年1月6日から

4週にわたって放送された

『マルクス 資本論』

あらためて学びなおしてみました

 

 

 

 

 

司会の伊集院光さんは

頭が良くて物知りな方で

わかりやすく話してくれるので

好きなタレントさんの一人です😊

 

第1回のテーマは

「商品」に振り回される私たち

 

今回は『資本論』第2回の

なぜ過労死はなくならないのか

 

 

指南役は経済思想家の

斎藤幸平さんです

 

 


テーマは「労働」についてです

 

どうして我々はこんなに働いているのか?

 

これだけ技術も発達して

こんなに豊かになっているのに

過労死のような問題がなくならないのか?

 

マルクスの『資本論』を基に

考えていきたいと思います

 

 

 

まず資本主義がどのようにして

利益が生み出されて行くかを

知ることが必要とのことです

 

それでは『資本』とはなにか?

 

その概念から考えていきましょう


 

お金・企業が持っているビルなどの

イメージを持つ方が多いのですけれど

 

マルクスのいう『資本』とは

価値増殖の運動である

と位置付けられています

 

 

 

マルクスはG−W−G’ゲー・ヴェー・ゲーという式で

資本の一般定式を表しました

 

この説明は簡略化しますね😅

 

Gは「お金」

Wは「商品」

 

パン工場で例えると

元手となるG「お金」で

W「商品」のパンを作り

売ることで元手より多い

G’「元手+利益」が得られます

 

これを繰り返すことで

どんどんお金が増えていく

このお金儲けの運動が

マルクスの言う『資本』です

 

 

 

資本主義より前の社会では

W−G−Wヴェー・ゲー・ヴェーという式でした

 

例えば靴職人がW「商品」の

靴を売ってG「お金」を稼ぎ

そのお金でW「商品」のパンを買う

パンは食べてしまえばそこで終わりです

 

資本主義以前は「価値」が増えません

※「価値」は第1回で触れたので割愛します

詳しくはコチラをご覧ください🙇

 

 

 

資本主義社会

物を使うことよりも

売ることを重視します

 

人は価値増殖し続ける

というシステムの歯車

になっていくのである

 

 

 

斎藤幸平さんはこう言います

 

価値の増える運動には

ゴールがないんです…と

 

 

例えば私も愛用しているamazonの

創始者で現CEOのジェフ・ベゾス氏

2020年8月時点で世界で初めて

保有資産が2000億ドルに到達した

(日本円にしてゆうに20兆円超え😅)

 

それでも彼はお金儲けは止めません

絶対に使い切れないほどのお金を

持っていてももっともっと多くの

資本を貯め込もうとしています

 

資本主義の始まったとされる

約150年前から脈々と続き

ゴールのない資本競争がいまも

繰り広げられていますよね?

 

 

この無限の価値増殖のループ

を続け資本家も楽しくないのに

常にコストカットして

できるだけ次の投資へと向かう

 

『資本主義は膨張が止まらない』

 

世界中を巻き込んでそれでも

マーケットを拡大していこうとする

 

誰ももう求めていないとは

私たちも薄々感じていても

資本のチカラ人間の意識を

離れて働かせ続けるのが

資本主義の怖ろしさでもあります

 

 

 

そしてなぜ資本家は

労働者を働かせすぎるのか?

 

 

岡山天音あまねさんの朗読が始まります

 

 

『資本論』より

 

価値は、それが価値であるがゆえに

価値を生む、という

神秘的な性質を受け取った。

それは生きた子を生むか、

また少なくとも

金の卵を生むのである。

 

 

 

長時間労働の悲劇が起こる

『メカニズム』とは

 

例えばあるパン工場にて

1日10000円で雇われている

労働者が8時間労働で生む価値が

16000円だとします

 

すると差額の6000円

資本家の利益になります

 

 

労働者の賃金を越えて

生み出すこの差額をマルクスは

「剰余価値」と呼びました

 

資本家が利益を生み出す

一番簡単な方法

同じ給料で労働者を

長時間働かせて

剰余価値を増やすこと

 

いかに労働者を長く働かせ

価値を搾取できるか

利益の追求に囚われていく

資本家をマルクスは

「吸血鬼」と呼び批判しました

 

 

 

続けて岡山天音あまねさんの朗読にて

 

自然日の限界を越えて

夜間にまで労働日を延長することは

(中略)

労働の生き血を求める吸血鬼の渇きを

どうにか鎮めるだけである。

それゆえ、

一日の二十四時間全部の労働を

我がものにするということが、

資本的主義的生産の内在的衝動である。

 

 

 

渇き続ける喉を潤すため

血を吸い続ける吸血鬼のように

資本家は搾取を止めません

 

そんな資本家の犠牲となった

労働者の悲劇を

マルクスはこう記しました

 

 

 

それは、ある非常に名高い

宮廷用婦人服製造所に雇われ、

エリズという優しい名の婦人に

搾取されていた二十歳の女工

メアリー・アン・ウォークリーの

死亡に関するものだった。

 

女工たちは一日平均十六時間半、

だが社交シーズンともなれば

三十時間休みなく働いた。

 

彼女たちの「労働力」が萎えてくると

シェリー酒やポートワイン、

コーヒーが与えられ、

労働を続けさせられたという。

そして、悲劇は

社交季節のピークに起きた。

 

メアリー・アン・ウォークリーは、

他の六十人の女工たちとともに、

必要な空気の三分の一も与えないような

一室に三十人ずつ入って、

二十六時間半休みなく働き、

夜は一つの寝室を幾つかの板で

仕切った息詰まる部屋で、

一つのベッドに二人ずつ寝かされた。

 

しかも、これは、

ロンドンでも良いほうの

婦人服製造工場の一つだったのである。

 

 

 

ここで司会の伊集院光さんは

自分のタレント業に例えて話します

 

「タレント(私たちでいう個人事業主)は

資本家であり労働者でもある立場だと

自分がこれをやりたくないと言えば

仕事を他に取られちゃうと思ったり、

 

もしも時給計算だったりすると

労働者側の方ももっと働けば

もっと給料を稼げるようになる

資本家が止まらないのと一緒で

労働者も止まらないということも

ありますよね?」と問います

 

 

斎藤幸平さんは

労働者間で競ってしまうと

自分たちの労働条件をさらに

悪化させてしまうという

チキンレースに巻き込まれる」

 

「この話しは日本社会に

おいては長時間労働による

過労死精神疾患

増加問題にも繋がっている

と思います。」と懸念しています

 

 

 

私の両親や私自身もある意味ずっと、

このメアリー・アン・ウォークリー

の話しと同じように資本家から

搾取を続けられていて幼い頃から

いまのいままで貧乏から抜け出せない

でいると思いました。

 

これは資本家側意識の方から言わせれば

「本人の努力が足りないからだ」と

ごく当然のように言われるかもしれません。

 

しかし、現実問題として

日々の衣食住にも困るような生活で

働きづくめの毎日で思考することさえ

できないように資本家に追いやられ、

 

資本主義社会の資本家側になるために

必要な資本を蓄えるためには

生半可な労働時間や肉体的な限界以上に

自分自身を酷使したうえで、

さらにそこに「運」が何重にも

重ならないと資本家たちからの搾取の沼から

抜け出せないようになっているのが、

資本主義社会のシステムなんだと思います。

 

「本人の努力が足りないからだ」と言う人は

もうその資本主義システムの策略にハマった

思考停止した考えだとも気付きません。

 

だから私は長年、心や体をすり減らしながら

徐々に徐々にこの資本主義社会への違和感と

資本家からの搾取に蝕まれていったと

自己分析するようになったのだと思います。

 

 

 

近代の日本でも問題視されている

自殺(自死)過労死について

こうした資本家たちの搾取

人々の差別や偏見などによる

肉体的かつ精神的な様々な疲弊から

次々と生まれ続けているのでしょう

 

 

 

伊集院光さんは言います

 

「資本家の方が、雇う側の方が、

ここで過労死させちゃうことで

とても損をしているんだっていう

考え方っていうんですかね?

 

これは労働者の命だけの問題じゃなくて

(過労死は)雇う側の損失でもある

いうのがベストでしょうね?」

 

 

 

しかし、マルクスは

そんな資本家のマインドとして

 

「大洪水よ、

我が亡き後に来たれ!」

 

自分が金儲けした後なら

後は野となれ山となれという

自分さえ良ければいいという

個々の資本家はそんな

身勝手な考えに陥りがちだと

分析しているのです

 

 

 

なぜ労働者は過酷な労働環境から

逃げたり抵抗したりできないのか?

 

 

過重労働から逃げられない理由を

2つの自由がある

からだとマルクスは言いました

 

自由1:強制労働からの自由

 

かつての強制労働のような

労働から解放されている

という意味の自由です

 

労働者は自分の労働力を

どの資本家に売るかは

あくまで自分で選ぶことができます

 

自由2:生産手段からの自由

 

ここでの意味は自由がない

という意味です

 

生きてゆくために必要な物を

生産する手立てがないということ

 

生きてゆくためには労働力を売り

賃金を得なければならないのです

 

 

 

ここで天音さんの朗読へ

 

奴隷は、ただ外的な恐怖に

駆られて労働するだけで、

彼の生活(彼に属してはいないが

保証されている)のために

労働するのではない。

 

それに対して、自由な労働者は、

自らの必要に駆られて労働する。

 

自由な自己決定、

すなわち自由の意識や、

それと結びついている責任の感情は、

自由な労働者を奴隷よりも遥かに

優れた労働者にする。

 

 

 

仕事を失ったら

生きていけないという恐怖

 

自分で自発的に

選んだという自負

 

職責を全うしなければ

いけないという責任感

 

労働者を過酷な労働に縛りつけるのは

その2つの自由だったのです

 

 

 

まさに私たち日本人は

この2つの自由によって

自己責任を押しつけられ

自分で選んだのだからと

古い日本政治による教育を

頭に叩き込まれてしまいました

 

でもそれは「選んでいるのではなく」

「選ばされていたのだ」と気付きます

 

本当にしたい仕事をできている人が

この日本にはどれくらいいるでしょう?

きっと1%にも満たないと思います。

 

職人だった私の父でさえ、

「手に職をつけて生きろ」という

考えを私に言っていましたが、

私たち家族を養うために

身を粉にして犠牲の上に

働いていたんだろうと思います。

 

そうしないと生きていけないから…

 

でもそれでは本当の意味の自由は

なかったのではないか…と思うし、

晩年の父はとても悩んでいました。

 

 

 

私たちは資本家たちにとって

都合のいい働かせ方をさせられ

それをあたかも自分で選んでいる

かのように選ばされてきた

 

そういう考え方が蔓延して

過労死や自殺(自死)などで

人間を犠牲にして成り立つ社会

 

そんな絶望的な社会において

私たちはどう生きていけばいいのか?

 

 

 

労働日の制限は、

それなしには一切の解放の試みが

失敗に終わらざるをえない

先決条件であると、

我々は宣言する

 

 

労働者が自由を勝ち取るには

労働時間の短縮することだと

斎藤幸平さんは言います

 

例えば労働組合の要求は

賃上げを要求するイメージだが、

賃金が上がれば資本家に搾取される

割合は減るものの、

賃金が上がれば「もっと働こう」と

企業にとっても労働意欲を出す

ひとつの手として都合がいいもの

なのかもしれない

 

さらに、SNSやスマホなどを

四六時中見ている我々も

フェイスブックやGoogleなど

無料で便利なサービスでも

「本当に無料ではなく

企業にとって役立つビッグデータを

提供することで成り立っている」

そういったマーケティングの

個人情報を売って無料だと思い

使っているんだという

根本的な構造を知らずに

私たちは働かされているんだ

…と言っています

 

 

 

私たちもこうしてブログを書いていて

知らぬ間に自分の趣味・嗜好を

アメブロに提供したり、

各企業に提供したりして

広告欄にはいつのまにか

自分の興味ある商品がオススメされ

ついつい買ってしまうなんてことが

当たり前に起こっていますよね?

 

私は基本的に広告を見ないで

そもそも視界や思考から除外します

それでも、自然と何度も目に映り

サブリミナル効果のように

自分の意志かのように

商品を選ばされていることもあります

 

あなたへのオススメと言って

購入履歴から出てくるのも

パソコンやスマホからのデータを

Cookieという記録情報として

企業側へ提供を利用規約で同意して

知らず識らずと自分から提供してます

 

そういう仕組みを認識して

それでもあえてその商品を選ぶか

最終的に決断するのは自分です

それでもいいと選んだのなら

自分にとってプラスになるけど、

無意識に選ばされているという

ことすら認識せずにいます

 

資本主義の罠にハマっていると

「気付く」ことが、私たち個人単位で

本当の「しあわせ」を見つける

第一歩になるのだと私は思います。

 

 

 

「あれも欲しいこれも欲しい

もっと欲しいもっともっと欲しい」

 

 

ブルーハーツの「夢」という

歌のなかで出てくる有名なフレーズ

 

この部分がまさに資本主義を表していて

そのなかで「本物の夢を見るんだ」と

甲本ヒロトさんは歌っています

 

 

「しあわせ」という価値観は

本当の自分のなかにしかない

とmacotoも思っています😊

 

 

 

 

 

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