大東流合気二刀流秘伝 | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ
大東流合気二刀流秘伝
とは最近、様々に大東流を名乗る怪しい伝承の者が多いですが、あたかも知ったかぶりで、会内外の者に誤解を与える様な話が頻発されるのを憂います。
特に大東流に於いての様々な秘伝や口伝をあたかも自分だけが聞いた特別の様に飾り、だから私は特別なのですよ!とでも言いたいのでしょうか?
大東流は特に手合わせや相手の手や体の一部を持てば即座にその差が明確になる武術です。残念ながら武田惣角の時代ほど現在の武道者は普通の者との差を感じさせられないかもしれませんが、それでも合気を会得した者や合気柔術を正確に学んでいる者と、そうでない柔術のみの者や全く柔術にも成らない単なるスピードや反射神経を競う運動の技術しか無い者とは、確実に一線を引きます。
手合わせはあえて動きを先に察知しての昔の様な真剣勝負まではいきませんがそれなりの学ぶ気気持ちで対するとそれは大人なら確実にわかる物です。
さて、大東流合気二刀流秘伝の話にもどりますが、大東流の二刀流を二刀剣だとか、太刀を2本持って行うのがただしいとか、逆に小太刀なのだとか、を云々しているのはほとんど眉唾者と思って差し支えありません。またこれを口伝だと言っているのは本当の所は先師から何も習っておらずどこかで横に居て聞きかじった者でしょう。
当会は総務長から直々に指導を受けた方は時には白帯の同席時でも、技の話は全く同じことをお話されており、誰か特別に話す事はほぼ有りませんでした。ですのでほとんどの方は総務長からご自分の子供の頃の話から大人に成ってからとか社会人の最初の話などは稽古生には誰にでも屈託無く話されています。これが事実です。
さて技の解釈ですがあくまでもその時点の稽古生側にその理解度に差があります。これは長年稽古していれば理解が深いとは必ずしも成りません。これを確認したければ真摯な気持ちで習う態度で同じような話を言葉や文字で出している人の手を取りに行けば一目に了解できます。いかにも理解が深そうな文章を適当にごまかして表現する人物にまず本物は居ません。
たしかにこの手の体術や柔術は見た目と技を施された時に差があります。偽物と本物は歴然とします。
その中で大東流の合気二刀流は秘伝と表現されていますが、説明の言葉や見た目の見本では秘伝は見えません。また受けを取り経験されていても浅薄者特に合気に目覚めていない者には馬の耳に念仏です。ひどい場合には全く異なる非理屈を考えてそれをあたかも正しい様な説明をするので困ったモノです。大東流合気二刀流秘伝の名前の通り、合気が可能になり始めて、大東流は二刀を同時打ちする意味が解り、その深い真理が理解できると他の技にも効果を出せます。単純に両手を振り回して同じ方向に同じ様に振っている場合は、あきらかに大きな隙だらけが見えます。この隙がある者は全く理解しておらず、太刀を同時に二本ふるのが大東流とかをうそぶきます。
稽古生には稽古時に体感で指導させていただきます。

