練成は琢磨会にも伝わる鍛錬方法の1つです。 | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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練成は琢磨会にも伝わる鍛錬方法の1つです。

合気道諸派、各派大東流にも様々な形で伝わっています。

 私の現時点の考課が最高の考えだとは思っては居りませんが、先師から習った様々な事は、古流よろしく懇切丁寧に詳細迄あきらかにされたりはされません。入門時に教わるのは、多くは初伝のしかも初級の考え方や技法で有るのは当たり前です。その説明や話の中には出来る師は様々なヒントや深い意味も含んでいる事も多数有ります。しかしあくまでも初級者には初級者の理解範囲、もしくは覚え易い言葉での説明がなされます。

 脳味噌筋肉タイプは師から教わった事は全てそのまま秘伝の様に大事で、場合により超初級者に対しての説明があたかも物凄く深い意味で一言一句変えては成らない、手順や説明も全てそのままが秘伝伝承だと浅い理解の時点の事柄を残そうとします。それはそれで次に指導する時には活用される話です。

指導を受けるレベルが初心者で有ればある程形がデフォルメされたり、初級者用のコツが秘伝まがいになりがちです。そこは矢張りもう少し理解が深まりレベルが上がれば、その形の意味している事の本質や、デフォルメされ過ぎている部分の調整等が有って当たり前です。

余りにも形を変えるのとはまた意味が異なりますこれは形崩れでこちらも浅い理解の自分で出来たこれは卒業したと思う輩です、せめて10年から20年はその流派の門下で先達たちの教えられる言葉に素直に従い、出来る限り従うのは真の理解に必要です。

ですが逆に初級者用の説明を中級者やそれ以上の者に押し付けたり、鵜呑みにしているのは研究心の無さ、怠惰で考えなさ過ぎの頭では無いでしょうか、語弊を承知で運動部系の場合は師が黒を白と言っても白だと思わないと駄目だと言う考えもある面必要なのですが、何故そう言う必要がその時に有るのか?迄は思索を巡らす必要が有ります。単に理屈っぽくて、足り無い面を諌めて居るのか?目先に囚われるなを表現しているのか?表面に見えている浅い理解では無くその本質を見なさいと諭しているのか?等です。本当に脳ミソ筋肉タイプは先生が言っているからそうなのだと頭ごなしに後輩に指導したりします、これは愚か者の代表です。

 我々大東流合気柔術琢磨会は初伝は合気道の植芝盛平氏から教わって技法が伝わって居ます、総伝写真集の前半はあきらかに植芝盛平氏からの指導です。錬成と呼ばれる植芝盛平氏から「ひりょくのようせい」もその1つです。

植芝盛平からのこの言を聞き「臂」(肘、肩から手首までの部分)の字を充てたと聞いています。この漢字の元は富木謙治氏とも聞きます。富木氏は合気道の技術を体系化し理論化を行い普及に尽力されています。全ては存じませんが整理は柔道にならい過ぎた為に、合気柔術から合気の面がかなり欠落したか、合気は書き表す事は出来て居なかった様です。富木氏の理解は柔術の域を出ていなかったのかも知れませんが、残された書は多くは柔術でよく整理されています。彼の技術を合気道とは全く違うと言うのは己の理解度が全て感覚だけとか、理性が働いていないか、若しくは本当は武術の基礎の基礎も欠けた技に成ってしまっているのにそれを認めないに等しいでしょうか。とりあえず出された書物がもしかするとまだまだ初歩の初心者向のもので時間が足り無かった可能性も有ります。富木謙治氏は昭和12年に満洲に渡り関東憲兵隊や満州国に創立された建国大学で合気武術を指導されています。この時のテキストとして富木氏が作成した「合気武術教程」の中でも「臂力ノ養成」として表されている様です。富木氏は「ひりょくのようせい」の動作を見て「腕の力の養成」と解釈し「臂力ノ養成」と呼ばれてます。植芝盛平氏もこれを見て修正しなかった様子でそのまま知られるようになり、その一部が養神館系合気道にも伝わっている様です。大東流合気柔術琢磨会でもこの字を使っています。

 一部の大東流研究者は非力の養成の文字を用い、その解説は合気柔術の基礎鍛練法で重心の移動と体幹部の一体化を目的とし、腕力や脚力ではない力(力に非ず)を養成する技法としています。

 非力の養成の技法は様々に伝わってます。立合、半座、それぞれに徒手操法、太刀の形、単独動作(無負荷)、組動作(有負荷)

・太刀は、立合いでは太刀、半座では小太刀を用います。

・組動作では2人組から6人組までの動作があり、多人数捕に成ります。

・投げ技も有り、固める事もあります。


*残心に関しては本来武田惣角は形式的にはされて無かったのが本当の所です。

**これから見れば、我々は

練成はある程度負荷有りで立会

多人数捕、立会の人数が多い。

正座で相手が1名が合気上げ。

正座、もしくは蹲踞から相手が立つ、半座に有ります。

刀を持つ形はほぼ継承されず、互いに素手の形が現在の鍛錬形式に多く見られます、ただコツは剣を持っていると想像力無ければ柔術も会得は遠い道です。

 合気上げ、錬成、辺りの練習方法はおそらくは体を鍛えると言うのが主眼で、実戦的な対応は二次的な意味しか無いでしょう!

結果は投げたり倒したりするよりは、姿勢良く自分がスキの無いままの態勢を保つ方が大事です。

 初学者は姿勢良く、上半身を力み無く、近代の重心をかけるでは無く、自分のバランスを保つを心掛ければ、敵も自分も剣の時代を想定し、少しの切り傷も受け無い心掛けが、合気柔術の先の道が開けます!


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