すずきふみよしの「星の音を聴く」 -8ページ目

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
蠍座22度「野鴨を撃つハンターたち」

このシンボルのキーノート(基調)は
「個人あるいは集団の攻撃的な本能の社会的に容認された解放」

きょうはどんな日?
一個人の人間が人間として精神の自由を保つために、欲求充足と抑圧からの解放を社会に許容された様式で追求したいときです。

自身の内面に湧き起こるものについて効果的に責任をとり、真の自己主張の帰結に喜んで直面する用意ができ、そして行動が起こせるときというのがきのうでした。行動を起こすか否かについての問題がいま一度反復され、社会的な規模が拡大した格好で展開されている。行動を起こすことが必然であるならば、その帰結を甘受するというやり方で責任をとるという具合でしたが、どのような成り行きとなったでしょうか。きょうは視点も気分も変えましょう。

外見上表面的には反逆という現象が必然的不可避的に生じるだろうというきのうのムードでしたが、それを推進したのはとりも直さず自身の内面に湧き起こるものでした。それに突き動かされてやむなく行動を起こしたわけですが、ここにあるのは単なる感情の暴発や放出などではなく、行動の前段に極度に強い緊張とストイシズムが存在しています。抑えよう、コントロールしようという意志があってこそ、それでもやむにやまれぬ行動というものが生じてくるのです。きのう実際に本当に行動を起こしたのであれば、もちろんその帰結を受けとめる必要があるのがきょうです。粛々と対処してください。少なくとも表面的にはなにもなかったのであれば、きょうは抑えようという心のタガを外してみてください。シンボルに描かれているのはみずからの楽しみのために狩猟というスポーツに興じる人たちです。みずからの良心に従って規律違反を犯す兵士とはこのうえなく対照的な行動の現れですが、あえて共通点を見い出すとしたら、社会性との兼ねあいのなかで自分という個人の人間性をいかに保つかというテーマです。ハンターたちにしても自身の欲求を際限なく満たしているわけではなく、禁猟区と禁猟期を守って行動していますし、バッシングがあるのはさておいても狩猟自体は社会的に認知された娯楽です。良心や信念に基づく行動とは異なる、欲求充足のための行動ではありますが、そうした行動を通じて人間が人間らしくいられるのだということもまた事実でしょう。言うまでもなく犯罪は不可ですが、一応は法的に社会的に認められているものならば、きょうは多少不健全で不品行な反社会的な香りのする遊びを楽しんでみるのもよいでしょう。大いにストレス発散してください。あらゆる生に対して実に冷淡で無神経な搾取を繰り広げる傾向が見られるときでもあります。他人に向ければ違法行為となりかねないことも心しておきましょう。
サビアンシンボルは
蠍座21度「みずからの良心に従って兵士が命令に反抗する」

このシンボルのキーノート(基調)は
「攻撃的な社会の権威主義的な様式に従うことを拒否した結果に向きあう準備」

きょうはどんな日?
自身の内面に湧き起こるものについて効果的に責任をとり、真の自己主張の帰結に喜んで直面する用意ができ、そして行動が起こせるときです。

日常的な価値の背後にある価値への希求が強まり、また自身の存在の存続を賭してさえもそれを求めようとする勇気に突き動かされるときというのがきのうでした。二元論的な認識の向こう側にあるものを見に行こうという欲求が高まり、それを見せてくれようと手引きし案内してくれる存在もある。自己責任において博打を打つかのようにして、先に進むか否か。踏み出す勇気も湧き起こってくるだろうという具合でしたが、行動は起こせたでしょうか。きょうは行動を起こすということについてあらためてかんがえてみましょう。

行動を起こすか否かをめぐる葛藤は、10日前にもありました。自己犠牲をも厭わない〈愛〉を基盤においた深い人間関係の意義をかんがえ、傍観と実際の関与との境界を意識する。「溺れている男」を救出するという行動の基盤にあるのは愛でした。愛には責任が伴うことを意識しながらも行動に出るという一線を踏み越えるかどうかは、そうせざるを得ないという必然からでした。こうしたテーマがここでいま一度反復され社会的な規模が拡大した格好で展開されています。シンボルに描かれているのは明確な規律違反の姿です。その動機は自分の内面の問題、すなわち信念です。良心とは自分自身による自分自身への内なる規律ですが、それが軍規に優先している様子が描かれています。兵士は早晩処罰を免れ得ません。守るべき規律があり、同時にそのために破らなければならない規律がある。そこで起こした行動の帰結を甘受するという責任のとり方が示されています。しかし兵士は行動を起こしたことを悔いてはいません。現状においてなんら変化がなくなんの報いも見返りも期待できないことがらをただひたすら粛々と行うこと。彼の良心が、魂の美しさがそれを許さないからです。日常的な皮相さからの脱却を求める気持ちはきのうも見られたものですが、きょうはいよいよ具体性が伴ってくることでしょう。公共の福祉に対する完璧な不誠実傾向が見られるときでもあります。そんなことは重々承知のうえでもやるのが必然ならばやむを得ないでしょう。
サビアンシンボルは
蠍座20度「聖なる小道への入り口を閉ざしている二つの濃いカーテンを女性が引く」

このシンボルのキーノート(基調)は
「二元論的な認識の向こうにある人間の意識を暴露すること」

きょうはどんな日?
日常的な価値の背後にある価値への希求が強まり、また自身の存在の存続を賭してさえもそれを求めようとする勇気に突き動かされるときです。

対象への共感と同調によって自分の潜在性を高め、慣例に則った形式的な表現のなかにそれを解放し人間関係をさらに深めたいときというのがきのうでした。信念と信頼とがひとまず調和したところで深い人間関係を求めていく。チャネリングに近いような、相手への共感を強くし極端に同調することで相手の人格が自分に乗り移ったかのように話をする。相手への誠実さの現れとして慣例尊重の表現を用いるようにしようという具合でしたが、深まった感覚は得られたでしょうか。きょうはよくかんがえてその先へと進んでみましょう。

人間関係を深める方法として相手への共感を強くし極端に同調する。いささか乱暴だとは言えますが一定の効果は得られたことでしょう。チャンネルをあわせる、チューニングする。二つの異なる人格をそのようにあわせることで関係の深度と密度が高まるわけですが、深い人間関係にいたったところでなにをするかがきょうのテーマになってきます。シンボルに描かれているのはある秘教的な儀式に赴こうとしている人の存在とそれを手引きし案内する人の存在です。人間の精神が単独では知覚することができないリアリティを明らかにしてくれる存在、儀式の司教であるのがこの女性です。二という数字はキーノートにあるように二元論的な認識を象徴しており、その向こう側にあるものを見に行こうとしている、また見せてくれようとしている存在がここには示されているのです。そしてこの〈二〉は自分と同調相手の象徴でもあります。実際に具体的にその相手と連れ立って先へと進むことが示されているわけではありません。深い人間関係を経験したのちにさらに未知の領域へと突き進む、その意志と勇気がここに描かれています。めざしているものが本当にカーテンの先にあるかはわかりませんが、少なくとも求めているものは日常的な皮相さからの脱却でしょう。踏み出す、踏み込む、踏み入れる。その選択は自分次第です。愚かしい自己顕示によって人格の劣化と品性の低下を招く傾向が見られるときでもあります。選択がもたらす結果が自己責任であるのは言うまでもありません。
サビアンシンボルは
蠍座19度「オウムがふときいた会話を繰り返す」

このシンボルのキーノート(基調)は
「人知のおよばない知識を送信する潜在能力」

きょうはどんな日?
対象への共感と同調によって自分の潜在性を高め、慣例に則った形式的な表現のなかにそれを解放し人間関係をさらに深めたいときです。

他者への信頼と自己の信念とがひとまず調和し、高揚のなかでさらなる可能性を見い出すときというのがきのうでした。人を信じ助力の手を差し伸べる一方で、そうしている自分の価値を自分で検証してみる。人への信頼と同程度に自分をも信じられると自己評価を固めたところで、安定しかつ高揚した状態にいたるだろう。穏やかにすごし喜びを味わおうという具合でしたが、次へ進む意欲はどうでしょうか。きょうは他人への同調能力が高くなります。

信念も信頼も、重ねて述べますがさらに人間関係を深めてくれる要因となるものですから、この二つがひとまず調和したところで向かうべきは深い人間関係を求めていくことです。その方法としてのきょうの提案は、相手へひたすら同調を示すことです。シンボルに描かれているオウムはきいたものをそのまま話しているだけであり、人間が同じことをやったら相手は怒り出しかねません。ここで示されていることは、まずは相手への強い共感を抱くこと、そして慣例に則った形式的な表現で相手に接するということです。たとえて言うならばチャネリングに近い感覚でしょう。相手への共感を強くし極端に同調することで、相手の人格が自分に乗り移ったかのように話をする。相手の思考をトレースしてなりきってしゃべる。その限りにおいては模倣や反復も有効なものとなるでしょう。しかしそれでも相手にとっては違和感や抵抗感や場合によっては不快感を抱かざるを得ないものだとも言えます。だからこそ慣例的形式的な表現が誠実さの表れとして必要になってくるわけです。かたちをなぞることが慇懃無礼におもわれないだけの信頼関係はすでに築き上げられていることでしょう。なによりも共感する気持ちを第一にしていってみてください。とはいえ怠惰なものまねを繰り返すにとどまったり自己満足なふりをする傾向が見られるときでもあります。同調する相手はしっかり選んで。「みんなもこう言ってるから」と迎合するのは避けましょう。
サビアンシンボルは
蠍座18度「色とりどりに光り輝く森のなかの小道」

このシンボルのキーノート(基調)は
「成果を挙げたことや真に達成された人生の高揚感」

きょうはどんな日?
他者への信頼と自己の信念とがひとまず調和し、高揚のなかでさらなる可能性を見い出すときです。
自己評価をあらためて正しくするために内省し、自分の内面にあるこれまでの蓄積とこれからの生産性に信頼をおいておきたいときというのがきのうでした。なにかを信じる、他人に信頼を寄せる、しかし自分自身についてはどうだろうか。自分を信じることができるかどうか、また他人との深い関係のなかで自分を差し出し捧げるとしても自分の価値はどれほどのものなのか。時間をとって振り返り冷静に見直してみようという具合でしたが、見極めはできたでしょうか。きょうは平和にすごせるでしょう。

新しい体験をしようとしている人を選んで助力の手を差し伸べる。それは相手を信頼してこそ成り立つ行為です。そのように差し出した自分の価値を自分で値踏みし検証してみる。自己評価を固めて自分の値打ちは高いのだと自分自身を信頼することはひとつの信念です。人に評価を下すという行為は場合によってはひどく不遜で失礼なものとなる可能性もありますが、ここでは相手を信頼して差し出す自分自身に向けられており、だからこそ重みと深みと説得力が伴うのです。そうしたプロセスを経たいま人間関係の深化と発展の可能性はますます広がっていきます。シンボルに描かれている光景はいろいろな色あいに色づいた木々の葉やふくらんだ実が森いっぱいに満たされている様子ですが、これは希望に満ちた前途を象徴しまたそれを祝福しています。また同時にここまで到達したことへの祝福でもあり、具体的になにか成果や達成についての〈ご褒美〉も期待できることでしょう。穏やかにすごし喜びを味わってください。実を結ぶべき大きな価値あるものを認可あるいは容認することに屈折した喜びを見い出す傾向が見られるときでもあります。過保護はいけませんし収穫時を間違ってもいけませんし、またそれの価値は自分以外のあらゆる人が知っていることです。勘違いのないように。
サビアンシンボルは
蠍座17度「自身の精神によって受胎した女性が、出産を間近に控えている」

このシンボルのキーノート(基調)は
「内なる神の命令への全面的な信頼」

きょうはどんな日?
自己評価をあらためて正しくするために内省し、自分の内面にあるこれまでの蓄積とこれからの生産性に信頼をおいておきたいときです。

意図的かつ選択的に他者を受容することで、同時に自分自身の真髄を他者と共有することで人間関係のさらなる深化へ向かうときというのがきのうでした。対象を信じる、あるいは自分のなかに信念をもつ。それこそが人間関係をより深めるものなのだからそれを追求していこう。しかしなにもかもをすべて信じ受け入れるというわけにはいかないだろうから選ぶことを大切にしようという具合でしたが、信じられるものは見い出せたでしょうか。きょうは自分のほうに視線を向けましょう。

なにかを信じるということ、また他人に信頼を寄せるということは、さらに人間関係を深めてくれる要因となるものであるときのう述べました。しかし自分自身についてはどうでしょうか。それをここであらためて見直しておきましょう。他人との関係をこれまで以上に深めていく、そこには自分自身を差し出し捧げるかのようにして相手を受容することが必要となってくる。そこまでしているけれど、果たして自分の価値はいったいどれほどのものなのか。大変厳しいことですが、いったん冷静に見直してみてください。しかしなにもわざわざ否定的要素を探そうというわけではありません。むしろそう見直すことによって自分の価値はきわめて高いものであるのだと自己評価を新しくすることでしょう。シンボルに描かれている女性は処女懐胎した聖母マリアの比喩ですが、子なるイエスを身ごもり出産を迎えようとしているその姿はこのうえなく美しく誇らしげでさえあります。自分の内面の最も深いところから生まれ出ようとしているものの価値がどれほど高いのかを確信しているからです。自己価値を正しくとらえ自分自身への信頼をあらためて強くもつために、どうぞゆっくりと時間をとって自分を振り返ってみてください。まるで絵に描いたようにありがちないかにもアナーキスト然とした自給自足の生き方をうっかり求めてしまう傾向が見られるときでもあります。なんでも自分でできるという自信は結構ですが極端である必要はないでしょう。
サビアンシンボルは
蠍座16度「突然笑みを浮かべる少女の顔」

このシンボルのキーノート(基調)は
「新しい体験をする心の若者の側に熱烈に手を差しのべること」

きょうはどんな日?
意図的かつ選択的に他者を受容することで、同時に自分自身の真髄を他者と共有することで人間関係のさらなる深化へ向かうときです。

整えられた環境下にあってその環境を積極的に利用し、知的な遊戯性の高い創造やコミュニケーションを純真に楽しみたいときというのがきのうでした。結びつきや組みあわせの妙をより意味深いものとするために確立したチャンネルを積極的に使っていく。そこにはなによりも楽しみが伴ってしかるべきであり、お膳立てされた環境を存分に利用して自由にのびのびと無邪気に遊んでみようという具合でしたが、楽しみは得られたでしょうか。

深さと質を伴った〈交流〉を追求していくことがきのうまでの半月のテーマでした。行動を起こすか否か葛藤を抱えつつも境界を見定めて意識したりなど、人間関係全般について深度や程度を計測し直し、言わばどこまではOKでどこからがNGなのか見極めて、なおかつ深く良質の交流ができるか。その帰結が整えられた環境下でのその利用と〈遊び〉だったわけです。そして、きょうからこの先半月のテーマは〈信念と信頼〉です。人生において自分がなにかを信じるということ、また他人に信頼を寄せるということは、さらに人間関係を深めてくれる要因となるものです。またその対象は人だけにとどまらず、感覚を魅了してくれるものや想像力をかき立ててくれるもの全般へと及ぶでしょう。深さと質を先の半月以上に追求していく、そこで自分がどれだけ対象を信じることができるか、あるいは自分自身の内面に確固たる信念をもつことができるか。この先半月はそれが問われていくことになります。しかし言うまでもないことですが、対象はなにも森羅万象すべてというわけではありません。シンボルに描かれている少女は突然笑みを浮かべていますが、これは少なくとも相手への好意の表れだとしても少女が相手を選んで意図的にやっていることです。つまり「私はあなたが好きですよ」もしくは「害意はありません」「私はあなたを受け入れます」というメッセージをあえて示しているのです。一見だれしもに向けられているかのような笑みですが、そこには選択する意志が存在しています。そしてその基準は新しい体験をしようとしているかどうかです。相手の心の若さや感性のみずみずしさを愛し、敬意を払い、受け入れるということが、〈信頼〉の第一歩なのだととらえてください。一方であらゆる差別や区別の感覚や識別能力がまったく欠落してしまうがゆえに自分自身をも裏切りかねないような無分別な振る舞いに出る傾向が見られるときでもあります。ひいてはそれを自己顕示だととらえられてしまうおそれもありますので、やはり選択する意志を大切にしてください。
サビアンシンボルは
蠍座15度「五つの砂山のまわりで遊ぶ子どもたち」

このシンボルのキーノート(基調)は
「人間の進化の高次のレベルに同調させる精神の探求の開発の初期段階」

きょうはどんな日?
整えられた環境下にあってその環境を積極的に利用し、知的な遊戯性の高い創造やコミュニケーションを純真に楽しみたいときです。

新たな結びつきや組みあわせで生じた関係のなかに「コミュニケーションの新たなチャンネル」を確立しておきたいときというのがきのうでした。一見無関係な事実を関連づける創造的な利用ができるときというおとといを受け、そこで生じたものを一回性のもので終わらせないようにする。そのために、結びつけたものどうしの関係を〈規定のもの〉として確立するような工夫をしてみようという具合でしたが、お節介にならずにチャンネルをつくり得たでしょうか。きょうは楽しみを追求しましょう。

電話回線を敷設するということは、通話できない事情がある場合は別としても、少なくとも〈自由に〉双方向の会話が可能となる環境を整備するということです。しかしその環境も、利用されなければ宝の持ち腐れになってしまいます。コミュニケーションの新たなチャンネルを、ただ単に確立するにとどまらず、賢く有意義に使うということこそが真に求められることなのです。結びつきや組みあわせの妙をより意味深いものとするために確立したチャンネルを積極的に使っていくということ。そして、そこにはなによりも楽しみが伴ってしかるべきなのです。シンボルに描かれている砂山は五つありますが、五という数字は人間の最も創造的で鋭い洞察力をもった精神を象徴するものとされています。そのまわりで子どもたちが遊んでいるという様子は、高度に創造的な精神を開発するべく環境が整えられ、また開発されることが社会的に望まれている環境下で楽しみを見い出すという状態を示しています。発達や成長を自身に強いて目的意識に縛られるのではなく、お膳立てされた環境を存分に利用して、自由にのびのびと無邪気に遊んでみてください。すでに行動を起こしてもよい領域がわかっているのですから逸脱することはないでしょう。一方でまったくの無目的な愚かしい行為や発言が現れる傾向が見られるときでもあります。逸脱しない限りにおいては許容されるでしょう。

蠍座の季節のはじまりには「この先半月のテーマはこの〈交流〉」であると述べました。深さと質を伴ったそれが求められているとも述べましたが、さまざまな経験の末に最終的に、行動を起こし実際に関与する領域や程度を把握し、そのなかでどのように深い交流を達成するか。それがこのような帰結を迎えています。あしたからはさらに内面的な問題を大きく扱っていくことになります。
サビアンシンボルは
蠍座14度「新しい接続を設置する仕事中の電話の架線作業員」

このシンボルのキーノート(基調)は
「コミュニケーションの新たなチャンネルを確立する必要」

きょうはどんな日?
新たな結びつきや組みあわせで生じた関係のなかに「コミュニケーションの新たなチャンネル」を確立しておきたいときです。

事物や人間の根本にある関係の把握に高い直感力が期待でき、また一見無関係な事実を関連づける創造的な利用ができるときというのがきのうでした。前日までのプロセスが統合されるかのように、行動をめぐる葛藤が解消され一線を踏み越えることについての苦悩がなくなっていくと同時に、行動を〈起こしてもよい〉領域がわかるようになる。それはものごとどうし、人間どうしがどのような関係を結んでいるのかが直感的に把握できるからだという具合でしたが、わかってしまったことはあったでしょうか。きょうはその先の発展をかんがえましょう。

無関係に見えるようなものごとやことがらにも実は重大な関係があるのだと気づいたり、あるいはみずから関連づけることで創造的な利用に向かっていく。実際のところそこまでうまく達成できたかは難しいところでしょうが、不足を感じたらきょうもさらに挑戦してみてください。あれとこれとを結びつけてみる、こんな組みあわせはどうかと工夫してみる。きのうに引き続いてあれやこれや〈実験〉を試みてみるとよいでしょう。それが達成できたところでのきょうのテーマは、その結びつきや組みあわせを〈規定のもの〉へと確立していくことです。シンボルに描かれているのは電話工事のサービスマンですが、電話というものはかけたいときにかけたい相手にかけられて話ができるデバイスです。相手が通話できない事情にある場合は別としても、どんな離れたところにいようとも双方向の会話を可能にするお膳立てをしてくれる夢のような道具です。あれとこれとがこうつながればきっとおもしろいことになるだろうと結びつけてみたものの、それがそのときだけの一回性のもので終わってしまってはおもしろさも有益さも半減してしまいます。あれとこれとをべったりとした関係にするのではなく、両者のあいだに大切なライフラインを敷設する工夫をしてみてください。しかしながら、他人の出来事について不必要な関心をもったり平たくいえばお節介な関与をしてしまう傾向が見られるときでもあります。独りよがりではなくそれが本当に当事者のためになるのか、もはや行動にためらいを抱かないにしてもよくかんがえてみてください。
サビアンシンボルは
蠍座13度「発明家が室内実験を行う」

このシンボルのキーノート(基調)は
「文明化の根底にある、達成への衝動的な本能」

きょうはどんな日?
事物や人間の根本にある関係の把握に高い直感力が期待でき、また一見無関係な事実を関連づける創造的な利用ができるときです。

力や富や名声が儀礼的に誇示されるような人間関係のなかで、必要とされる手続きや作法に即したうえで欲望の充足を図りたいときというのがきのうでした。切迫した状況下で一線を踏み越えるようなやむにやまれずの行動が求められたような前日とは打って変わって、欲しいものを欲しがり手に入れようというごく素朴な気持ちからの行動に出てみよう。その際には必要とされる手続きをしっかりと踏まえたやり方でやらなければならない、という具合でしたが、欲望は満たされたでしょうか。きょうはわだかまりがほぐれていきます。

欲しいものが手に入ったかどうか成果のほどは別としても、必要とされる手続きや作法に即したやり方をとる、所定の手続きのなかで自分を表現することを学ぶという部分が、一応はきのうのテーマであり目的でした。またそのようなやり方をとるということは、責任は意識しながらもどうしても救いの手を差し伸べたくて手続きだの形式だのはさておき行動に出てしまうようなおとといの心情とは、大きく対極にあるものです。一線を、つまり傍観と実際の関与との境界を意識したおととい、手続きを踏まえたやり方で行動を起こしたきのう。そして前者での行動原理は愛と責任であったのに対し、後者では自身の欲望の充足でした。きょうはこの両者が統合される格好になります。行動を起こすか起こさないかについて感情的な葛藤が解消され一線を踏み越えることについての苦悩がなくなっていくと同時に、行動を〈起こしてもよい〉領域というものがどの程度なのかが見えてくるでしょう。単に責任がとれる範囲がわかってくるというだけではなく、ものごとどうし、人間どうしがどのような関係を結んでいるのかが直感的に把握できるようになるときだと言えます。ゆえに適切な行動を起こせるようになるというわけですが、一見無関係に見えるようなものごとに重大な関係があることを発見してしまう能力さえ発揮できる可能性があります。シンボルに描かれているのはなにかをつくり出そうと実験を行っている人ですが、大きな発見があればぜひ広く公益に利するような使途をかんがえるようにしてください。出会いのプロデュースなどにも適したときだと言えるでしょう。やらなければならないことをさておいて実体なく無為な時間をすごしたり偉大な天才的才能について無益な夢想を抱く傾向が見られるときでもあります。能力をもった人間はそれを正しく行使する責務があります。