すずきふみよしの「星の音を聴く」 -7ページ目

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
射手座2度「白波が海上の風の力を示している」

このシンボルのキーノート(基調)は
「超人格的な動機の抑圧下の無意識のエネルギーの動員」

きょうはどんな日?
他人との軋轢や自分の内面の葛藤などさまざまな障害が起こり得るなかで、それらの刺激によって成長と洗練が見込めるときです。

新しい季節のはじまりにあたって、過去の体験の共有に基づいた人間関係の再興から新生活をつくる力の源泉が確認できるときというのがきのうでした。自分を信じて新しい世界へ踏み出そうというその際に旧交を温めてみよう。古い僚友との再会を経てよみがえるかつての経験がこれからに必要となる力を再認識させてくれるだろうという具合でしたが、手応えは得られたでしょうか。きょうは気持ちが乱れやすいかもしれません。

力みなぎるなか元気よくいきたいところですが、反発を受けたり反感を買ったり抵抗勢力の阻害にあったりなどある意味当然のように逆境が予想されます。しかし、それに屈するようなことは一切ないでしょう。なによりも自分を信じ、自分の内にいくらでも湧き出てくるかのような力の源泉があることを知っているからです。無限のようにさえおもえる内面の資源の豊かさを実感しながら、日常生活のさまざまな問題に純朴な喜びを感じることができるでしょう。トラブルさえ楽しんでとり扱うことができるときと言えます。シンボルに描かれているのは幾分荒れた海の様子です。海はしばしばサビアンシンボルに登場しますが潜在意識の象徴であり、風は古くからスピリチュアルなダイナミズムに関連づけられるものです。意識の比較的表層部分で起こる精神運動とかんがえられます。両者のせめぎあいの産物が波です。困難な事態に直面したときその刺激によって潜在意識がいくらか泡立つことがあるとしても、大きな悪影響はありません。波は規則的な動きを見せますが、このような周期的な刺激によってむしろ精神が純化されていく様子が描かれています。きのう述べたように〈射手座の火〉は文明化を志向するものですが、文明とは多くの場合戦争によって進化してきたことをかんがえてみれば内面の波立ちの意義が肯定的に理解できるでしょう。的外れな苛立ちや神経過敏による自己消耗の傾向が見られるときでもあります。抑えこむことはありませんが他人への迷惑は考慮しておきたいものです。
サビアンシンボルは
射手座1度「退役した陸軍軍人たちが古い記憶を呼び起こすために集会する」

このシンボルのキーノート(基調)は
「文明や集団の業績がそれに基づいているような闘争の価値を再確認する意志」

きょうはどんな日?
新しい季節のはじまりです。過去の体験の共有に基づいた人間関係の再興から、新生活をつくる力の源泉が確認できるときです。

自身の精神の自由を保つために心的エネルギーの破壊的な発露が必要となり、またその道筋が明確に提供されるときというのがきのうでした。信念ゆえに帰属する共同体の価値観からの脱却を図るにしても、痛みを伴わないはずがない。心の内のバランスをとるために必要であれば悪ふざけをして笑い飛ばしてしまおう。それは許されていることで道も用意されているから、という具合でしたが、落ち着きは得られたでしょうか。きょうは旧交を温めてみるとよいでしょう。

信念あってそれまでの価値観を古いものとしたのですから、もちろんとるべき行動は自分を信じて新しい世界へ踏み出すことです。現在おそらくは同じような行動に踏み切って、晴れ晴れとした顔をしている人々がたくさんいることでしょう。そういう人々へ想いを馳せてみましょう。蠍の季節のはじまりでは他人の事情や背景に配慮しました。今回もある種同様と言えますが、一つ大きく異なるのは共通の過去の体験をもっている人々を対象にかんがえてみようという点です。シンボルに描かれているのはかつて同じ軍隊に所属し同じ任務に携わった戦友たちです。退役後久しぶりに同窓会で顔をあわせましたが、その間にはそれぞれの人生がありそれぞれの経験が数多くあったはずです。そこで培われた価値観もあったことでしょうし、場合によってはちょうどそれから抜け出したという人もいるかもしれません。しかしながらおたがいの体験の基盤にはかつての戦果があるわけです。そのような相手であればもはや多くの言葉は要らないのかもしれませんが、かつてともに戦ったという事実が、これから新しい世界へ踏み出し生きていくうえで必要となる力を再認識させてくれるでしょう。薄っぺらい怠惰や過去に対する不健康な崇敬傾向が見られるときでもあります。力は有効に使いましょう。

私たちが文明と呼んでいるものは、自然に対しての絶えざる闘争によって築かれてきたものです。自然から力を〈もぎとる〉試みであったとさえ言えるでしょう。軍隊とは人間がもち得る力の一種の極端な形態であり高度に組織化されています。あらゆる文明とは、いささか柔軟性に欠ける厳正な手続きに従うことをよしとした献身的な人々の、過去の世代の体験の産物の蓄積の上に築き上げられているのです。退役した軍人たちは寄り集まり、かつて良好な戦果を収めた古い想い出の灯火に再び火をつけようとしていますが、〈火〉というものはここではもちろん射手座というサインの抽象的な、特別な意味あいに関連づけられるものです。ここでの火とは、自然な生活の〈いま〉を、より大きな〈あした〉を築くために燃やすものです。未来志向の炎なのです。たとえそれが人類の過去の実りに根差しているとわかったとしても、より大きく広い文明化をもたらしたいのだという切望がここにはあります。すなわちここでの火は闘争への意志を象徴しているものなのです。古い価値観からの脱却を真のものとするためにも、新しい世界を切り拓く力の確認のためにも、この火の意味を正しくとらえましょう。

射手座の季節前半、この先半月のテーマは〈抽象〉です。個別の体験や事物から一般的な要素や性質を引き出すことです。個々の事情や背景への配慮を前提としながらも、より大きく全般的な視野でものごとをとらえる必要が生じてきます。そしてもちろん具体的なことがらのみにとらわれない抽象的な思考が求められることにもなります。ある種知的な発達の締めくくりとしてこの半月をすごしてみてください。
サビアンシンボルは
蠍座30度「ハロウィンの衣装をきた子どもたちがさまざまないたずらに興じている」

このシンボルのキーノート(基調)は
「いまだ未熟なエネルギーへ社会が伝統の限度内で提供する定期的なはけ口」

きょうはどんな日?
自身の精神の自由を保つために心的エネルギーの破壊的な発露が必要となり、またその道筋が明確に提供されるときです。

自分の信念がなににも勝る行動原理となり、帰属する共同体の価値観からの脱却を志向するがゆえに調停の必要が生じるときというのがきのうでした。自分を信じることと過剰な自己信頼とのバランスをとるという作業が、自分と社会との関係を軸にしてさまざまな立ち現れ方を見せることになる。とは言えどもすでに結論は決まっていて確実に脱却に向かっている。事態を調停し仲裁することに専心しようという具合でしたが、折りあいはつけられたでしょうか。きょうは心の安定化を第一にかんがえましょう。

蠍の季節のはじまりでは深さと質を伴った〈交流〉をテーマに「混雑した観光バス」に乗り込んで、いろいろな背景をもった人たちとの関わりを求めていきました。さまざまな経験を経た半月ののち、深さと質をそれ以上に追求していく。そこで自分がどれだけ対象を信じることができるか、あるいは自分自身の内面に確固たる信念をもつことができるか。後半の半月はそれが問われていくことになりました。〈信念と信頼〉をテーマにしたこの半月の帰結は、自分の信念こそが至上のものとなる事態へ、そしてそれを最優先とするがゆえにほかを犠牲にし代償を差し出さなければならない事態へと展開を見せています。その代償こそが祈りです。いまや自分の内なるものに対する〈信仰〉さえここにはあることでしょう。観光バスに乗り込み街に出た個人は、自分の帰属意識について疑問や違和感を覚えるような体験を数多くこの季節のあいだにしてきました。時に従い、時に抗い、心の往復運動を繰り返したのちに、従うのでもなく抗うのでもなく抜け出るという選択を採るにいたるのです。

シンボルに描かれているのはお祭りで悪ふざけをする子どもたちの姿です。本来の宗教的な意味あいはさておきここで示されているのは、エネルギーの自由闊達な解放です。祝祭とは総じて非日常的な場の提供であり、そのなかで日常生活で抑圧されたものを解放し発散することで社会は総体として安定を保つことが可能となります。「野鴨を撃つハンターたち」が欲求充足と抑圧からの解放を社会に許容された様式で追求したように、ここでの子どもたちのいたずらも社会に許容されたものであって、お膳立てされた環境下での遊びなのです。そしてその意義はとりも直さず、心の内のバランスをとることにあります。紆余曲折を経て〈抜け出る〉ことが必然の選択となったいま、それを行動に移す際には、いくら確固たる信念が、信仰が内面にあると言えども痛みを伴わないはずがありません。「部族」は、社会はこの遊びを餞別として用意してくれたとさえ言えるのです。ありがたく頂戴しておきましょう。「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、自分が抜け出るところをわざわざ悪しざまに言い汚していく必要はありません。ただ、自分の心のバランスがどうにも保てないのであれば、笑い飛ばしてしまいましょう。そしてすっきりとしてあしたを迎えましょう。自己表現がまるで不器用になったり、あるいは単純に既成の価値の軽視傾向が見られるときでもあります。抑えずに出してしまうほうが得策でしょう。
サビアンシンボルは
蠍座29度「酋長に自分の子どもたちの命乞いをしているインディアンの女」

このシンボルのキーノート(基調)は
「贖罪の原理としての愛」

きょうはどんな日?
自分の信念がなににも勝る行動原理となり、帰属する共同体の価値観からの脱却を志向するがゆえに調停の必要が生じるときです。

あらためて内省し自己評価を新しくすることによって自身への忠誠を確立し、内部のビジョンを扱う優れた能力と高度に効果的な外向きの展望が得られるときというのがきのうでした。自給自足で自己完結するのでもなく、自己顕示ゆえに他者の排斥に向かうのでもない生き方の可能性が求められる。そのためにまずなによりも信じるべきは自分自身であり、ここでいま一度自分の内面をよく見つめてみよう。内なる想像力と創造性が感じられ、そしてそれらから生み出される多様性を管理できる力さえも実感できるだろうという具合でしたが、正しく自己評価できたでしょうか。きょうはかなり大きな違和感を覚えたり、場合によっては衝突も予測されます。心してください。

自分を信じるという作業はそれ自体大変難しいことであるうえに、それが達成できたらできたでまた「諸刃の剣」ともなる厄介なものです。自分のなかにある力を感じとることができなければ人はさまざまな局面を乗り越えることはできませんし、過剰な自己信頼は慢心を生み出しかねません。少なくともいまはそのバランスがある程度とれている状態であるでしょうが、それも一応確認しておきましょう。そしてこのバランスをとるという作業がきょうは、自分と社会との関係を軸にしてさまざまな立ち現れ方を見せることになります。シンボルに描かれているインディアンの女は自分の子どもたちがしでかした不始末の責任をとろうとしています。ここでは子どもは一個の人格ではなく、母親の内面の活動的なエネルギーの象徴です。それが自分の部族において不穏であり破壊的に作用している様子が、そしてその事態に対して祈るしか術がない様子が描かれています。どちらが正しくてどちらが間違っているか、どちらが善でどちらが悪かはもはや問題ではありません。ただ確実なのは、女は部族の集団から抜けようとしているのだということです。自分を信じる、その信じた自分こそが、信念が最大にして最重要の行動原理となり、なにものにも先立つ状態になっている様子がここに示されています。バランスをとるとは言えどもすでに結論は決まっているわけですが、事態を調停し仲裁することに専心してください。具体的な現象としては自分が属している組織や集団の価値観に対して大きな離反を感じるような出来事が起こる可能性があります。所属自体をいきなりやめるのは困難でしょうが自分の心の距離はそれらと大きく離れざるを得ないでしょうし、胸の内ではっきりと線引をしておくことになるでしょう。しかしあえて言えば対象を憎み呪う必要はないはずです。それは違うと感じた自分自身を大切に守るようにしてください。一方で他人への盲従を純朴にもまったく厭わない傾向が見られるときでもあります。繰り返しますが、自分を信じて自分を守りましょう。
サビアンシンボルは
蠍座28度「自分の領土に近づく妖精の王」

このシンボルのキーノート(基調)は
「あらゆる存在の核において統合する原理を認識し敬意を表する人間の受容能力」

きょうはどんな日?
あらためて内省し自己評価を新しくすることによって自身への忠誠を確立し、内部のビジョンを扱う優れた能力と高度に効果的な外向きの展望が得られるときです。

生命の過剰として自身が帰属する共同体およびその文化の価値の称揚に向かい、あからさまで壮麗な誇示を志向するときというのがきのうでした。必要最小限がこの程度であると承知していても、華美や奢侈や贅沢といった無駄を、〈余剰〉を求めたいという欲望が湧き起こってくる。その表れとして帰属意識の高まりやそれに基づく特権意識の誇示などが生じてくるだろうという具合でしたが、他の集団と衝突することはなかったでしょうか。きょうはおとといきのうの統合と安定化に向かいます。

根本的構造的な問題から、一時的な落ち込みとは到底呼べない慢性的な停滞ムードが、長らく日本経済を覆っています。生まれたときからすでに不況だった若い世代は倹約が当たり前の生活をしてきており、車離れや酒離れなど不要なものを徹底的に退けるライフスタイルで暮らす彼らはミニマムライフ世代と呼ばれもします。一方で近年いわゆる「ネトウヨ」や在特会などの活動に見られる排外主義の台頭もしばしば衆目を集めるところです。前者をおとといのアメリカインディアンに、後者をきのうの軍楽隊に対応させて見てみれば、両者は心の動きとしては同根のものであることがわかるでしょう。そして、自給自足で自己完結するのでもなく、自己顕示ゆえに他者の排斥に向かうのでもない生き方の可能性が求められます。シンボルに描かれている妖精は想像力と創造性の象徴であり、その王はそれらから生み出される多様性を統治し支配する存在です。領土とは統治が及ぶ範囲のことですが、単に多様性の管理が可能である範囲を表しているだけではなく、自分の内面の他人が踏み入ることのできない〈聖域〉をも表しています。〈信念と信頼〉が蠍座の季節の後半のテーマでしたが、ここでいま一度自分の内面をよく見つめてみましょう。他者への信頼と自己の信念とがひとまず調和したのちに日常的な皮相さからの脱却に向かい、良心や信念に基づく行動を起こした果てにあらゆるものごとの構造や仕組みがわかるようになって、信念というものの質も意味あいもまた異なったものとしてとらえられるはずです。自分を信じるとは一口に言えども大変難しいことですが、いまの段階ならば自分の内なる想像力も創造性も、それらから生み出される多様性を管理し得るほどにたやすく操ることができるでしょう。9日とは違った趣で自己評価を新しくしてみてください。気まぐれな自己耽溺傾向が見られるときでもあります。おもいつきは外に出すようにしたほうが賢明です。
サビアンシンボルは
蠍座27度「軍楽隊が街の通りを騒々しく行進する」

このシンボルのキーノート(基調)は
「文化の価値の攻撃的な称賛」

きょうはどんな日?
生命の過剰として自身が帰属する共同体およびその文化の価値の称揚に向かい、あからさまで壮麗な誇示を志向するときです。

事物の根幹にあるものを見据えたうえで状況へのきわめて優れた適応能力が発揮でき、効率よい最小限の生活が見込めるときというのがきのうでした。必要最小限のものとはなんであるかがしっかり把握できているがゆえに、効率化などめざすまでもなくおのずと効率的になっていく。最小限の肝心な部分、骨格の部分を要点として漏らさずしっかり押さえ、シンプルにいってみようという具合でしたが、うまく〈即興〉的な対応はできたでしょうか。きょうは志向性が反転します。注意してください。

効率的になっていく、言い換えれば無駄がなくなっていくというのは、必要最小限とはなにかがわかっていれば〈当然〉導かれる流れなのですが、それが当然ではない場合も往々にして存在します。必要最小限がこの程度であると承知していても、華美や奢侈や贅沢といった無駄を、〈余剰〉を求めたいという欲望が湧き起こってくるのは、人間の心の動きとしてはむしろそちらのほうが〈当然〉であるのかもしれません。きのうおのずと効率的になったかどうかは別として、きょうはアメリカインディアンの簡素なスローライフとはまったく対照的な生活への志向が頭をもたげてくるときであると言えます。シンボルに描かれている軍楽隊とは軍隊の式典などで音楽を演奏する楽団ですが、その目的は戦意高揚です。軍隊という集団の結束を固くし、敵対する集団への対抗意識を高ぶらせ、戦争という営みを効果的に遂行しようとするものです。また街の通りを騒々しく行進しているのは、自国内における軍隊および軍楽隊それ自体の存在価値を公に訴え、肯定的な承認を求める行為です。自然に適応し自給自足で生きていくライフスタイルとは大きく異なるものですが、これがあまりにも過剰すぎる余剰であることは理解しておいたほうがよいでしょう。具体的な現象としては帰属意識の高まりやそれに基づく特権意識の誇示などが生じてくる可能性があります。自分が属している組織や集団がいかに特別で素晴らしいものなのか、傍目には驕りとしか見えない過度の自己顕示は、少なくとも自然との調和においては余剰であり異物であるのだと心得てください。向こう見ずで無謀な自己搾取傾向が見られるときでもあります。自身および所属する集団の過剰な称揚は早晩自滅に向かうのだということを歴史から学ぶ必要があるでしょう。
サビアンシンボルは
蠍座26度「新しい領地へ移ったあとキャンプをするアメリカインディアン」

このシンボルのキーノート(基調)は
「必要条件に波長をあわせることによって、新しい状況に迅速に適応する能力」

きょうはどんな日?
事物の根幹にあるものを見据えたうえで状況へのきわめて優れた適応能力が発揮でき、効率よい最小限の生活が見込めるときです。

自身の特殊な体験を日常生活のなかに落とし込んで語る必要が生じ、特定の状況においてはあらゆる人々の高い潜在性を駆り立てる目を奪うような能力が期待できるときというのがおとといでした。昇華のプロセスを他人にわかりやすく伝えていくことが課題の一部となる。内容についてもさることながらまずはどうしたら足を運んでもらえるかをかんがえる必要がある。また同時に話をきく側の立場としては他人の体験談をいかに自分のものとしていくかも問われることになる。いずれの立場でも〈話〉を有意義にすることが最大の課題であるという具合でしたが、その課題は達成できたでしょうか。それを受けての展開をお伝えできずに申し訳ありませんでした。きょうはのどかに穏やかにいきましょう。

きのうお伝えするはずであったサビアンシンボルに描かれている「X線写真」とは、対象に特殊な光線を当て、透過したその光線を画像として可視化することにより対象内部の様子を見るものです。人間に応用すれば骨格や臓器の状態など人体の基本的構造や外側からは通常は目に見えない内部の仕組みが明らかにされるものですが、あらゆるものごとに対してそのような構造や仕組みを見抜き把握することができるというのが実はきのうに期待できたことでした。そしてさらには、さまざまな事物に共通する構造さえもわかるようになり得るというのが、きのうの時点で可能性が示唆されていることでした。またこれは13日の“規律違反の兵士”に端を発する問題に一定の結論を与えています。すなわち社会に従うことを拒絶した個人の良心に対し、自分が直面している状況においてなにが間違っているのかという理解の深みをもたらすということです。これを前段として理解しておいてください。

あらゆるものごとの構造や仕組みがわかるようになる。自分が〈反逆〉に向かわざるを得なかった状況についてさえも構造的な把握と理解が可能になり、なにが間違っているのかも見えるようになる。そうなったところで、きょうは新しい展開を求めてみましょう。シンボルに描かれているアメリカインディアンもちょうど新しい領地へ移ったところです。彼らの簡素なスローライフは西欧の搾取的な文化の対極にあるものとしてここでは示されています。自然と調和的な生活を生きている人はどこへ居を移しても自分の〈家〉を直観的に見つけ出すことができます。生物圏の大きなリズムのなかで自分自身がどうあるべきなのかを定義づけることができ、またそれらがもたらすものと一緒に平和に機能することが可能だからです。「X線写真」によって見抜けるものごとが豊かにあるいま、どうぞ心のゆとりをもって新しいことをはじめてみてください。きょうの一大テーマとなるものは〈効率〉です。とはいえそれが利潤追求やコスト削減のためのそれでないことはもうよくわかることでしょう。必要最小限のものとはなんであるかがしっかり把握できているがゆえに、効率化などめざすまでもなくおのずと効率的になっていくのです。最小限の肝心な部分、骨格の部分を要点として漏らさずしっかり押さえ、シンプルにいってみましょう。ものごとをあるがままに見るためになにに対してもまるで野心のない控えめな受容傾向が見られるときでもあります。それはそれで大変美しい姿ですが悪意に触れた際の最小限の護身は意識しておきましょう。
サビアンシンボルは
蠍座25度「X線写真」

このシンボルのキーノート(基調)は
「あらゆる存在における構造的要因についての知識を獲得する受容能力」

きょうはどんな日?
筆者の都合により大変申し訳ありませんが、本日は休載とさせていただきます。
あしからずご了承ください。
サビアンシンボルは
蠍座24度「インスピレーションを得た人が〈山上の垂訓〉を宣うのをきき終えて、聴衆は家路につく」

このシンボルのキーノート(基調)は
「感動的な体験や教えを日常生活のなかにとり入れる必要性」

きょうはどんな日?
自身の特殊な体験を日常生活のなかに落とし込んで語る必要が生じ、特定の状況においてはあらゆる人々の高い潜在性を駆り立てる目を奪うような能力が期待できるときです。

自身の未熟で動物的な衝動を自己克服で理念や大望に従わせ、洗練された形態へと生命力の変容がなされるときというのがきのうでした。自身の内面に湧き起こるものが社会性との兼ねあいのなかで変容を遂げることになる。〈昇華〉のプロセスのなかでたくさん湧いてくるイメージをシャボン玉のように吐き出すよりは丁寧に整理して発表するようにしようという具合でしたが、自分のなかで変化は感じられたでしょうか。きょうは話を話すことときくことについてかんがえてみましょう。

人間が人間らしくいられるように、きわめて原初的で動物的な部分、つまり本能的な部分での欲求を満たそうとしたのがおとといでしたが、そうした発散行動を経たからこそ〈昇華〉にはいたりやすかったかもしれません。一度解放してみると、ただ単にすっきりするというよりは、それでもなお自分のなかにある本能的な部分の湧き起こりが変わった質のものになっていく。荒々しく粗野なものが穏やかで洗練されたものへと質変化を起こす。洗練をめざしたというよりはおのずとそうなったというほうが正確でしょう。それがまさに昇華ということですが、きょうはその昇華のプロセスを他人にわかりやすく伝えていくことが課題の一部です。自分のなかでなにがどう変わったのかをつまびらかに説明していくというわけですが、起こったことをただ述べるだけでは他人にはわかりにくいかもしれませんし、なによりもまず興味をもってくれないでしょう。シンボルに描かれているのは新約聖書「マタイによる福音書」第5章から第7章に記されているイエスが行った説教の様子です。高い山の上でありがたいお話をきき終えた人々は山を降りて家に戻っていきますが、この場合人々は話をききたくて山を登り集まっているわけです。前提となっている状況がまるで異なっていますが、どうしたら足を運んでもらえるかをかんがえる必要がここに示されています。また同時にききに行く人々の立場もかんがえてみましょう。どんなに素晴らしい体験談をきいてみたところで、それは所詮自分ではない他人が体験したことにすぎません。その話をいかに自分のものとしていくかが問われることになります。自分も体験できそうなことであれば挑戦してみる。日常生活のなかに応用できるちょっとした工夫などが感じられたら積極的にとり入れてみる。ありがたいお話をただありがたがって終えてしまうか、それとも有益なものとして活用できるかどうかの分かれ目がここに示されています。話す/きくどちらの立場であろうとも、〈話〉を有意義なものにしていくことがきょうの最大の課題です。でたらめで見境なくのんきで楽天的な騙されやすい傾向が見られるときでもあります。〈立場〉の違いによっては好都合にさえとらえられることでしょうが、それを悪用する人間は聖者とは呼べません。
サビアンシンボルは
蠍座23度「ウサギが自然霊へと姿を変える」

このシンボルのキーノート(基調)は
「動物的衝動を高次へと引き上げること」

きょうはどんな日?
自身の未熟で動物的な衝動を自己克服で理念や大望に従わせ、洗練された形態へと生命力の変容がなされるときです。

一個人の人間が人間として精神の自由を保つために、欲求充足と抑圧からの解放を社会に許容された様式で追求したいときというのがきのうでした。反逆的に映るおとといの行動の前段には極度に強い緊張とストイシズムがある。抑えようという心のタガを外してみよう。良心や信念に基づく行動とは異なる欲求充足のための行動ではあっても、そういう行動によって人間らしさを保つようにしてみようという具合でしたが、ストレス発散できたでしょうか。きょうはおのずと活動的になっていくでしょう。

抑えようとしても抑えきれないやむにやまれぬ行動と、抑えることをやめての積極的な発散。よりどころにしているものは異なりますが、両者に共通していることは、社会性との兼ねあいのなかで自分という個人の人間性をいかに保つかというテーマでした。人間は一人では生きていけませんし生きていませんから世の中と折りあいをつける必要がありますが、それでも自分という個人がなによりも最優先となる状況もあるわけです。とはいえ、自身の内面に湧き起こるものを大切にし、なおかつ責任をとる。一方で、社会に許容された様式に即して自分の欲求の充足に向かう。どちらもじゅうぶんすぎるほど社会性や規範意識に裏打ちされた行動です。きょうはこの両者が統合された状態へ向かっていきます。シンボルに描かれているウサギは大変多産な動物であることが知られており、過剰な性衝動や攻撃性とともに豊かな創造性を象徴するものです。かたや自然霊は生命力のより高等な様相を表しており、あらゆる生きとし生けるものの成長をコントロールする通常は目に見えない力を導く存在です。ここで描かれているのは〈昇華〉のモデルです。動物的な衝動を、創造的で想像力に富んだ優美で霊妙な繊細な形態へと洗練させていく。自身の内面に湧き起こるものは、このようにして社会性との兼ねあいのなかで変容を遂げるというわけです。イメージがたくさん湧いてくるときですが、それをシャボン玉のように吐き出すよりは丁寧に整理して発表するほうが望ましいときでしょう。落ち着きをもって楽しんでみてください。自制心を欠いた現実逃避やものごとへの態度や感じ方が完璧に歪んでしまう傾向が見られるときでもあります。関心はどちらかと言えば自分に向けたほうがよいかもしれません。