サビアンシンボルは
山羊座2度「ゴシック建築の教会の三枚の円花窓、一枚は戦争で損傷している」
このシンボルのキーノート(基調)は
「集団の統合を保証するいくらかの価値の不可避的な破壊につながるような、集団の力の暴力的な使用を行う個人による必須の理解」
きょうはどんな日?
あらためて権力の行使についてかんがえ、間違いを回避するための方策をしっかりと見い出し確保しておきたいときです。
新しい季節のはじまりにあたって、理念や理想の本格的な具体化に向けて動きはじめたいとき、またその前段として権力と責任について集団性を意識しての再考が促されるときというのがきのうでした。自分の個人的な立場を超えて振る舞うべき行動とそれに伴う責任。自分のことだけをやりくりしていればすむというレベルではないところでの、行動と責任について自覚をもつようにしてみようという具合でしたが、意を決するところはあったでしょうか。きょうは揺り戻しで調整を図りましょう。
権力と責任についてかんがえ直してみるとはいえ、連休の最終日にあたってはなかなか現実味を帯びたところで具体的には想像しづらかったかもしれません。わが国においては日本国および国民統合の象徴である天皇の誕生日がきのうであり今上天皇の太陽の度数は山羊1度ですが、その地位が国民の総意に基づくものとされ、内閣の助言と承認によって国事行為を行うという日本国憲法の定めは、山羊1度の象意に鑑みてこのうえなく適切なのだと言うことができます。象徴としてのリーダーのモデルを私たち日本国民は大変身近に感じることが可能なのだと述べておきましょう。一方できょうのシンボルに描かれているのは集団の力、ひいては権力の誤った行使によって引き起こされるきわめて悪しき事態です。部族に対して「力を求め」た酋長の目的はそれを導き保護することにあったはずですが、権力のあまりに衝動的な行使がもたらす結果をこのシンボルから理解しなければなりません。それを引き起こすのはひとえに〈野心〉であり、〈資本〉としてまとめられた集団の力は戦争によって無駄に浪費されてはならないのです。三という数字は完全性の象徴であり、ここでは人間の内面の無欠さを表しています。そのうち一枚が損傷していますが、一という数字にはここでは象徴的な意味は見い出せず人間の内面の原理としての愛と同情が暴力によって破壊されているさまが象徴的に示されています。円花窓は大聖堂に絶対的に必須のものというわけではありませんが、それを通じて建物のなかに〈精神の光明〉が差し込むことを象徴しています。シンボル自体は悲劇的な様相ですが、それをいかに回避するか、すべきなのかをかんがえる機会を示しているのです。きのうのテーマの発展的な解釈につなげてみてください。過剰な保守主義やまったく不当な恐怖に苛まれる傾向が見られるときでもあります。その恐怖が野心を生むのだと理解しましょう。理念や理想はなんであったのか見失わないようにしてください。
サビアンシンボルは
山羊座1度「インディアンの酋長が集まった部族に力を求める」
このシンボルのキーノート(基調)は
「いかなるリーダーシップの主張にも含意されている力と責任」
きょうはどんな日?
新しい季節のはじまりです。理念や理想の本格的な具体化に向けて動きはじめたいとき、またその前段としても権力と責任について集団性を意識しての再考が促されるときです。
長い歴史と伝統を備えるものを確認することによってその理由を理解し、またそれを通じて自分が属する集団の価値や目的の再確認と称揚につなげたいときというのがきのうでした。長きにわたって連綿とつながり伝えられ続けているものとはどういうものか、そしてそこに人間の精神はどのように反映しているのか。かなり極端な例だけれどもキリスト教とローマ法王をモデルにかんがえてみよう。大きすぎる話はさておいても、自分が属しているなにかを維持し続けていくことについて少しばかり意識を働かせてみようという具合でしたが、かんがえを新たにするところはあったでしょうか。きょうはそれを受けて先へ進みます。
射手の季節の後半のテーマ〈転移・譲渡〉の展開は人類の歴史にも抵触するほどの大きな問題へと広がりを見せ帰結を迎えました。ソディアックの後半のはじまり、天秤の季節においては、集団のなかでの個の確立のために意識的に自分を集団性のなかへ開く方向転換が必要となりました。集団での協同を通じて解放されたエネルギーは、蠍の季節において大きな潜在性の力あるいは権威の力として深められかつ情動的に体験され、射手の季節において意味と意識的な目的を与えられました。そしてそのエネルギーは山羊の季節においては安定化と階層化に向かっていくことになります。集団の力は茫漠たるカオティックなものから計測可能なものへと変わっていき、注意深く〈資本〉として扱われるようになっていきます。「酋長chief」という語と「資本capital」という語はともに同じラテン語のcaputという語に由来しており、これは「頭」を意味しています。個々人が自分の仲間に対してふるう力に責任を引きとることが可能である状況下に、自分の居場所を見い出さなければならないときがやってきているのです。シンボルに描かれている酋長は部族に対して手助けが欲しいと訴えているかのようにも読めますが、これは自分の酋長としての権力を当然のものとしてみなに知らしめ承認を得ようとしているという光景です。が、図らずもそのように描き出されたように両者は本質的には同じことです。リーダーというものはただ自分がリーダーだと言い張って威張っていれば成立するものではなく、自分が権力を行使することを集団のなかで認められてはじめて成り立つ役職なのです。そしてそこには当然のように責任が伴うのです。山羊の季節のはじまりにあたって、まず一個人ではなく集団を前提においた責任を意識するようにしてみてください。自分の個人的な立場を超えて振る舞うべき行動とそれに伴う責任。自分のことだけをやりくりしていればすむというレベルではないところでの、行動と責任について自覚をもつようにしてみてください。しかしながらその一方で無駄に尊大なおもいあがった態度や特段重要でない瑣末な問題をまったく無分別にもわざわざとりあげる傾向が見られるときでもあります。力の使い方を誤らないようにじゅうぶんに注意しましょう。
山羊の季節の前半、この先半月のテーマは〈結晶化〉です。抽象思考を社会の制度のなかに反映させ、あるいは新たに制度をつくり出し確立することによって社会全体に還元していくプロセスだった射手後半。理念や理想として描かれているにすぎなかった「あり得べき姿」をかたちにしていく、かたちに近づけていこうと努めていた射手後半を受けて、いよいよそれが本格的な具体化へと進んでいきます。射手の期間に純化された精神はここで結晶というかたちとなって具体性を帯び物質化するのだということです。その前段としても集団性をじゅうぶん意識するよう、くれぐれも自覚をもちましょう。
山羊座1度「インディアンの酋長が集まった部族に力を求める」
このシンボルのキーノート(基調)は
「いかなるリーダーシップの主張にも含意されている力と責任」
きょうはどんな日?
新しい季節のはじまりです。理念や理想の本格的な具体化に向けて動きはじめたいとき、またその前段としても権力と責任について集団性を意識しての再考が促されるときです。
長い歴史と伝統を備えるものを確認することによってその理由を理解し、またそれを通じて自分が属する集団の価値や目的の再確認と称揚につなげたいときというのがきのうでした。長きにわたって連綿とつながり伝えられ続けているものとはどういうものか、そしてそこに人間の精神はどのように反映しているのか。かなり極端な例だけれどもキリスト教とローマ法王をモデルにかんがえてみよう。大きすぎる話はさておいても、自分が属しているなにかを維持し続けていくことについて少しばかり意識を働かせてみようという具合でしたが、かんがえを新たにするところはあったでしょうか。きょうはそれを受けて先へ進みます。
射手の季節の後半のテーマ〈転移・譲渡〉の展開は人類の歴史にも抵触するほどの大きな問題へと広がりを見せ帰結を迎えました。ソディアックの後半のはじまり、天秤の季節においては、集団のなかでの個の確立のために意識的に自分を集団性のなかへ開く方向転換が必要となりました。集団での協同を通じて解放されたエネルギーは、蠍の季節において大きな潜在性の力あるいは権威の力として深められかつ情動的に体験され、射手の季節において意味と意識的な目的を与えられました。そしてそのエネルギーは山羊の季節においては安定化と階層化に向かっていくことになります。集団の力は茫漠たるカオティックなものから計測可能なものへと変わっていき、注意深く〈資本〉として扱われるようになっていきます。「酋長chief」という語と「資本capital」という語はともに同じラテン語のcaputという語に由来しており、これは「頭」を意味しています。個々人が自分の仲間に対してふるう力に責任を引きとることが可能である状況下に、自分の居場所を見い出さなければならないときがやってきているのです。シンボルに描かれている酋長は部族に対して手助けが欲しいと訴えているかのようにも読めますが、これは自分の酋長としての権力を当然のものとしてみなに知らしめ承認を得ようとしているという光景です。が、図らずもそのように描き出されたように両者は本質的には同じことです。リーダーというものはただ自分がリーダーだと言い張って威張っていれば成立するものではなく、自分が権力を行使することを集団のなかで認められてはじめて成り立つ役職なのです。そしてそこには当然のように責任が伴うのです。山羊の季節のはじまりにあたって、まず一個人ではなく集団を前提においた責任を意識するようにしてみてください。自分の個人的な立場を超えて振る舞うべき行動とそれに伴う責任。自分のことだけをやりくりしていればすむというレベルではないところでの、行動と責任について自覚をもつようにしてみてください。しかしながらその一方で無駄に尊大なおもいあがった態度や特段重要でない瑣末な問題をまったく無分別にもわざわざとりあげる傾向が見られるときでもあります。力の使い方を誤らないようにじゅうぶんに注意しましょう。
山羊の季節の前半、この先半月のテーマは〈結晶化〉です。抽象思考を社会の制度のなかに反映させ、あるいは新たに制度をつくり出し確立することによって社会全体に還元していくプロセスだった射手後半。理念や理想として描かれているにすぎなかった「あり得べき姿」をかたちにしていく、かたちに近づけていこうと努めていた射手後半を受けて、いよいよそれが本格的な具体化へと進んでいきます。射手の期間に純化された精神はここで結晶というかたちとなって具体性を帯び物質化するのだということです。その前段としても集団性をじゅうぶん意識するよう、くれぐれも自覚をもちましょう。
サビアンシンボルは
射手座30度「信者を祝福するローマ法王」
このシンボルのキーノート(基調)は
「精神の〈見えない共同体〉がつくりあげられる基となった伝統的な価値に敬意を表する必要性」
きょうはどんな日?
長い歴史と伝統を備えるものを確認することによってその理由を理解し、またそれを通じて自分が属する集団の価値や目的の再確認と称揚につなげたいときです。
未来に必要なことを伝えるためにあらためて自分の地位を確固たるものにしていく必要が生じ、またそのために果たさなければならない責務に向かいあうときというのがきのうでした。残すべきものを残し伝えていくにしても、自分自身の社会生活の基盤を保持していかなければそれは達成できない。次世代につなげるにあたって自身を身ぎれいにして、やるべきことをやっておこうという具合でしたが、しっかりとこなせたでしょうか。きょうは落ち着きのなかで自分を見直しましょう。
果たさなければならない責務を果たすその一方で、その行為は自分自身や一族の社会的地位を維持していくための努力という側面もありました。ここで単に血統や親族のみならず、自分が帰属する集団や組織にまで、つまり自分が何者なのかを支えている基盤の部分にまでその概念を広げてみましょう。人間は個的な存在であると同時に社会的な存在です。一個人であると同時に社会や組織の一員であるということを、ここであらためて認識して自覚を新たにしてみてください。シンボルに描かれているのは世界で有数の信者数を誇る巨大宗教のトップの姿です。彼は単なる社会的存在どころではなく宗教的な存在であり一人の人間の個人性を超えた存在であります。しかしバチカンでの一般謁見に集まった人々に手を振るその姿は明らかに一人の人間として肉体を有しており、世俗の出来事に言及し意見を述べるその言葉は神の託宣というよりは人格化されたものであるという側面もあります。それが彼の社会的存在としての役割を果たしているわけです。また彼が最高位を務める宗教は何世紀にもわたる歴史と伝統をもっています。そのなかには無数の個人の信仰の精神が、ちょうど彫刻家の作品においてと同じように投影されており、それらは目には見えないコミュニティを形成しているのです。長きにわたって連綿とつながり伝えられ続けているものとはどういうものか、そしてそこに人間の精神はどのように反映しているのか、かなり極端な例ではありますがわかりやすいモデルケースとしてとらえてみてください。射手の季節の後半のテーマの〈転移・譲渡〉は、戦場で旗を振り集団の価値観を代弁する旗手が神の代弁者へと変容するように、やはり壮大な展開と帰結を迎えます。このシンボルの深い意味は「このシンボルのように超個人的な生を生きるつもりがあるか?」という問いかけなのですが、大きすぎる話はさておいても自分が属しているなにかを維持し続けていくことについて、少しばかり意識を働かせてみてください。自己顕示について極端なまでに法外な愛を見せたり権勢欲にとり憑かれそれに屈してしまう傾向が見られるときでもあります。個的な面より社会的な面をかんがえましょう。
射手座30度「信者を祝福するローマ法王」
このシンボルのキーノート(基調)は
「精神の〈見えない共同体〉がつくりあげられる基となった伝統的な価値に敬意を表する必要性」
きょうはどんな日?
長い歴史と伝統を備えるものを確認することによってその理由を理解し、またそれを通じて自分が属する集団の価値や目的の再確認と称揚につなげたいときです。
未来に必要なことを伝えるためにあらためて自分の地位を確固たるものにしていく必要が生じ、またそのために果たさなければならない責務に向かいあうときというのがきのうでした。残すべきものを残し伝えていくにしても、自分自身の社会生活の基盤を保持していかなければそれは達成できない。次世代につなげるにあたって自身を身ぎれいにして、やるべきことをやっておこうという具合でしたが、しっかりとこなせたでしょうか。きょうは落ち着きのなかで自分を見直しましょう。
果たさなければならない責務を果たすその一方で、その行為は自分自身や一族の社会的地位を維持していくための努力という側面もありました。ここで単に血統や親族のみならず、自分が帰属する集団や組織にまで、つまり自分が何者なのかを支えている基盤の部分にまでその概念を広げてみましょう。人間は個的な存在であると同時に社会的な存在です。一個人であると同時に社会や組織の一員であるということを、ここであらためて認識して自覚を新たにしてみてください。シンボルに描かれているのは世界で有数の信者数を誇る巨大宗教のトップの姿です。彼は単なる社会的存在どころではなく宗教的な存在であり一人の人間の個人性を超えた存在であります。しかしバチカンでの一般謁見に集まった人々に手を振るその姿は明らかに一人の人間として肉体を有しており、世俗の出来事に言及し意見を述べるその言葉は神の託宣というよりは人格化されたものであるという側面もあります。それが彼の社会的存在としての役割を果たしているわけです。また彼が最高位を務める宗教は何世紀にもわたる歴史と伝統をもっています。そのなかには無数の個人の信仰の精神が、ちょうど彫刻家の作品においてと同じように投影されており、それらは目には見えないコミュニティを形成しているのです。長きにわたって連綿とつながり伝えられ続けているものとはどういうものか、そしてそこに人間の精神はどのように反映しているのか、かなり極端な例ではありますがわかりやすいモデルケースとしてとらえてみてください。射手の季節の後半のテーマの〈転移・譲渡〉は、戦場で旗を振り集団の価値観を代弁する旗手が神の代弁者へと変容するように、やはり壮大な展開と帰結を迎えます。このシンボルの深い意味は「このシンボルのように超個人的な生を生きるつもりがあるか?」という問いかけなのですが、大きすぎる話はさておいても自分が属しているなにかを維持し続けていくことについて、少しばかり意識を働かせてみてください。自己顕示について極端なまでに法外な愛を見せたり権勢欲にとり憑かれそれに屈してしまう傾向が見られるときでもあります。個的な面より社会的な面をかんがえましょう。
サビアンシンボルは
射手座29度「優雅な郊外の通りの家の芝生を刈る太った少年」
このシンボルのキーノート(基調)は
「社会的価値や地位を確かにし、自身を構成するもののためになる、日々の仕事にとり組む必要性」
きょうはどんな日?
未来に必要なことを伝えるためにあらためて自分の地位を確固たるものにしていく必要が生じ、またそのために果たさなければならない責務に向かいあうときです。
持続すべき残すべき伝えるべきものが必要最小限に絞り込まれ、個人の美と倫理に従って自然との調和のなかで浮き彫りになるときというのがきのうでした。生きた知恵を用い、それによって日常生活のなかに美を維持すること。それこそが社会全体に還元していくべきものであるということが見えてくるはずであるという具合でしたが、見えてきたでしょうか。きょうはやや俗っぽいものごとへ向かっていきます。
射手の季節のクライマックスは、きのうの段階で〈転移・譲渡〉の最も核となる部分が明らかになり、ほとんどその要件を満たしたと言える状態を迎えています。残すべき永続的なものとはなんであるのか、最も大切なもののヒントが示されたいま、それを実行する以外にすべきことはありません。理念や理想をかたちに近づけていく、「あり得べき姿」へと向かっていく。ただひたすらに追求していきたいところですが、きょうは現実的でもっと卑俗な問題に否応なしにかかずらうことになるでしょう。シンボルに描かれているのはある裕福な家庭の日常の風景です。手入れの行き届いた芝生はその家の主の社会的地位への関心度を表すものであり、また自然のものが成長していく際に積極的に介入することで、より美しい形態をそれに与えたいという欲望の表れでもあります。つまりここにはその家の主の秩序および美的価値の鑑賞能力が、より言えば彼の美と倫理に関する意識が明らかにされているのです。家主の息子である太った少年は自分の家の芝生を刈っているわけですが、この行為は一家の社会的地位を維持していくための努力であるというばかりでなく、豊かな生活に耽溺し放蕩することへの、罪滅ぼしとはいかないまでも埋めあわせをし相殺しようという彼なりの務めでもあるのです。残すべきものを残し伝えていくにしても、自分自身の社会生活の基盤を保持していかなければそれは達成できません。そしてそれは単に豊かさを守るということではなく、その豊かさに見あった社会参与を責務として果たさなければならないのだということです。次世代につなげるにあたって自身を身ぎれいにして、やるべきことをやっておきましょう。一方で思考や行動が驚くほど完璧なまでにおざなりでうわべだけのものになってしまう傾向が見られるときでもあります。いやいや責務をこなすのではなくなぜそれが必要なのかかんがえましょう。
射手座29度「優雅な郊外の通りの家の芝生を刈る太った少年」
このシンボルのキーノート(基調)は
「社会的価値や地位を確かにし、自身を構成するもののためになる、日々の仕事にとり組む必要性」
きょうはどんな日?
未来に必要なことを伝えるためにあらためて自分の地位を確固たるものにしていく必要が生じ、またそのために果たさなければならない責務に向かいあうときです。
持続すべき残すべき伝えるべきものが必要最小限に絞り込まれ、個人の美と倫理に従って自然との調和のなかで浮き彫りになるときというのがきのうでした。生きた知恵を用い、それによって日常生活のなかに美を維持すること。それこそが社会全体に還元していくべきものであるということが見えてくるはずであるという具合でしたが、見えてきたでしょうか。きょうはやや俗っぽいものごとへ向かっていきます。
射手の季節のクライマックスは、きのうの段階で〈転移・譲渡〉の最も核となる部分が明らかになり、ほとんどその要件を満たしたと言える状態を迎えています。残すべき永続的なものとはなんであるのか、最も大切なもののヒントが示されたいま、それを実行する以外にすべきことはありません。理念や理想をかたちに近づけていく、「あり得べき姿」へと向かっていく。ただひたすらに追求していきたいところですが、きょうは現実的でもっと卑俗な問題に否応なしにかかずらうことになるでしょう。シンボルに描かれているのはある裕福な家庭の日常の風景です。手入れの行き届いた芝生はその家の主の社会的地位への関心度を表すものであり、また自然のものが成長していく際に積極的に介入することで、より美しい形態をそれに与えたいという欲望の表れでもあります。つまりここにはその家の主の秩序および美的価値の鑑賞能力が、より言えば彼の美と倫理に関する意識が明らかにされているのです。家主の息子である太った少年は自分の家の芝生を刈っているわけですが、この行為は一家の社会的地位を維持していくための努力であるというばかりでなく、豊かな生活に耽溺し放蕩することへの、罪滅ぼしとはいかないまでも埋めあわせをし相殺しようという彼なりの務めでもあるのです。残すべきものを残し伝えていくにしても、自分自身の社会生活の基盤を保持していかなければそれは達成できません。そしてそれは単に豊かさを守るということではなく、その豊かさに見あった社会参与を責務として果たさなければならないのだということです。次世代につなげるにあたって自身を身ぎれいにして、やるべきことをやっておきましょう。一方で思考や行動が驚くほど完璧なまでにおざなりでうわべだけのものになってしまう傾向が見られるときでもあります。いやいや責務をこなすのではなくなぜそれが必要なのかかんがえましょう。
サビアンシンボルは
射手座28度「美しい流れにかかった古い橋がいまもなお日常的に使われている」
このシンボルのキーノート(基調)は
「集団性の日常の必要に個人の天賦の才を有意義に関連づける能力を明らかにする、社会の永続的な要素」
きょうはどんな日?
持続すべき残すべき伝えるべきものが必要最小限に絞り込まれ、個人の美と倫理に従って自然との調和のなかで浮き彫りになるときです。
共有を目的として理念や理想を具体化し可視化する必要が、いよいよ内面からの要請によって生じ、またそれを実行できるときというのがきのうでした。個人的な動機に突き動かされて創作に向かう彫刻家のように、自分のビジョンによって素材となるものの形態を変容させる。大義に献身して生きた旗手と同じように精神は純化されかたちとなって残るだろうという具合でしたが、具体化に向かってとり組めたでしょうか。きょうはおとといときのうの統合に向かいます。
私を捨てて大義に生きた旗手と自身の創作に向かう彫刻家。両者の統合は、自然の美と人間の技術および想像力の結合という姿をとります。非常に古典的な芸術観の一例としてアリストテレスは「芸術は自然を模倣する」と述べたとされていますが、それを達成し得るのは技術があってこそです。印象主義的なとらえ方としても、自然に触れて引き起こされた感興を芸術のなかに描き出し表現するには技術を要します。「彫刻家」の作風や意図がどのようなものかはさておき、芸術表現に技術は不可分の要因です。一方で、戦争とは人間の営みのなかで最も技術が――とりわけ科学技術が突出した顕在化を見せるものです。武器や兵器、通信、運輸など、戦争によって発達した技術さえ数多く存在します。その評価はどうであれ戦争が極端に人間的な営みであることは衆目の一致するところでしょう。しかし戦争は同時に人間が生み出す最大級の無駄の極みでもあります。そしてそれに美を感じるか否かは、人それぞれ判断の分かれるところであるなどというレトリックではおよそ収拾のつかない問題を投じるものです。こうしたことを踏まえて両者の統合は先述のような姿となっていくわけです。芸術とも戦争とも異なるその姿が、端的に明瞭にシンボルに描かれています。橋は言うまでもなく人間の技術の産物であり、怠ることなく手を加えられることによって長きにわたって使われ続けています。生きた知恵を用いそれによって日常生活のなかに美を維持することがここでは示されています。そしてこれこそが射手の季節の後半のテーマである〈転移・譲渡〉の最も核となる部分なのです。なにを社会全体に還元していくのか、その真髄と呼べるものがこの光景に描き出されているのです。残し得る、そしてまた残すべき永続的なものとはなんであるのか、最も大切なもののヒントがここにはあるのです。よく見て、よくかんがえてみてください。みずから率先してなにかをはじめたり主導権を握って人をまとめたり責任ある決断を下すことがまったく欠落してしまう傾向が見られるときでもあります。優柔不断もほどほどにしなければ大切なものを残せません。
射手座28度「美しい流れにかかった古い橋がいまもなお日常的に使われている」
このシンボルのキーノート(基調)は
「集団性の日常の必要に個人の天賦の才を有意義に関連づける能力を明らかにする、社会の永続的な要素」
きょうはどんな日?
持続すべき残すべき伝えるべきものが必要最小限に絞り込まれ、個人の美と倫理に従って自然との調和のなかで浮き彫りになるときです。
共有を目的として理念や理想を具体化し可視化する必要が、いよいよ内面からの要請によって生じ、またそれを実行できるときというのがきのうでした。個人的な動機に突き動かされて創作に向かう彫刻家のように、自分のビジョンによって素材となるものの形態を変容させる。大義に献身して生きた旗手と同じように精神は純化されかたちとなって残るだろうという具合でしたが、具体化に向かってとり組めたでしょうか。きょうはおとといときのうの統合に向かいます。
私を捨てて大義に生きた旗手と自身の創作に向かう彫刻家。両者の統合は、自然の美と人間の技術および想像力の結合という姿をとります。非常に古典的な芸術観の一例としてアリストテレスは「芸術は自然を模倣する」と述べたとされていますが、それを達成し得るのは技術があってこそです。印象主義的なとらえ方としても、自然に触れて引き起こされた感興を芸術のなかに描き出し表現するには技術を要します。「彫刻家」の作風や意図がどのようなものかはさておき、芸術表現に技術は不可分の要因です。一方で、戦争とは人間の営みのなかで最も技術が――とりわけ科学技術が突出した顕在化を見せるものです。武器や兵器、通信、運輸など、戦争によって発達した技術さえ数多く存在します。その評価はどうであれ戦争が極端に人間的な営みであることは衆目の一致するところでしょう。しかし戦争は同時に人間が生み出す最大級の無駄の極みでもあります。そしてそれに美を感じるか否かは、人それぞれ判断の分かれるところであるなどというレトリックではおよそ収拾のつかない問題を投じるものです。こうしたことを踏まえて両者の統合は先述のような姿となっていくわけです。芸術とも戦争とも異なるその姿が、端的に明瞭にシンボルに描かれています。橋は言うまでもなく人間の技術の産物であり、怠ることなく手を加えられることによって長きにわたって使われ続けています。生きた知恵を用いそれによって日常生活のなかに美を維持することがここでは示されています。そしてこれこそが射手の季節の後半のテーマである〈転移・譲渡〉の最も核となる部分なのです。なにを社会全体に還元していくのか、その真髄と呼べるものがこの光景に描き出されているのです。残し得る、そしてまた残すべき永続的なものとはなんであるのか、最も大切なもののヒントがここにはあるのです。よく見て、よくかんがえてみてください。みずから率先してなにかをはじめたり主導権を握って人をまとめたり責任ある決断を下すことがまったく欠落してしまう傾向が見られるときでもあります。優柔不断もほどほどにしなければ大切なものを残せません。
サビアンシンボルは
射手座27度「制作中の彫刻家」
このシンボルのキーノート(基調)は
「自分のビジョンを投影し素材にかたちを与える能力」
きょうはどんな日?
共有を目的として理念や理想を具体化し可視化する必要が、いよいよ内面からの要請によって生じ、またそれを実行できるときです。
理念や理想や目的をはっきりと掲げ、またそれに対して献身的に振る舞い、自身が帰属する集団や共同体の思想を代弁することが求められるときというのがきのうでした。射手の季節のクライマックスにあたってあらためて理念や理想の明確な掲示が必要である。個人的なことがらにおいても犠牲を払ってでも優先すべきものはあるだろうかとかんがえてみるのもよいという具合でしたが、自分なりの表明はできたでしょうか。きょうは個人的な側面を強調していきましょう。
自分の個人的な主張を大声で叫ぶのならまだしも、帰属する集団や共同体の思想を代弁するなどということには抵抗を覚える人もいるかもしれません。しかしここしばらくは対象への同化や環境への順応などをテーマとして扱ってきましたし、なにより射手の季節の後半のテーマは個人の抽象思考を社会全体に還元していくことです。それがこのように実を結びつつあるのだととらえてみてください。その一方できょうは個人的なことがらの色味が強まります。シンボルに描かれているのはきのうとは対照的に、個人的な動機に突き動かされた芸術家の仕事風景です。戦場の旗手は無私であり集団に同化するなかで幸福が成就する存在でしたが、彫刻家の創作意欲とは明らかに個人的なものです。ただそれが個人的な営みとして完結するにとどまっていないのは、社会に、世界に自分の存在を刻印することまでに昇華されている点です。つくり上げられた作品は作家の寿命をはるかに超えて世の中に残り得るからです。作品には作家の精神が投影されていますが大義に献身して生きた旗手の精神もまたそれと同等に純化されています。両者に共通しているのは理念や理想を広く共有しようという意志であり、そのメッセージが旗と彫刻には等しく込められているのです。とはいえきょうはまず自分のビジョンによって素材となるものの形態を変容させること――彫刻家的な作業に集中してとり組んでみてください。理念や理想を、まず共有できるかたちへと具体化する試みに挑戦してみましょう。いきなりでは難しい課題でしょうが、これまでを踏まえた以上いきなりではありません。素材も技術も状況も、すべてが〈制作〉のために整っているはずです。冷淡で非人間的な言動や過剰な野心に貫かれた決意やうぬぼれが表に現れる傾向が見られるときでもあります。かたちにして見せるべきはそれではありません。
射手座27度「制作中の彫刻家」
このシンボルのキーノート(基調)は
「自分のビジョンを投影し素材にかたちを与える能力」
きょうはどんな日?
共有を目的として理念や理想を具体化し可視化する必要が、いよいよ内面からの要請によって生じ、またそれを実行できるときです。
理念や理想や目的をはっきりと掲げ、またそれに対して献身的に振る舞い、自身が帰属する集団や共同体の思想を代弁することが求められるときというのがきのうでした。射手の季節のクライマックスにあたってあらためて理念や理想の明確な掲示が必要である。個人的なことがらにおいても犠牲を払ってでも優先すべきものはあるだろうかとかんがえてみるのもよいという具合でしたが、自分なりの表明はできたでしょうか。きょうは個人的な側面を強調していきましょう。
自分の個人的な主張を大声で叫ぶのならまだしも、帰属する集団や共同体の思想を代弁するなどということには抵抗を覚える人もいるかもしれません。しかしここしばらくは対象への同化や環境への順応などをテーマとして扱ってきましたし、なにより射手の季節の後半のテーマは個人の抽象思考を社会全体に還元していくことです。それがこのように実を結びつつあるのだととらえてみてください。その一方できょうは個人的なことがらの色味が強まります。シンボルに描かれているのはきのうとは対照的に、個人的な動機に突き動かされた芸術家の仕事風景です。戦場の旗手は無私であり集団に同化するなかで幸福が成就する存在でしたが、彫刻家の創作意欲とは明らかに個人的なものです。ただそれが個人的な営みとして完結するにとどまっていないのは、社会に、世界に自分の存在を刻印することまでに昇華されている点です。つくり上げられた作品は作家の寿命をはるかに超えて世の中に残り得るからです。作品には作家の精神が投影されていますが大義に献身して生きた旗手の精神もまたそれと同等に純化されています。両者に共通しているのは理念や理想を広く共有しようという意志であり、そのメッセージが旗と彫刻には等しく込められているのです。とはいえきょうはまず自分のビジョンによって素材となるものの形態を変容させること――彫刻家的な作業に集中してとり組んでみてください。理念や理想を、まず共有できるかたちへと具体化する試みに挑戦してみましょう。いきなりでは難しい課題でしょうが、これまでを踏まえた以上いきなりではありません。素材も技術も状況も、すべてが〈制作〉のために整っているはずです。冷淡で非人間的な言動や過剰な野心に貫かれた決意やうぬぼれが表に現れる傾向が見られるときでもあります。かたちにして見せるべきはそれではありません。
サビアンシンボルは
射手座26度「戦場の旗手」
このシンボルのキーノート(基調)は
「集団の価値と目的への、気高く受容された個人の従属」
きょうはどんな日?
理念や理想や目的をはっきりと掲げ、またそれに対して献身的に振る舞い、自身が帰属する集団や共同体の思想を代弁することが求められるときです。
想像力をじゅうぶんに働かせて時間空間ともに離れたさまざまなものごとへの関心を満たすべく予行演習を展開しておきたいときというのがきのうでした。物質的に精神的に充足があったかどうかはともあれ関心が外部へと向けられている。自分の潜在性を開発してより広い世界を知り手に入れることをシミュレーションしてみようという具合でしたが、楽しみは得られたでしょうか。きょうは気分を切り替えて引き締めていきましょう。
「まるまる太った少年」の関心や想像力の方向性は、なにも性的なものばかりではないことは言うまでもありません。射手の季節の後半のテーマは〈転移・譲渡〉でした。前半のテーマであった抽象思考を社会の制度のなかに反映させ、あるいは新たに制度をつくり出し確立することによって、社会全体に還元していくプロセスです。理念や理想をかたちにする具体化の前段階として「あり得べき姿」へと向かう意志の力はいっそう強まり、その「あり得べき姿」はさらに具体性を帯びつつも無駄を削ぎ落とされ、ミニマムなものへと絞り込まれ洗練されていきます。射手の季節のクライマックスに向かういま、理念や理想の明確な掲示が求められています。シンボルに描かれている旗手は戦争の大義を掲げる存在です。戦国時代の日本などに見られる古風な戦争の様式においては、旗を掲げるということはその集団の価値観の正当性や高潔さを表明することであり、また団結の証でもあります。そしてそれゆえに戦場においては個人の幸福はより大きな全体の幸福に同化することで、埋没しながらも成就を見ることになるのです。旗手は武器も防具も身につけていませんが、戦場においては文字どおりの象徴的存在として集団の価値観を代弁し戦っています。理念や理想を掲げることとともに、それへの献身的な振る舞いの必要がここでは示されています。全体性への抵抗を覚える人は個人的なことがらにおいて、自分の普通の日常生活のなかでなにかを犠牲にしてでもまず優先すべきものはあるだろうかとかんがえてみるのもよいでしょう。差し出すものがなければ得られるものはないからです。空虚な誇示に訴えて出たり誤った名声を要求する傾向が見られるときでもあります。自分が掲げるその旗に自分が本当に誇りをもてるかどうかいま一度よくかんがえてみましょう。
射手座26度「戦場の旗手」
このシンボルのキーノート(基調)は
「集団の価値と目的への、気高く受容された個人の従属」
きょうはどんな日?
理念や理想や目的をはっきりと掲げ、またそれに対して献身的に振る舞い、自身が帰属する集団や共同体の思想を代弁することが求められるときです。
想像力をじゅうぶんに働かせて時間空間ともに離れたさまざまなものごとへの関心を満たすべく予行演習を展開しておきたいときというのがきのうでした。物質的に精神的に充足があったかどうかはともあれ関心が外部へと向けられている。自分の潜在性を開発してより広い世界を知り手に入れることをシミュレーションしてみようという具合でしたが、楽しみは得られたでしょうか。きょうは気分を切り替えて引き締めていきましょう。
「まるまる太った少年」の関心や想像力の方向性は、なにも性的なものばかりではないことは言うまでもありません。射手の季節の後半のテーマは〈転移・譲渡〉でした。前半のテーマであった抽象思考を社会の制度のなかに反映させ、あるいは新たに制度をつくり出し確立することによって、社会全体に還元していくプロセスです。理念や理想をかたちにする具体化の前段階として「あり得べき姿」へと向かう意志の力はいっそう強まり、その「あり得べき姿」はさらに具体性を帯びつつも無駄を削ぎ落とされ、ミニマムなものへと絞り込まれ洗練されていきます。射手の季節のクライマックスに向かういま、理念や理想の明確な掲示が求められています。シンボルに描かれている旗手は戦争の大義を掲げる存在です。戦国時代の日本などに見られる古風な戦争の様式においては、旗を掲げるということはその集団の価値観の正当性や高潔さを表明することであり、また団結の証でもあります。そしてそれゆえに戦場においては個人の幸福はより大きな全体の幸福に同化することで、埋没しながらも成就を見ることになるのです。旗手は武器も防具も身につけていませんが、戦場においては文字どおりの象徴的存在として集団の価値観を代弁し戦っています。理念や理想を掲げることとともに、それへの献身的な振る舞いの必要がここでは示されています。全体性への抵抗を覚える人は個人的なことがらにおいて、自分の普通の日常生活のなかでなにかを犠牲にしてでもまず優先すべきものはあるだろうかとかんがえてみるのもよいでしょう。差し出すものがなければ得られるものはないからです。空虚な誇示に訴えて出たり誤った名声を要求する傾向が見られるときでもあります。自分が掲げるその旗に自分が本当に誇りをもてるかどうかいま一度よくかんがえてみましょう。
サビアンシンボルは
射手座25度「おもちゃの馬に乗ったまるまる太った少年」
このシンボルのキーノート(基調)は
「活用をまだ夢見るにすぎない力を予期しての楽しみ」
きょうはどんな日?
想像力をじゅうぶんに働かせて時間空間ともに離れたさまざまなものごとへの関心を満たすべく予行演習を展開しておきたいときです。
環境に順応し変化に適応したことについて自身の知的発達の関心に応じた報酬が見込め、またそれを今後の展開の自己資本にし得るときというのがきのうでした。首尾よく真似することを同化のテクニックとして利用できたのであれば、それに対しての報酬が見込める。自分の目的に応じた規模での幸福を享受しようという具合でしたが、漏らさず手に入れられたでしょうか。きょうは楽しみつつもたくさん頭を使いましょう。
幾分クローズドではあれ真似を通じて環境への順応や変化への適応を果たしたところへ、言わば身の丈にあった幸せが訪れるという体感が得られたのではとおもいます。あと出しのようですがきのうの大きなポイントはその訪れに気づくかどうかというところでした。コテージは地域共同体の共有施設で、そこでの生活に馴染んでいる状態が前提として暗示されていますが、青い鳥は門に止まっているわけでこれは幸福が〈外部〉からやってくることも示されているわけです。より正確に言うならば、順応し同化してはいるけれども自分の関心はあらかじめすでに外へと向いていて、だからこそ訪れにも気づくことが可能となるということです。逃さずにものにできたのであれば物質的にも精神的にも大きな充足があることでしょう。そうでないとしても引き続き関心は外部へと向けられており、空間的にだけでなく時間的にも離れたものごとについての興味が膨らんでいる状態でしょう。シンボルに描かれているのはおもちゃの馬ですが、馬とは古くからごく最近まで人間にとっては実に大きな可能性をもたらす存在でした。移動手段として重要な役割をもち、空間を征圧すると同時にその地にあるさまざまなものを手にすることを可能にしてきました。自身の能力と世界を拡張する非常に有効な道具であった馬ですが、それを模したおもちゃに乗って遊ぶということは、自分の潜在性を開発してより広い世界を知り手に入れることをシミュレーションしているのです。21度で示された模倣の効用や想像力とフィクションの活用は、このようにさらなる発達を見せていくというわけです。またおもちゃの馬にまたがり上下と前後の周期的な律動を体験することは性的な体験のシミュレーションであるとも言えます。借りてきた片眼鏡をかけて犬とじゃれていた少年は確実に成長へと向かっているのです。怠惰な自己耽溺に没入したり自分の功績や長所やそれに伴う評価や報酬を訴えることに対しまったくもって無邪気な率直さを示す傾向が見られるときでもあります。ただ素直でありさえすればよいのか想像力を現実に及ばせてよくかんがえましょう。
射手座25度「おもちゃの馬に乗ったまるまる太った少年」
このシンボルのキーノート(基調)は
「活用をまだ夢見るにすぎない力を予期しての楽しみ」
きょうはどんな日?
想像力をじゅうぶんに働かせて時間空間ともに離れたさまざまなものごとへの関心を満たすべく予行演習を展開しておきたいときです。
環境に順応し変化に適応したことについて自身の知的発達の関心に応じた報酬が見込め、またそれを今後の展開の自己資本にし得るときというのがきのうでした。首尾よく真似することを同化のテクニックとして利用できたのであれば、それに対しての報酬が見込める。自分の目的に応じた規模での幸福を享受しようという具合でしたが、漏らさず手に入れられたでしょうか。きょうは楽しみつつもたくさん頭を使いましょう。
幾分クローズドではあれ真似を通じて環境への順応や変化への適応を果たしたところへ、言わば身の丈にあった幸せが訪れるという体感が得られたのではとおもいます。あと出しのようですがきのうの大きなポイントはその訪れに気づくかどうかというところでした。コテージは地域共同体の共有施設で、そこでの生活に馴染んでいる状態が前提として暗示されていますが、青い鳥は門に止まっているわけでこれは幸福が〈外部〉からやってくることも示されているわけです。より正確に言うならば、順応し同化してはいるけれども自分の関心はあらかじめすでに外へと向いていて、だからこそ訪れにも気づくことが可能となるということです。逃さずにものにできたのであれば物質的にも精神的にも大きな充足があることでしょう。そうでないとしても引き続き関心は外部へと向けられており、空間的にだけでなく時間的にも離れたものごとについての興味が膨らんでいる状態でしょう。シンボルに描かれているのはおもちゃの馬ですが、馬とは古くからごく最近まで人間にとっては実に大きな可能性をもたらす存在でした。移動手段として重要な役割をもち、空間を征圧すると同時にその地にあるさまざまなものを手にすることを可能にしてきました。自身の能力と世界を拡張する非常に有効な道具であった馬ですが、それを模したおもちゃに乗って遊ぶということは、自分の潜在性を開発してより広い世界を知り手に入れることをシミュレーションしているのです。21度で示された模倣の効用や想像力とフィクションの活用は、このようにさらなる発達を見せていくというわけです。またおもちゃの馬にまたがり上下と前後の周期的な律動を体験することは性的な体験のシミュレーションであるとも言えます。借りてきた片眼鏡をかけて犬とじゃれていた少年は確実に成長へと向かっているのです。怠惰な自己耽溺に没入したり自分の功績や長所やそれに伴う評価や報酬を訴えることに対しまったくもって無邪気な率直さを示す傾向が見られるときでもあります。ただ素直でありさえすればよいのか想像力を現実に及ばせてよくかんがえましょう。
サビアンシンボルは
射手座24度「コテージの門に止まっている青い鳥」
このシンボルのキーノート(基調)は
「自身に対して忠実であり続ける人たちのための、社会環境への統合におけるすべての努力に見あった報酬」
きょうはどんな日?
環境に順応し変化に適応したことについて自身の知的発達の関心に応じた報酬が見込め、またそれを今後の展開の自己資本にし得るときです。
さらなる知的発達を目的として新たな体験の領域に足を踏み入れるべく生の新たな技法に自身を調整する必要が生じるときというのがきのうでした。対象への同化に積極的な意欲を示し必要十分な条件を満たせば道は拓ける。自分の個性を保ちながら真似をするようにして、おととい画定した自他の線引をとり払ってしまおうという具合でしたが、うまく馴染むことはできたでしょうか。きょうは必要なものが手にできます。
個性を保ちながら真似をする。前日は真似をやめて個性の復権と自主性の回復に向かったわけですから、ここでいま一度真似に向かった場合の懸念が生じるのも当然でしょう。しかし移民がいくら移民先でたとえ国籍までも取得したところで民族的な出自が失われることがないように、個性とは国や共同体やましてや小さな集団の環境や規範に自分をあわせていったところで失われるものではないはずです。人間の内面の高潔さとは環境への順応程度で損なわれるようなものではないからです。ともあれ首尾よく真似することを同化のテクニックとして利用できたのであれば、それに対しての報酬が見込めることになります。とはいえ知的発達を目的として新たな体験の領域に入ったという面もあるわけですから、そのうえで得られる報酬ということです。自分の関心を満たすにじゅうぶんなものを手にすることができるでしょう。シンボルに描かれている青い鳥はもちろん言うまでもなく広く一般に幸福の象徴として知られているものです。コテージはここでは単なる私有の小屋ではなく地域共同体の共有施設として用いられているものが想定されています。新しい国に入った移民の一団はその地での共同体の生活に適応し、多かれ少なかれ孤立したところでの連帯感を得ることになります。しかしそれがけっして否定的な意味あいでないということは、いまやよく理解できることでしょう。目的に応じた規模での幸福をどうぞ享受してください。不注意と実行力や実務能力のなさが現れる傾向が見られるときでもあります。手にすべきものを受けとり損ねることのないようにしましょう。
射手座24度「コテージの門に止まっている青い鳥」
このシンボルのキーノート(基調)は
「自身に対して忠実であり続ける人たちのための、社会環境への統合におけるすべての努力に見あった報酬」
きょうはどんな日?
環境に順応し変化に適応したことについて自身の知的発達の関心に応じた報酬が見込め、またそれを今後の展開の自己資本にし得るときです。
さらなる知的発達を目的として新たな体験の領域に足を踏み入れるべく生の新たな技法に自身を調整する必要が生じるときというのがきのうでした。対象への同化に積極的な意欲を示し必要十分な条件を満たせば道は拓ける。自分の個性を保ちながら真似をするようにして、おととい画定した自他の線引をとり払ってしまおうという具合でしたが、うまく馴染むことはできたでしょうか。きょうは必要なものが手にできます。
個性を保ちながら真似をする。前日は真似をやめて個性の復権と自主性の回復に向かったわけですから、ここでいま一度真似に向かった場合の懸念が生じるのも当然でしょう。しかし移民がいくら移民先でたとえ国籍までも取得したところで民族的な出自が失われることがないように、個性とは国や共同体やましてや小さな集団の環境や規範に自分をあわせていったところで失われるものではないはずです。人間の内面の高潔さとは環境への順応程度で損なわれるようなものではないからです。ともあれ首尾よく真似することを同化のテクニックとして利用できたのであれば、それに対しての報酬が見込めることになります。とはいえ知的発達を目的として新たな体験の領域に入ったという面もあるわけですから、そのうえで得られる報酬ということです。自分の関心を満たすにじゅうぶんなものを手にすることができるでしょう。シンボルに描かれている青い鳥はもちろん言うまでもなく広く一般に幸福の象徴として知られているものです。コテージはここでは単なる私有の小屋ではなく地域共同体の共有施設として用いられているものが想定されています。新しい国に入った移民の一団はその地での共同体の生活に適応し、多かれ少なかれ孤立したところでの連帯感を得ることになります。しかしそれがけっして否定的な意味あいでないということは、いまやよく理解できることでしょう。目的に応じた規模での幸福をどうぞ享受してください。不注意と実行力や実務能力のなさが現れる傾向が見られるときでもあります。手にすべきものを受けとり損ねることのないようにしましょう。
サビアンシンボルは
射手座23度「新しい国へ入る要件を満たした移民の一団」
このシンボルのキーノート(基調)は
「それがもたらす好機に準備を整えて、経験の新しい段階の方法を意識的に受容すること」
きょうはどんな日?
さらなる知的発達を目的として新たな体験の領域に足を踏み入れるべく生の新たな技法に自身を調整する必要が生じるときです。
個性の復権と自主性の回復のために、また自分自身の天性を際立たせるために周囲との乖離を感じるような環境が必要とされるときというのがきのうでした。自他の線引をしっかりと画定する。あるいはみずからそのように線を引く以前に阻害や隔絶を感じるような事態が生じる可能性もある。いずれにせよそのような状況下で自分の個性がどういうものなのかがはっきりと立ち現れてくるはずで、それが生きていくうえでの大きな力となることだろうという具合でしたが、周りとの違いは見えてきたでしょうか。きょうは違いに馴染みむしろみずからとり込みましょう。
学習手段の一つとして真似するということはとても有効ではあるけれども、過度に対象に同化するのは主体性の喪失にもつながりかねない。だからここで個性の復権を、ということで自分が望もうと望むまいと周囲との乖離を要したわけですが、きょうは両極が統合されていきます。つまり個性を保ちながら真似をする必要が生じるということです。いきなり難題をぶつけられたようで当惑してしまうかもしれませんが、それほど難しいことではありません。きのう画定した線をとり払ってしまえばよいのです。自分が線を引く以前に阻害や隔絶を感じたのであれば、周囲へと積極的に歩み寄ってみましょう。いずれにせよあらためて同化の方向に向かうわけですが、それで自分の個性が失われてしまうことになるのかといえばそんなことはありません。シンボルに描かれている移民の一団はその国に入り居住するに必要な資格をもちあわせていて、さらにしかるべき手続きを踏まえたからこそ入国審査を通過できたのです。対象への同化に積極的な意欲を示し必要十分な条件を満たせば道は拓けるのだということがここでは示されています。そしてこれはなにより知的発達を目的としたものであり、その発達が新たな体験の領域を求めているのだということも、また同時に示されているわけです。環境への順応や変化への適応能力が大いに発揮できることでしょう。積極的に新しいものごとに触れ挑戦してみてください。虚偽や誤りを追い求め現実に打ちのめされる傾向が見られるときでもあります。なにに関心を抱いてなにに同化するのかは正しく見極めなければなりません。
射手座23度「新しい国へ入る要件を満たした移民の一団」
このシンボルのキーノート(基調)は
「それがもたらす好機に準備を整えて、経験の新しい段階の方法を意識的に受容すること」
きょうはどんな日?
さらなる知的発達を目的として新たな体験の領域に足を踏み入れるべく生の新たな技法に自身を調整する必要が生じるときです。
個性の復権と自主性の回復のために、また自分自身の天性を際立たせるために周囲との乖離を感じるような環境が必要とされるときというのがきのうでした。自他の線引をしっかりと画定する。あるいはみずからそのように線を引く以前に阻害や隔絶を感じるような事態が生じる可能性もある。いずれにせよそのような状況下で自分の個性がどういうものなのかがはっきりと立ち現れてくるはずで、それが生きていくうえでの大きな力となることだろうという具合でしたが、周りとの違いは見えてきたでしょうか。きょうは違いに馴染みむしろみずからとり込みましょう。
学習手段の一つとして真似するということはとても有効ではあるけれども、過度に対象に同化するのは主体性の喪失にもつながりかねない。だからここで個性の復権を、ということで自分が望もうと望むまいと周囲との乖離を要したわけですが、きょうは両極が統合されていきます。つまり個性を保ちながら真似をする必要が生じるということです。いきなり難題をぶつけられたようで当惑してしまうかもしれませんが、それほど難しいことではありません。きのう画定した線をとり払ってしまえばよいのです。自分が線を引く以前に阻害や隔絶を感じたのであれば、周囲へと積極的に歩み寄ってみましょう。いずれにせよあらためて同化の方向に向かうわけですが、それで自分の個性が失われてしまうことになるのかといえばそんなことはありません。シンボルに描かれている移民の一団はその国に入り居住するに必要な資格をもちあわせていて、さらにしかるべき手続きを踏まえたからこそ入国審査を通過できたのです。対象への同化に積極的な意欲を示し必要十分な条件を満たせば道は拓けるのだということがここでは示されています。そしてこれはなにより知的発達を目的としたものであり、その発達が新たな体験の領域を求めているのだということも、また同時に示されているわけです。環境への順応や変化への適応能力が大いに発揮できることでしょう。積極的に新しいものごとに触れ挑戦してみてください。虚偽や誤りを追い求め現実に打ちのめされる傾向が見られるときでもあります。なにに関心を抱いてなにに同化するのかは正しく見極めなければなりません。