サビアンシンボルは
山羊座12度「自然科学についての図解講座が生命のあまり知られていない側面を明らかにする」
このシンボルのキーノート(基調)は
「よく知られていない領域を探求し自然の複雑なプロセスに横たわっている法則を発見する能力」
きょうはどんな日?
知識の探究に並ならぬ意欲が発揮され、特権的ではありながらも獲得した知識の利用に有効な自身の方向づけが見込めるときです。
社会性や組織性を意識しつつもあらためて個性の確認に向かい、自他の違いを認識したうえでそれぞれの個性の発達をかんがえたいときというのがきのうでした。他者との同調や共感、相互理解といったプロセスののちに、あらためて自他の違いをじゅうぶんに自覚するように自分を見直す。さらに見い出された違いを、自他それぞれともに育てていくという方向に関心をもって行ってみるという具合でしたが、認識を新たにすることはできたでしょうか。きょうは学的態度を前面に出していきましょう。
個性の確認や自他の違いの認識というきのうのテーマの重要なポイントは、その個性や違いというものが非常に特異で際立っている部分であるというところにあります。否応なしに目立ってしまう、嫌でも明らかにわかる、隠そうにも隠すことのできないものとしての個性です。そうしたものを伸ばし育てていく際に「私有地」に囲い込むということは一種の純粋培養や英才教育に近い様相を呈し、またそこで育まれた個性には必然的にエリート意識が付随することになります。これがその個性が織りなす文化の貴族的ムードの源泉であると言えるでしょう。「雉の大群」は特権階級の矜持としてみずからの文化的優位性を確立し保有することになります。きょうの展開はこのような階級の醸し出す閉鎖性に比べては幾分開放的な趣となっていきます。シンボルに描かれているのは閉鎖的な私有地ではなく、門戸の開かれた大学の講堂の様子です。とはいえ一般聴講が認められている講座でもなければ、それを聴くことができるのは学生としてそこに入学した者だけです。また講座内容が高度に専門的であることも描かれていますが、これが同時に学問の特権性と学徒の貴族性とを示しています。きのうより開放的とはいえど一定の制限つきであり、しかしながら該博な知識の獲得と知的好奇心の満足に向かうというのがこのシンボルで強調されていることです。エリートの富や文化に随行し誇示することとは対比的に、実践的な知識の探究がここでは示されているととらえてみてください。心理的な鼻持ちならなさや知的な面でのまったく無根拠で不合理なプライドをあらわにする傾向が見られるときでもあります。知識は自己の信頼につなげるにとどめておきましょう。
サビアンシンボルは
山羊座11度「私有地にいる雉の大群」
このシンボルのキーノート(基調)は
「人間が、存在のこれまで以上の完璧な形態への生命の進化へ参画する、その手段による貴族的な価値の洗練と伝播」
きょうはどんな日?
社会性や組織性を意識しつつもあらためて個性の確認に向かい、自他の違いを認識したうえでそれぞれの個性の発達をかんがえたいときです。
同調や共感の発展として自分に害意がないことを他者に示すことによって、愛と同情に基づいた深い相互理解を確立したいときというのがきのうでした。全体の調和と組織性を重んじるからこそ、個人は自分の我を張ることから脱却して相互の敬意と理解に基づいたパートナーシップを築き上げることができる。またそれぞれの立場を尊重し役割を重んじることが、ひいてはそうした役割を超えての愛と同情による交流をもたらすことにつながるという具合でしたが、上手にアプローチできたでしょうか。きょうはさらに個々人の問題に向かいます。
〈全体と個〉をつねに意識していると個人と個人との深い交流を実現するには我を押し出すことは妨げになるのだという認識が、きのうの段階で得られていることでしょう。自分固有の問題を公に明らかにしたり自己主張をしたりすることはひとまずおいて、自分も他人も大きな全体の一部なのだと了解することが愛と同情につながるのだということ。すなわちそれが人をおもいやるということです。山羊の季節においては社会性や組織性は大変重要なテーマの一つですが、それに伴って個人の疎外をいかに回避するかということも大切な課題となります。きょうはそうしたプロセスのなかで、より個人性の強い問題へとフォーカスしていきます。シンボルに描かれている雉は日本の国鳥です。日本原産で特有の種というわけではないのですが、わが国では古くから狩猟の対象となりその肉は食用とされ、文学や美術にも数多く登場するなど文化上大変馴染み深い鳥となっています。日本という国は近年では携帯電話が独自の発展を見せたり、オタク文化や性風俗や前衛音楽が国際的に抜きん出た評価を獲得するなど、文化的にはグローバルスタンダードから大きく乖離した極端さを美点として有しているところがあります。雉という鳥はそうした日本の文化的な特異性・特殊性を象徴するものだと言ってもよいでしょう。私有地にいる雉の大群は、一般社会から隔絶されたところで個性や文化が言わば貴族的な発展を遂げているさまを象徴しています。社会性を大きくとり扱う山羊的なテーマの数々にあってかなり異質とも言えるテーマのようですが、ここで一度個性というものについてかんがえ直してみるのもよい機会でしょう。他者との同調や共感、相互理解といったプロセスののちに、あらためて自他の違いをじゅうぶんに自覚するように自分を見直すときであるととらえてみてください。そしてより発展的にかんがえるならば、見い出された違いを、自他それぞれともに育てていくという方向に関心をもって行ってみてください。それは確実に社会的な営みであることでしょう。その一方で他人の凡庸さにあわせることに利己的な満足を覚える傾向が見られるときでもあります。違いを見い出したところで追従口は避けましょう。それは個性を育てません。
山羊座11度「私有地にいる雉の大群」
このシンボルのキーノート(基調)は
「人間が、存在のこれまで以上の完璧な形態への生命の進化へ参画する、その手段による貴族的な価値の洗練と伝播」
きょうはどんな日?
社会性や組織性を意識しつつもあらためて個性の確認に向かい、自他の違いを認識したうえでそれぞれの個性の発達をかんがえたいときです。
同調や共感の発展として自分に害意がないことを他者に示すことによって、愛と同情に基づいた深い相互理解を確立したいときというのがきのうでした。全体の調和と組織性を重んじるからこそ、個人は自分の我を張ることから脱却して相互の敬意と理解に基づいたパートナーシップを築き上げることができる。またそれぞれの立場を尊重し役割を重んじることが、ひいてはそうした役割を超えての愛と同情による交流をもたらすことにつながるという具合でしたが、上手にアプローチできたでしょうか。きょうはさらに個々人の問題に向かいます。
〈全体と個〉をつねに意識していると個人と個人との深い交流を実現するには我を押し出すことは妨げになるのだという認識が、きのうの段階で得られていることでしょう。自分固有の問題を公に明らかにしたり自己主張をしたりすることはひとまずおいて、自分も他人も大きな全体の一部なのだと了解することが愛と同情につながるのだということ。すなわちそれが人をおもいやるということです。山羊の季節においては社会性や組織性は大変重要なテーマの一つですが、それに伴って個人の疎外をいかに回避するかということも大切な課題となります。きょうはそうしたプロセスのなかで、より個人性の強い問題へとフォーカスしていきます。シンボルに描かれている雉は日本の国鳥です。日本原産で特有の種というわけではないのですが、わが国では古くから狩猟の対象となりその肉は食用とされ、文学や美術にも数多く登場するなど文化上大変馴染み深い鳥となっています。日本という国は近年では携帯電話が独自の発展を見せたり、オタク文化や性風俗や前衛音楽が国際的に抜きん出た評価を獲得するなど、文化的にはグローバルスタンダードから大きく乖離した極端さを美点として有しているところがあります。雉という鳥はそうした日本の文化的な特異性・特殊性を象徴するものだと言ってもよいでしょう。私有地にいる雉の大群は、一般社会から隔絶されたところで個性や文化が言わば貴族的な発展を遂げているさまを象徴しています。社会性を大きくとり扱う山羊的なテーマの数々にあってかなり異質とも言えるテーマのようですが、ここで一度個性というものについてかんがえ直してみるのもよい機会でしょう。他者との同調や共感、相互理解といったプロセスののちに、あらためて自他の違いをじゅうぶんに自覚するように自分を見直すときであるととらえてみてください。そしてより発展的にかんがえるならば、見い出された違いを、自他それぞれともに育てていくという方向に関心をもって行ってみてください。それは確実に社会的な営みであることでしょう。その一方で他人の凡庸さにあわせることに利己的な満足を覚える傾向が見られるときでもあります。違いを見い出したところで追従口は避けましょう。それは個性を育てません。
サビアンシンボルは
山羊座10度「船員の手から餌をもらうアホウドリ」
このシンボルのキーノート(基調)は
「恐れとその報いを克服すること」
きょうはどんな日?
同調や共感の発展として自分に害意がないことを他者に示すことによって、愛と同情に基づいた深い相互理解を確立したいときです。
規範意識の発展として他者への同調や共感ひいては宇宙のリズムへの同調が導かれ、全体のなかでの個の位置と役割と目的を認識するときというのがきのうでした。自分が大きな全体の一部であるという認識をもつ。全体のなかで自分が欠くことのできない大切な役割をたしかに担っているのだという自覚をもつことが、全体に調和をもたらし他者への共感を生み出すという具合でしたが、正しい自己認識をもつことはできたでしょうか。きょうは同調や共感のさらなる発展に向かいます。
〈全体と個〉という意識をつねに前提においている限りでは、他人への同調や共感は言わば〈節度〉が保たれ、べったりとした共依存的な関係になってしまうことは回避されます。それぞれの立場を尊重し役割を重んじての全体の調和がなによりもまず第一義的に優先されるからです。そもそもがその同調感覚も規範意識の発展として生じてきたものであり、またそれはなにより特定の文化の理念や様式への自発期な従属に伴って生まれたものでありました。日常において現状やらなければならないことを完結させて(6度)社会を動かす人間関係の諸力を感じとり(7度)美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属する(8度)という選択にいたった個的な生は、かくして全体の調和と組織性を重要視したうえでの他者への同調や共感へと向かっていくわけです。そして人間の力また集団の力がどのように束ねられ織り上げられ機能しているのかを、山羊の季節のはじまりからずっと扱い続け見てきていますが、きょうはここでまたあらためて個人的なことがらのほうへと重点が置かれることになります。シンボルに描かれているアホウドリは翼開長が2メートル以上にもおよぶ世界最大級の海鳥です。大きな体躯と翼ゆえ動作は緩慢であると言われており、人間が近づいても素早い回避行動をとることができずに捕殺が容易であったことからその名がつけられたとされています。動作は緩慢といえども他の動物を捕食する猛禽の類であり、その鋭いくちばしは油断した人間の指を切り落とす力があるとも言われていますが、このシンボルで描かれているのは人間との良好な関係がとり結べている様子です。つまり、どちらがどちらに対してということはさておき、ともあれ相手に対して自分が無害な存在であることを表明することによって深い相互理解にいたるということがここでは示されているのです。前段には言うまでもなく全体の調和と組織性があります。それを重んじるからこそ、個人は自分の我を張ることから脱却して相互の敬意と理解に基づいたパートナーシップを築き上げることができるのです。またそれぞれの立場を尊重し役割を重んじるということは、ひいてはそうした役割を超えての愛と同情による交流をもたらすことにつながります。それぞれがなぜその立場にいてなぜその役割を担っているのか、それぞれが同じ全体の一部であると認識しているからこそ理解が可能となるのです。個人的なことがらのほうへと重点が置かれるとはいえ、けっして我に縛られることのない他者との交流を、上記のような意識と視点からめざしてみてください。枝葉の問題に過剰にかかずらったり気にしすぎたりする傾向が見られるときでもあります。その点においても私事にこだわるのはやめたほうが賢明でしょう。
山羊座10度「船員の手から餌をもらうアホウドリ」
このシンボルのキーノート(基調)は
「恐れとその報いを克服すること」
きょうはどんな日?
同調や共感の発展として自分に害意がないことを他者に示すことによって、愛と同情に基づいた深い相互理解を確立したいときです。
規範意識の発展として他者への同調や共感ひいては宇宙のリズムへの同調が導かれ、全体のなかでの個の位置と役割と目的を認識するときというのがきのうでした。自分が大きな全体の一部であるという認識をもつ。全体のなかで自分が欠くことのできない大切な役割をたしかに担っているのだという自覚をもつことが、全体に調和をもたらし他者への共感を生み出すという具合でしたが、正しい自己認識をもつことはできたでしょうか。きょうは同調や共感のさらなる発展に向かいます。
〈全体と個〉という意識をつねに前提においている限りでは、他人への同調や共感は言わば〈節度〉が保たれ、べったりとした共依存的な関係になってしまうことは回避されます。それぞれの立場を尊重し役割を重んじての全体の調和がなによりもまず第一義的に優先されるからです。そもそもがその同調感覚も規範意識の発展として生じてきたものであり、またそれはなにより特定の文化の理念や様式への自発期な従属に伴って生まれたものでありました。日常において現状やらなければならないことを完結させて(6度)社会を動かす人間関係の諸力を感じとり(7度)美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属する(8度)という選択にいたった個的な生は、かくして全体の調和と組織性を重要視したうえでの他者への同調や共感へと向かっていくわけです。そして人間の力また集団の力がどのように束ねられ織り上げられ機能しているのかを、山羊の季節のはじまりからずっと扱い続け見てきていますが、きょうはここでまたあらためて個人的なことがらのほうへと重点が置かれることになります。シンボルに描かれているアホウドリは翼開長が2メートル以上にもおよぶ世界最大級の海鳥です。大きな体躯と翼ゆえ動作は緩慢であると言われており、人間が近づいても素早い回避行動をとることができずに捕殺が容易であったことからその名がつけられたとされています。動作は緩慢といえども他の動物を捕食する猛禽の類であり、その鋭いくちばしは油断した人間の指を切り落とす力があるとも言われていますが、このシンボルで描かれているのは人間との良好な関係がとり結べている様子です。つまり、どちらがどちらに対してということはさておき、ともあれ相手に対して自分が無害な存在であることを表明することによって深い相互理解にいたるということがここでは示されているのです。前段には言うまでもなく全体の調和と組織性があります。それを重んじるからこそ、個人は自分の我を張ることから脱却して相互の敬意と理解に基づいたパートナーシップを築き上げることができるのです。またそれぞれの立場を尊重し役割を重んじるということは、ひいてはそうした役割を超えての愛と同情による交流をもたらすことにつながります。それぞれがなぜその立場にいてなぜその役割を担っているのか、それぞれが同じ全体の一部であると認識しているからこそ理解が可能となるのです。個人的なことがらのほうへと重点が置かれるとはいえ、けっして我に縛られることのない他者との交流を、上記のような意識と視点からめざしてみてください。枝葉の問題に過剰にかかずらったり気にしすぎたりする傾向が見られるときでもあります。その点においても私事にこだわるのはやめたほうが賢明でしょう。
サビアンシンボルは
山羊座9度「ハープをもった天使」
このシンボルのキーノート(基調)は
「あらゆる生のシチュエーションの核において、スピリチュアルな意味と目的とを明らかにすること」
きょうはどんな日?
規範意識の発展として他者への同調や共感ひいては宇宙のリズムへの同調が導かれ、全体のなかでの個の位置と役割と目的を認識するときです。
美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属し、そのなかで規律正しい生をいきいきと享受するときというのがきのうでした。社会を動かしている力とはどういうものかをよく見据えてかんがえてみると、おのずと自分自身の言動や行動に制約をもたらすことになる。その結果として安定しよく統合された社会がその構成員にもたらす幸福を享受し〈力〉を称揚することに向かっていくという具合でしたが、みずから進んでなにかに従うことはできたでしょうか。きょうはさらにそれが発展していきます。
鳥たちはその家のなかにいることが自身の安全と平和につながるのでありそのような生を生きることをみずから欲しまっとうしているのだとかんがえてみようときのう述べました。自発的に従属するとはいえ、それはなにも隷従するということではありません。自身の生存を保障するためにその選択が最もふさわしいという判断であるがゆえにそうしているのであり、そこには安全と平和のみならず自由さえも存在しているのです。また、特定の文化の理念や様式へ従属することは規範への強い同調をも意味しますが、きょうはこれが発展し他者への同調や共感能力、ひいては宇宙のリズムへの同調へ進化していきます。シンボルに描かれているのはいささか陳腐とも言えるステレオタイプな天使の姿ですが、むしろそのような没個性的擬人化はこのシンボルにおいては肯定的にとらえられるものです。天使の擬人化は多くの場合宗教的な意味あいにおいて〈神の意志〉のメッセンジャーとして天使を描き出すことを目的としています。ここでは天使の象徴的意味はそうした伝令にとどまることなく、個々の生が普遍性に同調して生きるという限りにおいての生の多様性を示しています。自分が大きな全体の一部であるという認識をもつこと、その全体のなかで自分が欠くことのできない大切な役割をたしかに担っているのだという自覚をもつことが、全体に調和をもたらし他者への共感を生み出すのです。天国は私たちの内面にこそあるだということが、このシンボルがごく単純に訴えていることの一つです。心のなかの音楽にぜひ耳を傾けてみてください。無邪気な空想に耽溺したりまったく批判的正当性がない自己の優越を感じる傾向が見られるときでもあります。内面に耳を傾けるとはそういうことではありません。
山羊座9度「ハープをもった天使」
このシンボルのキーノート(基調)は
「あらゆる生のシチュエーションの核において、スピリチュアルな意味と目的とを明らかにすること」
きょうはどんな日?
規範意識の発展として他者への同調や共感ひいては宇宙のリズムへの同調が導かれ、全体のなかでの個の位置と役割と目的を認識するときです。
美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属し、そのなかで規律正しい生をいきいきと享受するときというのがきのうでした。社会を動かしている力とはどういうものかをよく見据えてかんがえてみると、おのずと自分自身の言動や行動に制約をもたらすことになる。その結果として安定しよく統合された社会がその構成員にもたらす幸福を享受し〈力〉を称揚することに向かっていくという具合でしたが、みずから進んでなにかに従うことはできたでしょうか。きょうはさらにそれが発展していきます。
鳥たちはその家のなかにいることが自身の安全と平和につながるのでありそのような生を生きることをみずから欲しまっとうしているのだとかんがえてみようときのう述べました。自発的に従属するとはいえ、それはなにも隷従するということではありません。自身の生存を保障するためにその選択が最もふさわしいという判断であるがゆえにそうしているのであり、そこには安全と平和のみならず自由さえも存在しているのです。また、特定の文化の理念や様式へ従属することは規範への強い同調をも意味しますが、きょうはこれが発展し他者への同調や共感能力、ひいては宇宙のリズムへの同調へ進化していきます。シンボルに描かれているのはいささか陳腐とも言えるステレオタイプな天使の姿ですが、むしろそのような没個性的擬人化はこのシンボルにおいては肯定的にとらえられるものです。天使の擬人化は多くの場合宗教的な意味あいにおいて〈神の意志〉のメッセンジャーとして天使を描き出すことを目的としています。ここでは天使の象徴的意味はそうした伝令にとどまることなく、個々の生が普遍性に同調して生きるという限りにおいての生の多様性を示しています。自分が大きな全体の一部であるという認識をもつこと、その全体のなかで自分が欠くことのできない大切な役割をたしかに担っているのだという自覚をもつことが、全体に調和をもたらし他者への共感を生み出すのです。天国は私たちの内面にこそあるだということが、このシンボルがごく単純に訴えていることの一つです。心のなかの音楽にぜひ耳を傾けてみてください。無邪気な空想に耽溺したりまったく批判的正当性がない自己の優越を感じる傾向が見られるときでもあります。内面に耳を傾けるとはそういうことではありません。
サビアンシンボルは
山羊座8度「陽のあたる家で飼い慣らされた鳥たちが楽しげに歌う」
このシンボルのキーノート(基調)は
「それを遠慮なく受けとる人々へもたらされる、よく確立された文化の理念や様式に従属する健全な幸福」
きょうはどんな日?
美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属し、そのなかで規律正しい生をいきいきと享受するときです。
社会を動かす人間関係の諸力を敏感に感じとることができ、またその機能を明らかにすることで現実的に有用な提言が可能となるときというのがきのうでした。預言者が発する啓示的な言葉はどこからくるのか、その源泉と社会を動かしている力とを同等にとらえてみる。あるいは預言者の側の立場として自分が感じとった〈意志〉を力として他人に提示する際には社会の現実的な面に則した見せ方を工夫する必要がある。日常的なレベルのなかで人に対してどのように力と言葉をふるうのかについて慎重に自覚的になってみようという具合でしたが、よい行いはできたでしょうか。きょうは平和が享受できるでしょう。
きのうの「預言者」とは、あくまでも象徴的に提示されているものです。〈超越〉とは特段に神秘的な秘教的なことがらのみを指しているわけではなく、これは哲学的な問い立てでもあります。日常生活のなかで哲学というものは実状と乖離した学問であるかのようにとらえられがちですが、人間とはいかに生きるか、あるいはいかに死ぬか、根源的な問いについてかんがえる学問であり、その結果は私たちの日々の暮らしのあり方に確実に反映され得るものです。社会を動かしている力とはどういうものかをよく見据えてかんがえてみることは、おのずと自分自身の言動や行動に制約をもたらすことになりますが、それがすなわち美く(よく)生きるということなのです。山羊座の守護星である土星は今日的な占星術上の解釈では限界や制限や拘束を意味するものとしてとらえられていますが、かつてはギリシャ神話の「黄金時代」のルーラーでもありました。古代ギリシャの詩人であるヘシオドスはその作『仕事と日』のなかで人類が経験した5つの時代(黄金時代・銀の時代・青銅時代・英雄時代・鉄の時代)を挙げ、その最初の時代である黄金時代をクロノスが支配した幸福と平和と正義に満ちた時代としました。ギリシャ神話のクロノスはローマ神話ではサトゥルヌスであり、これが英語のSaturnの語源となっています。きわめて土星的であるとも言える美と倫理についての自覚的な生き方はここで、安定しよく統合された社会がその構成員にもたらす幸福を享受し〈力〉を称揚することに向かいます。シンボルに描かれている鳥たちは飼い慣らされており、その家のなかにいることが自身の安全と平和につながるのです。鳥たちを飼っているのは家主の〈意志〉なのでしょうが、鳥たちの側にも飼われているという自覚がありそのような生を生きることをみずから欲しまっとうしているのだとかんがえてみてください。きょうの暮らしのヒントになることでしょう。怠惰な自己愛傾向が見られるときでもあります。易きにつくのではなく進んで欲しましょう。
山羊座8度「陽のあたる家で飼い慣らされた鳥たちが楽しげに歌う」
このシンボルのキーノート(基調)は
「それを遠慮なく受けとる人々へもたらされる、よく確立された文化の理念や様式に従属する健全な幸福」
きょうはどんな日?
美と倫理についての自覚的な生き方を通じて特定の文化の理念や様式に自発的に従属し、そのなかで規律正しい生をいきいきと享受するときです。
社会を動かす人間関係の諸力を敏感に感じとることができ、またその機能を明らかにすることで現実的に有用な提言が可能となるときというのがきのうでした。預言者が発する啓示的な言葉はどこからくるのか、その源泉と社会を動かしている力とを同等にとらえてみる。あるいは預言者の側の立場として自分が感じとった〈意志〉を力として他人に提示する際には社会の現実的な面に則した見せ方を工夫する必要がある。日常的なレベルのなかで人に対してどのように力と言葉をふるうのかについて慎重に自覚的になってみようという具合でしたが、よい行いはできたでしょうか。きょうは平和が享受できるでしょう。
きのうの「預言者」とは、あくまでも象徴的に提示されているものです。〈超越〉とは特段に神秘的な秘教的なことがらのみを指しているわけではなく、これは哲学的な問い立てでもあります。日常生活のなかで哲学というものは実状と乖離した学問であるかのようにとらえられがちですが、人間とはいかに生きるか、あるいはいかに死ぬか、根源的な問いについてかんがえる学問であり、その結果は私たちの日々の暮らしのあり方に確実に反映され得るものです。社会を動かしている力とはどういうものかをよく見据えてかんがえてみることは、おのずと自分自身の言動や行動に制約をもたらすことになりますが、それがすなわち美く(よく)生きるということなのです。山羊座の守護星である土星は今日的な占星術上の解釈では限界や制限や拘束を意味するものとしてとらえられていますが、かつてはギリシャ神話の「黄金時代」のルーラーでもありました。古代ギリシャの詩人であるヘシオドスはその作『仕事と日』のなかで人類が経験した5つの時代(黄金時代・銀の時代・青銅時代・英雄時代・鉄の時代)を挙げ、その最初の時代である黄金時代をクロノスが支配した幸福と平和と正義に満ちた時代としました。ギリシャ神話のクロノスはローマ神話ではサトゥルヌスであり、これが英語のSaturnの語源となっています。きわめて土星的であるとも言える美と倫理についての自覚的な生き方はここで、安定しよく統合された社会がその構成員にもたらす幸福を享受し〈力〉を称揚することに向かいます。シンボルに描かれている鳥たちは飼い慣らされており、その家のなかにいることが自身の安全と平和につながるのです。鳥たちを飼っているのは家主の〈意志〉なのでしょうが、鳥たちの側にも飼われているという自覚がありそのような生を生きることをみずから欲しまっとうしているのだとかんがえてみてください。きょうの暮らしのヒントになることでしょう。怠惰な自己愛傾向が見られるときでもあります。易きにつくのではなく進んで欲しましょう。
サビアンシンボルは
山羊座7度「神の力にかられて、ヴェールをかぶった預言者が話す」
このシンボルのキーノート(基調)は
「超越的な意志と将来の行動を決定する真実をあらわにする代弁者の役割を果たす能力」
きょうはどんな日?
社会を動かす人間関係の諸力を敏感に感じとることができ、またその機能を明らかにすることで現実的に有用な提言が可能となるときです。
集団を維持し運営していくうえでの技法として合目的的な攻撃性の動員がきわめて有効であることがわかるときというのがおとといでした。集団の組織運営の技法の発展形態として全体で一致団結して目的に向かう。集団にとってはコンスタントな活動と挑戦的な行動は集団自体を健全に保つための必要な要件である。戦争という極端な事例は別としても、集団にとって目的とはいかに重要なものであるかを正しく理解しておこう。しかしながらそこにはリーダーの野心が間違いなく存在し、それが大きく働いていることもしっかりと見てとる必要があるという具合でしたが、全体で一致団結して目的に向かうような行動は起こしたでしょうか。それを受けての展開をお伝えできずに申し訳ありませんでした。
実際に行動を起こすかどうかは別として、集団の人々の攻撃性を束ねて一つの目的へと方向づけるということが組織運営上大変有効なのだと理解する――そのようなメタな視点でのとらえ方で集団というものを俯瞰して見てみるというのがおとといの段階では求められていたことでした。きのうはそうした視点を踏まえて集団にとって不足しているものや欠けているところを補い、片づけなければならないものを片づけるというプロセスをご提案する予定でした。シンボルである「10本の丸太が暗い森へと続くアーチ道の下に横たわっている」ですが、10という数字はものごとの完成状態を象徴するものです。現状で過不足なく揃っているという状態を表しているわけですが、その状態は同時に次の段階への発展を示唆しています。完結したものごとが一定の充足度合いに達していない限り、未だ知られていない領域へと休みなく手を伸ばすことによって達成しそうなものなど、真の意味で一切重大ではないからです。暗い森へと続く道にある10本の丸太は、未知に踏み込む前にやらなければならないことを、そしてつまりそれは現状の仕上げを示しているのだということです。また10は〈発芽〉を象徴するものでもあります。この場合9は種子を表しておりそれがじゅうぶんに成熟したところで芽吹くというプロセスです。完成を迎えたところでの小休止もまた同時にここでは示されているのだというわけです。端的に言えば〈境目〉〈敷居〉の段階がきのうということになります。
これらを経てのきょうですが、もちろん〈敷居〉を跨ぎ踏み越える段階となります。しかしシンボルに描かれているのは、敷居の先の、かなり特殊な世界にいるかのような人物です。預言者というものは多くの場合、なんらかの大きな存在や力の実体を自分の身に宿してその代弁をふるうというやり方で私たちの前に現れ啓示的な言葉を提示します。そしてそれは往々にして超越的ななにか、個を超えた全体の〈意志〉を示すのですが、私たちの日常的な社会はそのような意志では動いていないと常識ではとらえられているのが普通です。しかしその一方で実際に日常的な社会を動かしている現実的な意志の力が存在しているのも事実であり、私たちはそれに対しては一定の信頼を置くことによって社会の構成員たり得ています。政治の仕組みや社会の諸制度がそれに当たりますが、それらのなかで人間の力また集団の力がどのように束ねられ織り上げられ機能しているのかを、山羊の季節のはじまりからずっと扱い続け見てきたわけです。その限りにおいては預言者の言葉を、社会を動かしている力に引き寄せ、あるいは比較して見てとることも可能であるはずです。両者に通底している力の源泉を見い出すということが〈敷居〉にいる状態、敷居を踏み越えるときだからこそ成し得るというのがきょうの段階です。また立場を預言者の側においてみれば、自分が感じとった〈意志〉を力として他人に提示する際に、社会の現実的な面に則した見せ方を工夫する必要があります。代弁者として振る舞うその言葉が相手にとって本当に必要なものであるのかをかんがえなければなりません。きょうはそうしたことも含めて、より日常的なレベルのなかで人に対してどのように力と言葉をふるうのかについて慎重に自覚的になってみてください。しかしながら真実の価値と誤ったそれとを峻別することにまったくもって不能となる傾向が見られるときでもあります。ただでさえ権力的な態度には慎重でありたいときに何重にも誤った行動とならないよう全力で注意してください。
山羊座7度「神の力にかられて、ヴェールをかぶった預言者が話す」
このシンボルのキーノート(基調)は
「超越的な意志と将来の行動を決定する真実をあらわにする代弁者の役割を果たす能力」
きょうはどんな日?
社会を動かす人間関係の諸力を敏感に感じとることができ、またその機能を明らかにすることで現実的に有用な提言が可能となるときです。
集団を維持し運営していくうえでの技法として合目的的な攻撃性の動員がきわめて有効であることがわかるときというのがおとといでした。集団の組織運営の技法の発展形態として全体で一致団結して目的に向かう。集団にとってはコンスタントな活動と挑戦的な行動は集団自体を健全に保つための必要な要件である。戦争という極端な事例は別としても、集団にとって目的とはいかに重要なものであるかを正しく理解しておこう。しかしながらそこにはリーダーの野心が間違いなく存在し、それが大きく働いていることもしっかりと見てとる必要があるという具合でしたが、全体で一致団結して目的に向かうような行動は起こしたでしょうか。それを受けての展開をお伝えできずに申し訳ありませんでした。
実際に行動を起こすかどうかは別として、集団の人々の攻撃性を束ねて一つの目的へと方向づけるということが組織運営上大変有効なのだと理解する――そのようなメタな視点でのとらえ方で集団というものを俯瞰して見てみるというのがおとといの段階では求められていたことでした。きのうはそうした視点を踏まえて集団にとって不足しているものや欠けているところを補い、片づけなければならないものを片づけるというプロセスをご提案する予定でした。シンボルである「10本の丸太が暗い森へと続くアーチ道の下に横たわっている」ですが、10という数字はものごとの完成状態を象徴するものです。現状で過不足なく揃っているという状態を表しているわけですが、その状態は同時に次の段階への発展を示唆しています。完結したものごとが一定の充足度合いに達していない限り、未だ知られていない領域へと休みなく手を伸ばすことによって達成しそうなものなど、真の意味で一切重大ではないからです。暗い森へと続く道にある10本の丸太は、未知に踏み込む前にやらなければならないことを、そしてつまりそれは現状の仕上げを示しているのだということです。また10は〈発芽〉を象徴するものでもあります。この場合9は種子を表しておりそれがじゅうぶんに成熟したところで芽吹くというプロセスです。完成を迎えたところでの小休止もまた同時にここでは示されているのだというわけです。端的に言えば〈境目〉〈敷居〉の段階がきのうということになります。
これらを経てのきょうですが、もちろん〈敷居〉を跨ぎ踏み越える段階となります。しかしシンボルに描かれているのは、敷居の先の、かなり特殊な世界にいるかのような人物です。預言者というものは多くの場合、なんらかの大きな存在や力の実体を自分の身に宿してその代弁をふるうというやり方で私たちの前に現れ啓示的な言葉を提示します。そしてそれは往々にして超越的ななにか、個を超えた全体の〈意志〉を示すのですが、私たちの日常的な社会はそのような意志では動いていないと常識ではとらえられているのが普通です。しかしその一方で実際に日常的な社会を動かしている現実的な意志の力が存在しているのも事実であり、私たちはそれに対しては一定の信頼を置くことによって社会の構成員たり得ています。政治の仕組みや社会の諸制度がそれに当たりますが、それらのなかで人間の力また集団の力がどのように束ねられ織り上げられ機能しているのかを、山羊の季節のはじまりからずっと扱い続け見てきたわけです。その限りにおいては預言者の言葉を、社会を動かしている力に引き寄せ、あるいは比較して見てとることも可能であるはずです。両者に通底している力の源泉を見い出すということが〈敷居〉にいる状態、敷居を踏み越えるときだからこそ成し得るというのがきょうの段階です。また立場を預言者の側においてみれば、自分が感じとった〈意志〉を力として他人に提示する際に、社会の現実的な面に則した見せ方を工夫する必要があります。代弁者として振る舞うその言葉が相手にとって本当に必要なものであるのかをかんがえなければなりません。きょうはそうしたことも含めて、より日常的なレベルのなかで人に対してどのように力と言葉をふるうのかについて慎重に自覚的になってみてください。しかしながら真実の価値と誤ったそれとを峻別することにまったくもって不能となる傾向が見られるときでもあります。ただでさえ権力的な態度には慎重でありたいときに何重にも誤った行動とならないよう全力で注意してください。
サビアンシンボルは
山羊座6度「10本の丸太が暗い森へと続くアーチ道の下に横たわっている」
このシンボルのキーノート(基調)は
「彼方に見い出されるなにものかへの入口を探し求める前に、引き受けたあらゆる仕事を完了させる必要」
きょうはどんな日?
筆者の都合により大変申し訳ありませんが、本日は休載とさせていただきます。
あしからずご了承ください。
山羊座6度「10本の丸太が暗い森へと続くアーチ道の下に横たわっている」
このシンボルのキーノート(基調)は
「彼方に見い出されるなにものかへの入口を探し求める前に、引き受けたあらゆる仕事を完了させる必要」
きょうはどんな日?
筆者の都合により大変申し訳ありませんが、本日は休載とさせていただきます。
あしからずご了承ください。
サビアンシンボルは
山羊座5度「戦いに備えるインディアンたち。いっぱいのカヌーを漕ぐ者もいれば、出陣の踊りを踊る者もいる」
このシンボルのキーノート(基調)は
「征服の精神における肉体的感情的エネルギーの動員」
きょうはどんな日?
集団を維持し運営していくうえでの技法として合目的的な攻撃性の動員がきわめて有効であることがわかるときです。
新しい体験を求めての具体的な行動が現れ、そのうえで理念や理想と集団の目的とを再確認し、場合によってはそのために〈転地〉が必要となるときというのがきのうでした。場所が変わり新しい環境に入れば集団の結束は否応なしに固くなっていくことから、理念理想目的を再確認し行動を起こしかたちにしていくうえでの大変有効なテクニックを知り得るだろうという具合でしたが、ヒントはつかめたでしょうか。きょうはさらにあからさまにわかりやすい目的に向かって行くことになります。
集団の組織運営をどのようにやっていくべきか、いくことが望まれるのか――山羊というサインの特性としてはその際に「環境を変える」というのが有効だとして選びやすい、そういうやり方に親和性があるということが、きのうの段階で示され見えてきました。環境を変えることで得られるのは集団全体の共通意志の確認と目的への方向づけですが、きょうはもっとストレートに目的を提示することでさらに全体で一致団結してそれに向かう、そういうやり方を採ることになります。シンボルに描かれているのは戦争という目的に向かって部族全体が動員されそれぞれの役割を果たすことに懸命になっている様子です。それ自体について悲劇的な解釈は不要ですが、少なくとも山羊1度に見られた「インディアンの酋長」は、戦意を発揚し人を束ねることはいともたやすい手近なもので、それもひょっとしたらほんの些細なことがきっかけで人は動くのだということを知ってしまったのだと推測できるでしょう。そしてなぜ戦争に向かうのか、その目的は自身の権威をより強固に確立するためです。一方で集団の側から見れば、異なる環境に移れば結束が固くなりますが、ある対象に攻勢に出ることでさらなる団結と目的の一致を見ることができます。ここで示されていることは集団の組織運営の技法の発展形態であり、また集団にとってはコンスタントな活動と挑戦的な行動は集団自体を健全に保つための必要な要件であるのだということです。戦争という極端な事例は別としても、集団にとって目的とはいかに重要なものであるかを正しく理解しておきましょう。しかしながらそこにはリーダーの野心が間違いなく存在しそれが大きく働いていることもしっかりと見てとる必要があるのは言うまでもありません。まったくもって不必要なむらっ気や癇癪が表れる傾向が見られるときでもあります。集団は自由気ままに動かせる私物ではないことを心得ましょう。
山羊座5度「戦いに備えるインディアンたち。いっぱいのカヌーを漕ぐ者もいれば、出陣の踊りを踊る者もいる」
このシンボルのキーノート(基調)は
「征服の精神における肉体的感情的エネルギーの動員」
きょうはどんな日?
集団を維持し運営していくうえでの技法として合目的的な攻撃性の動員がきわめて有効であることがわかるときです。
新しい体験を求めての具体的な行動が現れ、そのうえで理念や理想と集団の目的とを再確認し、場合によってはそのために〈転地〉が必要となるときというのがきのうでした。場所が変わり新しい環境に入れば集団の結束は否応なしに固くなっていくことから、理念理想目的を再確認し行動を起こしかたちにしていくうえでの大変有効なテクニックを知り得るだろうという具合でしたが、ヒントはつかめたでしょうか。きょうはさらにあからさまにわかりやすい目的に向かって行くことになります。
集団の組織運営をどのようにやっていくべきか、いくことが望まれるのか――山羊というサインの特性としてはその際に「環境を変える」というのが有効だとして選びやすい、そういうやり方に親和性があるということが、きのうの段階で示され見えてきました。環境を変えることで得られるのは集団全体の共通意志の確認と目的への方向づけですが、きょうはもっとストレートに目的を提示することでさらに全体で一致団結してそれに向かう、そういうやり方を採ることになります。シンボルに描かれているのは戦争という目的に向かって部族全体が動員されそれぞれの役割を果たすことに懸命になっている様子です。それ自体について悲劇的な解釈は不要ですが、少なくとも山羊1度に見られた「インディアンの酋長」は、戦意を発揚し人を束ねることはいともたやすい手近なもので、それもひょっとしたらほんの些細なことがきっかけで人は動くのだということを知ってしまったのだと推測できるでしょう。そしてなぜ戦争に向かうのか、その目的は自身の権威をより強固に確立するためです。一方で集団の側から見れば、異なる環境に移れば結束が固くなりますが、ある対象に攻勢に出ることでさらなる団結と目的の一致を見ることができます。ここで示されていることは集団の組織運営の技法の発展形態であり、また集団にとってはコンスタントな活動と挑戦的な行動は集団自体を健全に保つための必要な要件であるのだということです。戦争という極端な事例は別としても、集団にとって目的とはいかに重要なものであるかを正しく理解しておきましょう。しかしながらそこにはリーダーの野心が間違いなく存在しそれが大きく働いていることもしっかりと見てとる必要があるのは言うまでもありません。まったくもって不必要なむらっ気や癇癪が表れる傾向が見られるときでもあります。集団は自由気ままに動かせる私物ではないことを心得ましょう。
サビアンシンボルは
山羊座4度「水路の旅のはじまりに大きなカヌーを用意する人々の集団」
このシンボルのキーノート(基調)は
「天然資源を利用する能力および集団の目的を達成するための基礎的技能」
きょうはどんな日?
新しい体験を求めての具体的な行動が現れ、そのうえで理念や理想と集団の目的とを再確認し、場合によってはそのために〈転地〉が必要となるときです。
自身の証明の欲求が高まり、それに純粋に従って生み出される他者との関わりのなかに依存と同時に解放を喜びとして見い出すときというのがきのうでした。権力の行使の〈背後にあるもの〉が見えてくることになる。建設的であれ破壊的であれ新しい経験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動の現れがそこにはあり、そしてまた人間はこの両極をともに通じて成長し理解と見識を獲得するのだという具合でしたが、堂々と人との交わりを求められたでしょうか。きょうはさらに新展開へ進みましょう。
権力の行使のよい面についてもわるい面についても認識を新たにするというのが、きのうまでの前提としてありました。そして両者に共通しているものは、新しい体験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動でした。したがってきょうはそれが現実化へと進み出します。シンボルに描かれているのは旅の支度をする人々の様子です。一般的に私たち日本人が想像するカヌーとは一人あるいは数人乗りのパドルで水をかく小型の船舶がほとんどでしょうが、この語は歴史的には西洋の文明以外で用いられている船を総称するものであり、大きさや操縦方法は問われません。中国南部の湾岸地域や河川などで水上生活を営む蛋民(たんみん)と呼ばれる人々の住居は比較的大型の船ですが、これもカヌーの一種と見なされるものです。多くの場合において世帯単位で居住に使われているものですが、このシンボルでのカヌーをイメージするにはおそらく最適でしょう。世帯あるいはもう少し大きな集団がそのようなカヌーを使って、新しい生活の場を求めて移動するために準備している光景がここに描かれているというわけです。新しい体験を求め、それが現実化する。とりも直さずそれは「あり得べき姿」の具体化への前進の一歩なのです。また、生活の場を移すという行為にはさらに占星術上の象徴的な意味が含まれています。一般に社会集団とは、そのように慣れ親しんだ居住地を離れることによって均質性と共通意志をより強固なものにしていくものです。場所が変わり新しい環境に入れば、集団の結束は否応なしに固くなっていくということは、多くの人々が経験的感覚的に理解できることでしょう。つまりゾディアックにおける山羊というサインは、場所を変え環境を変えるということによって、集団が具体的な行動に集中することに共通意志を与えるのです。まとめる、束ねる、資本化する――そしてものごとを、理念や理想を、具体化するうえでの重要なテクニックがここには示されています。望んで描いているものをかたちにするためにはどうしたらよいのか、そのヒントをつかんでみてください。一方で人に歩調をあわせうまくつきあっていくことがだれに対しても不能となる傾向が見られるときでもあります。自分の我はいったんおきましょう。
山羊座4度「水路の旅のはじまりに大きなカヌーを用意する人々の集団」
このシンボルのキーノート(基調)は
「天然資源を利用する能力および集団の目的を達成するための基礎的技能」
きょうはどんな日?
新しい体験を求めての具体的な行動が現れ、そのうえで理念や理想と集団の目的とを再確認し、場合によってはそのために〈転地〉が必要となるときです。
自身の証明の欲求が高まり、それに純粋に従って生み出される他者との関わりのなかに依存と同時に解放を喜びとして見い出すときというのがきのうでした。権力の行使の〈背後にあるもの〉が見えてくることになる。建設的であれ破壊的であれ新しい経験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動の現れがそこにはあり、そしてまた人間はこの両極をともに通じて成長し理解と見識を獲得するのだという具合でしたが、堂々と人との交わりを求められたでしょうか。きょうはさらに新展開へ進みましょう。
権力の行使のよい面についてもわるい面についても認識を新たにするというのが、きのうまでの前提としてありました。そして両者に共通しているものは、新しい体験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動でした。したがってきょうはそれが現実化へと進み出します。シンボルに描かれているのは旅の支度をする人々の様子です。一般的に私たち日本人が想像するカヌーとは一人あるいは数人乗りのパドルで水をかく小型の船舶がほとんどでしょうが、この語は歴史的には西洋の文明以外で用いられている船を総称するものであり、大きさや操縦方法は問われません。中国南部の湾岸地域や河川などで水上生活を営む蛋民(たんみん)と呼ばれる人々の住居は比較的大型の船ですが、これもカヌーの一種と見なされるものです。多くの場合において世帯単位で居住に使われているものですが、このシンボルでのカヌーをイメージするにはおそらく最適でしょう。世帯あるいはもう少し大きな集団がそのようなカヌーを使って、新しい生活の場を求めて移動するために準備している光景がここに描かれているというわけです。新しい体験を求め、それが現実化する。とりも直さずそれは「あり得べき姿」の具体化への前進の一歩なのです。また、生活の場を移すという行為にはさらに占星術上の象徴的な意味が含まれています。一般に社会集団とは、そのように慣れ親しんだ居住地を離れることによって均質性と共通意志をより強固なものにしていくものです。場所が変わり新しい環境に入れば、集団の結束は否応なしに固くなっていくということは、多くの人々が経験的感覚的に理解できることでしょう。つまりゾディアックにおける山羊というサインは、場所を変え環境を変えるということによって、集団が具体的な行動に集中することに共通意志を与えるのです。まとめる、束ねる、資本化する――そしてものごとを、理念や理想を、具体化するうえでの重要なテクニックがここには示されています。望んで描いているものをかたちにするためにはどうしたらよいのか、そのヒントをつかんでみてください。一方で人に歩調をあわせうまくつきあっていくことがだれに対しても不能となる傾向が見られるときでもあります。自分の我はいったんおきましょう。
サビアンシンボルは
山羊座3度「新しい経験を熱望する人間の魂が肉化を求める」
このシンボルのキーノート(基調)は
「他の生きとし生けるものとの接触の範囲や深度を増大させるあらゆるものへの力強い切望」
きょうはどんな日?
自身の証明の欲求が高まり、それに純粋に従って生み出される他者との関わりのなかに依存と同時に解放を喜びとして見い出すときです。
あらためて権力の行使についてかんがえ、間違いを回避するための方策をしっかりと見い出し確保しておきたいときというのがきのうでした。権力の誤った行使によって引き起こされるきわめて悪しき事態をいかに回避するか、すべきなのかをかんがえる機会が示されている。前日のテーマを引き続きかんがえ発展的な解釈につなげてみようという具合でしたが、修正すべき点は見い出せたでしょうか。きょうは気合いを入れていきましょう。
きのうのシンボルは言わば反面教師のようにとらえられ、そうならないように努力するのだという読み方が可能でした。シンボル自体が悲劇的な様相で否定的な意味あいにあふれている場合にはそのように〈読み換える〉ということもあり得るわけですが、率直にシンボルが描き出しているような悪しき事態が、たとえ戦争という形態ではなくとも姿かたちを変えて起こり得る可能性ももちろん含まれています。すなわち愛と同情が暴力によって破壊されるような事態が生じる可能性です。回避できずにそれが起きてしまったところで悲嘆にくれるのもごく当然のことではありますが、積極的なとらえ方をしてみれば、権力の行使のよい面もわるい面もおとといきのうで一気に出尽くしてしまったような感があるのではないでしょうか。きょうはそういう意味で二つのシンボルの統合へと向かっていくことになります。つまりきょう見えてくるものは権力の行使の〈背後にあるもの〉です。部族に力を求めた酋長はリーダーシップを発揮しみなをよい方向へ導こうという高邁な精神に、あり得べき姿を具体化しようという純化された精神に突き動かされていたはずです。しかしひとたび道を誤れば〈資本〉としてまとめ束ねられた集団の力を破壊的な用途へと浪費してしまうことにもなってしまいます。両者に共通しているものは、建設的であれ破壊的であれ、ともあれ新しい経験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動なのです。そしてまた人間はこの両極をともに通じて成長し理解と見識を獲得するのです。そうした人間の熱い心の発露が、シンボルには端的に描き出されています。たとえきのう悲しい出来事が起きてしまったとしても、もしくはあれこれとかんがえることが多く少し心が湿りがちで行動が鈍りがちだとしても、きょうは一切迷わずためらわず胸を張ってやりたいことをやりましょう。気後れなど微塵も必要ありません。堂々と人との交わりを求めていってください。承認欲求や自己価値の証明欲求をナイーブすぎるぐらいストレートに出していって構いません。その点においてはひたすら貪欲でありましょう。一方でごく単純なやる気のなさや毒気を抜かれたような野心のなさ、自由奔放で気ままなさまが如実に表れる傾向が見られるときでもあります。自分を奮い立たせましょう。
山羊座3度「新しい経験を熱望する人間の魂が肉化を求める」
このシンボルのキーノート(基調)は
「他の生きとし生けるものとの接触の範囲や深度を増大させるあらゆるものへの力強い切望」
きょうはどんな日?
自身の証明の欲求が高まり、それに純粋に従って生み出される他者との関わりのなかに依存と同時に解放を喜びとして見い出すときです。
あらためて権力の行使についてかんがえ、間違いを回避するための方策をしっかりと見い出し確保しておきたいときというのがきのうでした。権力の誤った行使によって引き起こされるきわめて悪しき事態をいかに回避するか、すべきなのかをかんがえる機会が示されている。前日のテーマを引き続きかんがえ発展的な解釈につなげてみようという具合でしたが、修正すべき点は見い出せたでしょうか。きょうは気合いを入れていきましょう。
きのうのシンボルは言わば反面教師のようにとらえられ、そうならないように努力するのだという読み方が可能でした。シンボル自体が悲劇的な様相で否定的な意味あいにあふれている場合にはそのように〈読み換える〉ということもあり得るわけですが、率直にシンボルが描き出しているような悪しき事態が、たとえ戦争という形態ではなくとも姿かたちを変えて起こり得る可能性ももちろん含まれています。すなわち愛と同情が暴力によって破壊されるような事態が生じる可能性です。回避できずにそれが起きてしまったところで悲嘆にくれるのもごく当然のことではありますが、積極的なとらえ方をしてみれば、権力の行使のよい面もわるい面もおとといきのうで一気に出尽くしてしまったような感があるのではないでしょうか。きょうはそういう意味で二つのシンボルの統合へと向かっていくことになります。つまりきょう見えてくるものは権力の行使の〈背後にあるもの〉です。部族に力を求めた酋長はリーダーシップを発揮しみなをよい方向へ導こうという高邁な精神に、あり得べき姿を具体化しようという純化された精神に突き動かされていたはずです。しかしひとたび道を誤れば〈資本〉としてまとめ束ねられた集団の力を破壊的な用途へと浪費してしまうことにもなってしまいます。両者に共通しているものは、建設的であれ破壊的であれ、ともあれ新しい経験を求めようという意識あるいは意志における強い衝動なのです。そしてまた人間はこの両極をともに通じて成長し理解と見識を獲得するのです。そうした人間の熱い心の発露が、シンボルには端的に描き出されています。たとえきのう悲しい出来事が起きてしまったとしても、もしくはあれこれとかんがえることが多く少し心が湿りがちで行動が鈍りがちだとしても、きょうは一切迷わずためらわず胸を張ってやりたいことをやりましょう。気後れなど微塵も必要ありません。堂々と人との交わりを求めていってください。承認欲求や自己価値の証明欲求をナイーブすぎるぐらいストレートに出していって構いません。その点においてはひたすら貪欲でありましょう。一方でごく単純なやる気のなさや毒気を抜かれたような野心のなさ、自由奔放で気ままなさまが如実に表れる傾向が見られるときでもあります。自分を奮い立たせましょう。