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すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

サビアンシンボルは
乙女座14度「貴族的な家系図」

このシンボルのキーノート(基調)は
「個性の先祖的なルーツに対する深い信頼」

きょうはどんな日?
血統的に受け継いだものの分岐や広がりを確認することで、すでに確立された伝統が人間に授けるものはいかに効果的であるかを理解するときです。

突出した人物とその追随者たちとの関係におけるさまざまな出来事において、直接的な介入を行う人間の本当の重みが理解できるときというのがきのうでした。バリバリとパワフルに力を行使する。自分がおのずとそう振る舞う、求められてそうする、あるいは人に対してそう期待する、さまざまな状況があり得るなか、いずれにせよ集団が求める秩序や安定をその集団の人々みんなで実現していこうという具合でしたが、実力行使とはどういうものか目の当たりにできたでしょうか。きょうはいったんクールダウンしてまた自分のほうへと目を向けてみてください。

どのような立場であっても中途半端はやめて徹底的に力強くときのうは提案しましたが、リーダーシップを発揮した側であろうと盛り立てた側であろうと、人間のもつカリスマ的な力というものを強く意識することになったとおもいます。あれができるこれができる、実践的で実用的なスキルをなにかもっている――そういうこととはまるで異なる、まさにその人物の魅力としか言いようがないものがあるのだと気づくことがあったのではないでしょうか。そしてそれは、多分に、こう言ってよければ〈血筋〉によるところが大きいのです。しかしながら、魅力というものはなにもそうした質のものばかりではありません。人それぞれにみな両親や先祖からいただいたものがあり、それは〈個性〉として確実に自分自身を支え、つくりあげ、他人に訴える魅力となっているのです。飛び抜けて血統的に優れた圧倒的な個性に驚嘆する一方で、自分の個性というものも、断じて卑下することなくしっかりと見い出しておきましょう。そしてそれは、けっして自分一人だけでつくりあげたわけではないのだということも同時に理解してください。他人からの影響はもちろんのこと、もって生まれたものもあるはずだからですが、きょうはなにより後者を意識しましょう。そのような、生まれながらにもつ地位や立場や人間としての品性、さらには遺産や相続財産について、大いなる錯覚をする傾向が見られるときでもあります。自分を正しく見つめ、なにを受け継いだのかをしっかり見極め、勘違いのないように注意しましょう。
サビアンシンボルは
乙女座13度「力強い政治家が政治的ヒステリー状態を克服する」

このシンボルのキーノート(基調)は
「秩序への集団の要求に焦点をあわせることと、その要求に対する回答を具体化する人物への構造的な相互依存」

きょうはどんな日?
突出した人物とその追随者たちとの関係におけるさまざまな出来事において、直接的な介入を行う人間の本当の重みが理解できるときです。

自身の選択に即した行動をとり続けることによって自分の正しさを明らかにしようという意志表明が求められるときというのがきのうでした。生きていくということは絶えざる選択の繰り返しであることを意識する。ブレや揺らぎが生じるのは当然だがそれを自覚する。自分のなかに見い出せたさまざまな側面を選択的に育てていくと同時に、今後なにを継続するか、継続することを選択するか、いろいろと検討してみようという具合でしたが、方向は定まってきたでしょうか。きょうはともあれ行動を起こしましょう。

自分自身の内面を掘り下げ掘り起こしていくような作業からいったん離れて、よりいっそう具体的な行動が必要となります。バリバリとパワフルに力を行使する。自分がおのずとそう振る舞うことになるかもしれませんし、そう求められ期待されることになるかもしれません。状況に応じて行動しましょう。あるいは求心力のある人に自分がそう求め期待する側になることもかんがえられます。いずれにせよきょうはキーノートのとおり、集団が求める秩序や安定をその集団の人々みんなで実現していこうという様子です。期待する側にまわればリーダーを盛り立てることも忘れないようにしましょう。馴れあいやベッタリとした関係となってしまうことも大いに予想されますが、ある程度はやむを得ないと見なすしかないでしょう。臆病な行動によってあらゆる機会を喪失してしまう傾向が見られるときでもあります。どのような立場であっても中途半端はやめて、徹底的に力強くいきましょう。
サビアンシンボルは
乙女座12度「結婚式のあと新郎が新婦からヴェールを剥ぎとる」

このシンボルのキーノート(基調)は
「訓練された心の力を透徹しあらわにすること」

きょうはどんな日?
自身の選択に即した行動をとり続けることによって自分の正しさを明らかにしようという意志表明が求められるときです。

生来的な特性や開発された能力、さらには祖先から受け継いだものなどを、自分が理想とする姿へと育むようにかたちにしてきたいときというのがきのうでした。表現の独自性を検証していくなかで、自分自身を分析し理解していったおとといのプロセス。それを経て見い出せた、自分のなかのさまざまな側面を育てていく。その際に他人に対して極端なまでにわかりやすくする方向へと育んでいこうという具合でしたが、差し当たっての方向性は理解できたでしょうか。きょうはオルタナティブな方向性も確認しておきましょう。

分岐する可能性のなかからなにかを選びとる。人間が生きていくということはそうした絶えざる選択の繰り返しであり、そしてそこにはおのずと責任が生じます。ここしばらくのプロセスで見い出せたことを踏まえ、新たに選択を続けることと同時に、これまでの自分の行動や言動を省みてその一貫性を確認しておきましょう。ブレや揺らぎがあることはけっしてわるいことではありません。むしろ、それもまた生きていくうえで当然生じることですが、それについて自覚的になってみてください。選択に際しての意識が変わってくることでしょう。また、きのうとの対比で言えば、今回見い出せた自分のなかのさまざまな側面を選択的に育てていくだけでなく、従来やってきたことを継続していく――あるいは「やむにやまれぬ切実さをもって打ち出した自分の表現」を続けていくということについても検討してみてください。結果とはつねに行動のあとからついてくるものですが、継続してこそ残せる結果というものも確実に存在します。そして、継続を選択することが正しいとは現時点ではだれにもわからないことです。自分のなかの〈確信〉に基づいて選ぶしかありません。きのうと共通していることは、他人にはわからない、自分にしか見えていないことを、だれの目にも明らかなように見えるようにする、ということです。そしてそれを実現するのが意志の力なのです。まったく根拠のない自尊心があらわになったり倫理観の軽視傾向が見られるときでもあります。力の使い方を履き違えないように。見えるようにする部分はそこではありません。
サビアンシンボルは
乙女座11度「母親が自分の赤ん坊のなかに息子への深い憧れがかなえられたのを見る」

このシンボルのキーノート(基調)は
「潜在的可能性の無限の海の外へと、個別化されるようになったものすべての、重大な要求に対する精神の回答」

きょうはどんな日?
生来的な特性や開発された能力、さらには祖先から受け継いだものなどを、自分が理想とする姿へと育むようにかたちにしてきたいときです。

あらゆる知識を正確で効率的な定型表現へと分解し、包括的な理解へといたる能力が期待できるときというのがきのうでした。自分自身の独創性を追求し提示してみせるなかでやり切れていない部分や手をつけていない部分を追いかけてみる。あるいは、まったく未知の領域を掘り起こしていく。そのような発掘と再開発のプロセスを通じて自分なりの独自の表現が本当に独自の域に達しているのかどうかを検証してみようという具合でしたが、正しく分析し理解できたでしょうか。きょうはそうして得られたものを大切に育てていくことをかんがえてみてください。

表現の独自性を検証していくなかで、優れた分析力や理解力を自分自身に向けて、自分自身を対象としてもっと理解する。意図せずしてそういうことが実現できたのでは、とおもいます。やむにやまれぬ切実さをもって打ち出した自分の表現を見直して、見えてきた自分。自分のなかにさまざまな側面が見い出せたでしょう。きょうはそれらを育てていく、というわけですが、すべてをというわけにはいかないでしょう。選択の必要がありますが、もちあわせの再開発であれ新規発掘であれ、それを表現のなかにとり入れて利用するのであれば、他人に対して極端なまでにわかりやすくしてから用いるようにしてください。自分のなかでじゅうぶんにこなれたものにしてから使う。だれの目にも一目瞭然の状態にしてから提示する。そういう方向へと育んでいきましょう。焦ることなどまったく必要ありません。むしろ長期的な展開を視野に入れてかんがえ、必要に迫られたら目標への意志を表明しておきましょう。自分がきのう見つけたものを他人は知りません。すぐにかたちにして見せることができなければ安心させ当座の信頼を得ることもかんがえてください。表面的なことがらや薄っぺらなものに無感覚に順応してしまう傾向が見られるときでもあります。自分自身がその場の安心を得たいからでしょうが、人のこともかんがえましょう。
サビアンシンボルは
乙女座10度「不安を超えて外を見やる二つの頭」

このシンボルのキーノート(基調)は
「二元性の世界に埋没しながらも二元性の超越から生まれた、真の理解の成長」

きょうはどんな日?
あらゆる知識を正確で効率的な定型表現へと分解し、包括的な理解へといたる能力が期待できるときです。

真の自己表現において個人が示さなければならない独創性の重要性を美的かつスピリチュアルな側面で痛感するときというのがおとといきのうでした。自分自身の独創性を追求しそれを提示してみせる。伝統的な表現様式の破壊やそれからの逸脱を目的にするのではなく、自分の表現はこれでしかないというものを、リスクを引き受けながら出していこうという具合でしたが、まずは出して見せられたでしょうか。きょうは結果の検証をしていきましょう。

既存のスタイルに頼らずに自分なりの独自の表現を出す――そうは言えど簡単にできるものではないことは当然でしょう。まずはやってみる、出してみる。表現に、アクションに踏み切ることが肝要ですが、それでいきなりすべてが出し尽くされるというのもまずあり得ないことです。やり切れていない部分をやっていく。手をつけていない部分に手をつける。洗いざらいつぶさに追いかけてみてください。さらにはより踏み込んでもっと積極的な能力開発に着手してみるのもよいでしょう。自分のなかの未知の領域を掘り起こしていく。あるいはこれまでまったく眠らせたままにしておいた自分の技術などがあったらぜひとも磨き直してみてください。本当に本当に自分なりの独自の表現、これでしかないという域に達しているのかどうかを、こうした発掘と再開発のプロセスを通じて見直してみましょう。まだまだ修正の余地があれば改善し、まるっきり使っていなかったものがあればそれらもとり入れるようにして、いっそうの研鑽に努めてください。掘り起こしの程度が激しいからかどうかはさておき自分自身の内面が崩壊的な断片化にいたる傾向が見られるときでもあります。分析力や理解力は正しく使うように心がけましょう。
サビアンシンボルは
乙女座9度「制作中の表現主義の画家」

このシンボルのキーノート(基調)は
「伝統に構わずに、個性化された価値の感覚を表現しようとする衝動」

きょうはどんな日?
きのうに引き続き真の自己表現において個人が示さなければならない独創性の重要性を美的かつスピリチュアルな側面で痛感するときです。

筆者の都合により大変申し訳ありませんが、サビアンシンボル解説およびアドバイスは割愛させていただきます。
あしからずご了承ください。
サビアンシンボルは
乙女座9度「制作中の表現主義の画家」

このシンボルのキーノート(基調)は
「伝統に構わずに、個性化された価値の感覚を表現しようとする衝動」

きょうはどんな日?
真の自己表現において個人が示さなければならない独創性の重要性を美的かつスピリチュアルな側面で痛感するときです。

多様な形態の人間関係に関与するうえで必要とされる自分自身の完成に向けて、伝統的な表現様式を身につけておきたいときというのがきのうでした。利益を得るために、我慢をしながらも、規則的な表現に自分を当てはめていく。そしてそれを自分のものとするよう身につけていくうえで、継続的な努力が可能かどうかをかんがえてみようという具合でしたが、まずは様式の必要性が理解できたでしょうか。きょうは振れ幅大きく、真逆に反転してみましょう。

とはいえ様式を求めない、あるいは破壊に向かうというわけではなく、また伝統的な表現様式からの逸脱を積極的に追求していくというわけでもありません。肝要なことは、冒頭で述べたとおり、自分自身の独創性を追求しそれを提示してみせることです。シンボルに描かれている「表現主義」とは、一般的には20世紀初頭にドイツで興った芸術運動のことです。自然や事物から受けとった感動を表現する印象主義とは異なり自分の内面から湧き立つ感情を作品のなかに反映させていく。その際の必然として伝統的な様式の破壊が生じたのであり、けっして破壊自体が目的というわけではありませんでした。運動をあと追いで評価した場合に注目され特筆される部分が破壊や逸脱であったとしても、表現する側が求めていたことはなによりも独創的な表現であり、〈そのような〉表現でしかあり得なかったのです。そして、極端な表現というものは、人を魅了するどころかはねつける恐れもあるというリスクを引き受けたうえで出さなければなりません。やむにやまれぬ切実さをもって、自分の表現はこれでしかない、このようにしかやりようがないというものを、ぜひとも打ち出してみてください。着想が完璧なまでに混乱をきたし、それが絶え間なく続いていく傾向が見られるときでもあります。みずから意図せずとも逸脱が生じるのであれば、むしろ律することをかんがえましょう。そのせめぎあいのなかにこそ独創性が生じるはずです。
サビアンシンボルは
乙女座8度「五歳の子どもがはじめてのダンスのレッスンを受ける」

このシンボルのキーノート(基調)は
「文化的基準に依拠した情動的な自己表現について、自身の潜在的能力の使用法を学ぶこと」

きょうはどんな日?
多様な形態の人間関係に関与するうえで必要とされる自分自身の完成に向けて、伝統的な表現様式を身につけておきたいときです。

必要としているものを別の局面において再び手に入れる手段として、ある局面においては戦略的に撤退を図っておきたいときというのがきのうでした。〈積極的に待機する〉という鍛錬をやってみる。機会を次に譲ることで成長に期待する。あるいは、作戦を練り準備して待つことで本当に欲しいものを手に入れるようにしてみようという具合でしたが、我慢はできたでしょうか。きょうはまた少し違った方向で我慢してみてください。

おとといの「規則的で周期的な運動」は、楽しみをもたらし心身の調整を図るものであると同時に鍛錬でもありました。きのうはのちのより大きなリターンのためにいま我慢をするということでしたが、両者をあわせてみましょう。利益を得るために、我慢をしながらも、規則的な表現に自分を当てはめていく。形式張っていて窮屈であっても、それが相手にとって最も有効なアプローチで、結果的に自分にメリットをもたらすのであれば、まずそれを受け入れましょう。そしてそれを自分のものとするよう身につけていく。ダンスというものはある一つのリズムに対して無限とも言える様式がかんがえられ、伴奏の音楽の主題もさまざまな変奏が加えられていきますが、それらに応じるためにはまず初期段階で今後継続的な努力をしようという意志を引き出すことが必要です。より大きなリターンのための積極的な待機とはどういうものか、きのうに続いてここでいま一度よくかんがえてみてください。ともあれ、身につけるうえで続けていくことができるか、時間をかけて待っていられるかを吟味するのと同時に、まずは様式の必要性を理解してください。不条理や愚かしい行為を喜んで受けれてしまう傾向が見られるときでもあります。様式が必要でない生き方も存在するはずです。我慢をするべきか否か、見極めは正しくもちましょう。
サビアンシンボルは
乙女座7度「ハーレム」

このシンボルのキーノート(基調)は
「予測のつかない変化や情動的な特質の欲求への(たとえ求められていても)宿命的な従属」

きょうはどんな日?
必要としているものを別の局面において再び手に入れる手段として、ある局面においては戦略的に撤退を図っておきたいときです。

規則的で周期的な運動を通じて心身のエネルギーの扱いを改良し、また楽しみを通じて自己強化を図りたいときというのがきのうでした。できるだけ体を動かして心身の調整を図るようにしよう。自分の状態に応じて、人と一緒に、喜びをもって、体を動かすことを楽しんでみようという具合でしたが、リフレッシュしたとともに鍛えられたでしょうか。きょうは我慢が求められるときです。

成長する、目標に向かう、またそれを達成するというのは、言うまでもなく簡単なことではありません。すでにきのうも言わば「急がばまわれ」のように、いったん心身の調整を図って同時に鍛錬もかねておこうという様相でしたが、きょうはさらに〈積極的に待機する〉という鍛錬をやってみましょう。欲しいものがあってもすぐに入り用でなければ我慢する。二度とあり得ないであろう機会でなければまたの機会を窺うことにする。もしくはみずから次の機会を設定することにして次回に譲ることにする。それまでに自分のなかに変化があるとしたら、対象のほうにも変化が見られるはずです。おたがいの成長のために建設的な見送りを試みてください。あるいは、本当に欲しいものを手に入れるためにはどのようにしたらよいか、作戦を練り準備や仕込みに勤しむのに適したときであるとも言えます。待つこととは虚しく退屈で孤独なものですが、その期間をいかに有益なものとするかは準備次第です。自分が試される期間であるとも言えるでしょう。手に入れたときの喜びを想像して励んでみてください。束の間の易きに走って自分自身を裏切る傾向が見られるときでもあります。楽をしたいから逃げるのではなく、より大きなリターンのために退くようにしましょう。
サビアンシンボルは
乙女座6度「メリーゴーランド」

このシンボルのキーノート(基調)は
「生命のプロセスのダイナミックな強度と、特徴的な自我充足に到達するためのその使用の可能性の最初の体験」

きょうはどんな日?
規則的で周期的な運動を通じて心身のエネルギーの扱いを改良し、また楽しみを通じて自己強化を図りたいときです。

言葉とものとの関係に大変敏感になり、並外れた洞察力をもって事物や人物の背景が把握できるときというのがきのうでした。人には歴史がある、ものにはすべて名前がある、あれがこうであるのには理由がある。そのことがわかってくると同時に、自分自身にも洞察と想像を及ばせることでこの先の見通しを予見することもできるであろうという具合でしたが、よりよい将来を描くことはできたでしょうか。きょうはリフレッシュがてら自分を鍛えてみましょう。

きのうまでの段階で一定の自分の現状認識をすませ、さらには今後の目標に近いものも得られたとおもいます。とはいえ、いきなりそこに向かって一目散にと急くこともありません。きょうはできるだけ体を動かして心身の調整を図りましょう。メリーゴーランドにはさまざまな状態の人が乗っています。両親や保護者に連れられて、馬車のなかに一緒に座っている小さな子ども。おそらくは目がまわるような体験すら生まれてはじめてのことでしょう。少し成長した子どもは一人で馬やその他の動物の背中に乗るようになります。おとなしく動物の背中にまたがるばかりでなく立ち上がって吊り輪につかまる子どももいるでしょう。そして、こうしたいろいろな発達段階の子どもたちとそれを見守る大人たち、みんなが同じメリーゴーランドでともにぐるぐるまわっているわけです。自分の状態に応じて、人と一緒に、喜びをもって、体を動かすことを楽しんでみてください。馬は生命力やリビドー、ひいては霊能的なエネルギーの象徴であることが知られています。円運動と同時に上下運動が伴うことから性的な含意も示されています。そのような楽しみに向かい心身の調整を図るのは大いに結構なことです。鍛えることも忘れないようにしましょう。繰り返しのルーティーンワークなどにも適したときと言えます。自己表現において意味のないものを人から人へと無分別に波及させてしまう傾向が見られるときでもあります。デマの拡散に加担することなどないようにくれぐれも注意してください。