マック J&B blog -21ページ目

WBC観られず

残念!WBCが観られなかった。


テレビが映らないのです。


人里から3時間も山奥に入れば地上波は届かない。


ここで観られるのはNHKの衛星放送の2チャンネルだけ。


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6-7年ぶりに平山夫妻とのスキー。


技術的には完全に追い越されてました。


特にハワイ生まれのジーンが見違えるほどの上達ぶり。

今や、スキー大好き人間に変貌してました。


イメージとして、ホテルでもない、旅館でもない、コテージでもない、

小豆温泉の 花木の宿 (かぼく) は良かった。


宿泊料金は安く、夕食は個室で前菜からデザートまでの中華料理

フルコース。

食材よし、味良し、センス良し、温泉良し、こんな山奥で豪遊した気分。


宇都宮から車で2時間半と遠路だが、絶対にお勧めの宿。


TEL 0241-76-3115


スキーパック

一泊2食付 リフト2日券 800円昼食券 付き

12、750円




今日は忙し

今日は忙しいのです。


朝は早く出発して桧枝岐の手前のスキー場へ行って、ひと滑り。


11時には温泉宿へ行ってキューバ選を観戦。


そして、再びゲレンデへ戻って横浜の平山夫妻と合流。


夜は温泉に浸かってから大宴会??。


温泉&スキーなんて久しぶり、


スキーの後の温泉は格別。


そんなワケで明日22日は休刊になります。

快勝

勝ちました!


それも 6-0と ボコボコに打ちのめして快勝。


PL学園出身の福留の一発は感動的でした。


もう、何日も出なかったモノがドーンと出てすっきりした感じ。

(例えが良くない?)


決勝はやっかいなキューバ。


この試合も見ものですね。


このところ、ペナントレースは単調ですから、久しぶりに

ハイテンションで観戦しました。

韓国に負けるなんて

野球のWBC 韓国に連敗とは情けない。


韓国は国を挙げて、メジャーリーガーを中心に強いチームを

つくって連勝しました。


それに引き換え、日本は松井も城島も出ない。

投手では只一人、大塚だけ。


韓国はチームつくりから応援団まで愛国心が強く出てました。


このところ、オリンピックでもフィギュアーのジュニアーでも

全て韓国に遅れをとってる日本。


そもそも、ペー様だかヨン様だか知らないが、あんなモノに夢中に

なってる日本人が情けない (関係ないか?)


朝鮮人に負けて悔しいと思わなきゃ、日本はアジアのリーダー

失格になりますよ。





雪遊び

子供を連れてスキー場へ行ってきました。


場所は鬼怒川温泉から15kmほど登ったエーデルワイススキー場。


ウイークディーだから空いてるとは思ったけれど、客よりスタッフの

方が多いかと思うほどガラガラ。


最近は寒くて遠い所へは客足が向かず何処のスキー場も苦戦の

ようです。


ここは、初心者・ファミリー向けのスキー場ですが、ゲレンデに入って

みると、子供が自由には遊べないように非常に規制が厳しい。


ゲレンデ内でのソリの使用禁止など。


これでは子供連れで行っても遊ばせることは出来ないでしょう。


    

         リフトもガラガラ



    


遊ぶ道具がないとなれば遊び方を工夫するのが子供。


林の中の深雪に潜ってみたり、斜面をゴロゴロ転がってみたり。


そんな遊ぶ姿を見てると、子供って不思議な動物に見えてきます。

戦後の衣食住

衣食住の”衣”も苦労しました。


貨幣価値がないので、金を出しても”衣”は手に入らない。


食料との物々交換だったら何でも手に入るが、

食料を持たない都会人には手に入れる術がない。


着る物は亡くなった父のモノを直して着るとして、何としても手に

入らなかったのが履物。


そこで、ワラ草履の作り方を教えてもらって自給自足となった。

真冬に素足で草履を履いた冷たさを思い出す。


.

現代のホームレスの方がよっぽど豊かな暮らしをしている。

戦後の食糧難

戦後の食糧不足には参りました。12歳の食い盛りですからね。


当時、戦火を逃れて山奥に逃れていたのですが、農家が食料を

隠して食い物がないのです。


学校から帰ると、バタンと倒れて起きあがれない。


家族が心配して、

「この子、どこか具合が悪いのじゃないの?」って、


具合が悪いのじゃなくて、腹が減って立って居られないのです。


それでも、農繁期には、農家の田植え、草むしり、山仕事、炭焼き

から子守りまで、手伝えば、給金はなくても夕食は白いご飯にあり

つけるので、それだけが楽しみでフラフラ状態で働いたものでした。


食料が不足すると栄養失調から結核などで死亡率が高かった

ようです。


父は42歳、姉は16歳で結核で亡くなりました。


だから、自分も結核で死ぬと信じていたのに、あれから60年余も

生き永らえているのです。


いま考えると、やろうと思っても出来ない貴重な体験をしたものです。



大空襲その後

空襲で丸焼けになって5ヵ月余で終戦。


戦後の衣食住は深刻でしたね。


焼け跡から使えそうな材木を拾ってきてバラックを建てたのだ

が、困ったのは屋根材、

厚手の紙にコールタールを塗って一応、防水効果はあるものの、

少しの風でもめくれてしまうので砂を撒いて重みをつけたのです。


それでも台風にでもなれば雨漏りで、家の中の洗面器・バケツ・

鍋釜まで総動員の始末。


地震も怖かった。柱を押しても揺れるようなバラックだから耐震

偽造なんてレベルじゃない。


それに加えて極端な食糧難。


そんな諸々のことを考えると、よく今まで生き延びたもんだと思い

ますよ。

東京大空襲

3月10日は東京大空襲の日。今から61年前。

我が家は家族に被害はなかったものの布団の一枚も持ち出せず家

工場も全焼、馬車で24時間もかけて足利の奥の飛駒村へ疎開

したのでした。

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以下、記録からの引用です。

昭和20年3月9日22:30分、警戒警報発令、二機のB29が

東京上空に飛来して房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心

した10日00:08分に第一弾が投下された。東部軍管区司令部

はまだ気付いておらず、当然ながら空襲警報も鳴らない。


00:15空襲警報発令、それから約二時間半にわたって波状絨毯

爆撃が行われた。

各機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29の大群が、

房総半島沖合から単機または数機に分散して低高度で東京の下町

に浸入した。


都民の虚をついて来襲したB29の大編隊は、低空からアルミの

細片をばら撒いて日本軍の電波探知機を無能にし、機体を捉えた

サーチライトには機銃掃射を浴びせかけた。


B29の先発部隊が江東区・墨田区・台東区にまたがる40k㎡

の周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民

猛火の中に閉じ込めて退路を断った。


その後から約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾

エレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市

のは超低空のB-29から機銃掃射が浴びせられた。


折から風速30mの強風が吹き荒れて火勢を一層激しいものにし、火の

ような火の粉が舞い踊り、強風に捲かれた炎が川面を舐めるよう

に駆け抜け、直接戦争とは関係の無い一般市民は次第に狭まってくる

火の壁の中を逃げまどいながら、性別も判らないような一塊の炭と化す

まで焼き尽くされた。




本土空襲の指揮を取っていたカーチス・E・ルメイ将軍は、明かに非戦闘

狙ったする批判に対して、戦後の回想記のなかで次の様に述べて

いる。


「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊

していたのだ。

日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、

隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙

でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場にな

っていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」


このカーチス・E・ルメイ将軍は、グアム島在米爆撃隊司令として、

広島・長崎に投下された原子爆弾にも深く係っていた。


昭和39年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との

理由から、カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っ

ている。


時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。





マイルがお得(2)

マイルカードで提携店で買い物やホテル利用すると

マイルポイントが貰えます。

(宇都宮地方では、あまり有効ではないですが)


特に提携のホテルを利用すると、会員特別増額ポイントなど

貰える上に早割りなどを利用すると20%引きなどの特典が

あります。


15000マイルで上海・ソウル・国内だったら何処でも往復無料

になるから利用しないと損でしょう。


4月初旬の札幌をベースにした3泊4日のスキー旅行は、

このマイルサービスを利用して僅かな費用で予定してます。


海外旅行などに行く時には無駄でもいいから、その航空会社の

マイルカードを取得しておくことです。