EXPO OSAKA 1970-1970年大阪万博と日本ー [ (ドキュメンタリー) ]
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万博・博覧会シリーズ①
今年は賛否両論ある「大阪・関西万博2025」が開催される。
いらんカジノ作るための下地作りのための開催と分かっていても「万博」自体は好きなのだ。両親も好きで血統とも言える。
日本で開催された過去5回の万博の内、遠方の「沖縄国際海洋博覧会」以外は行く事ができていた。
万博以外に好景気の'80年代に開催された「地方博」も含めてその思い出を語りたい。完全に歳バレ。
「日本万国博覧会 EXPO’70」1970年
開催時は太陽の塔の周囲に❝屋根❞があった
両親、叔父叔母と一緒に一泊二日で行った。祖母がアルバムに書いてくれていた日付では6月に行ったらしい。
恐らく初めて新幹線に乗って大阪へ。食堂車で何か食べたのだが、乗り物酔いするドルフィンはその後吐いた…。
写真は何枚か残っていたが、家族写真ばかりなのであまり会場の雰囲気を伝えるものは無かった。
大阪万博と言えば最大の目玉はアメリカ館❝月の石❞だ。
これだけは絶対に見たいと2~3時間並んだ。私や母が並んでいる間、父は他に空いている館を見に行っていた。あの長蛇の列でよく並んでいる私たちを見つけられたものだ。
アポロ宇宙船
大人気アメリカ館は人混み。子供の身長では月の石を見る事ができず難儀していると、見知らぬ外国のおじさんが肩車してくれたのだった。はじめて外国人と触れ合った。万博の醍醐味とも言えよう。
月の石
実は❝月の石❞は後に「宇宙博」「大阪花博」「愛・地球博」でも見ることになるのだった。(石自体は別物)
子供としては「フジパン ロボット館」が見たかった。子供雑誌にもロボット館の特集が組まれているくらいだ。「行こう、行こう」と強請ったが結局見られなかった。のだが…。それはまた別の話に。
動く歩道で会場内を移動したり、ソビエト館、松下館、日本館、ガスパビリオン等を見た。サンヨー館の「人間洗濯機」はお姉さんが入るデモ時間ではなかったのは残念だった。
父が買ってきた「ベルギーワッフル」が美味しくておいしくて。もちろん初めて食べた。
夕方になってもうひとつの目的「太陽の塔」に入ることができた。生命の樹は迫力が凄かった。❝腕❞の部分から❝屋根❞に出ると外は暗かった。会場の夜景が綺麗だった。
太陽の塔の裏側にある「お祭り広場」にも巨大ロボット「デメ」と「デク」がいたのだが、確認できなかった。
もう一度見たいなと思いつつ数十年。2018年に改修・再公開された時に「太陽の塔・内部見学」に行けた。(「太陽の塔」内部見学に行って来たよ 芸術は爆発だ 前編 参照)
万博記念100円硬貨
実家戻れば記念切手もあるんだけどな。
初日の晩は万博用の仮設宿舎のようなところに泊まった。部屋は二段ベッド。トイレは施設内男女共同で❝ドア鍵❞が無いのだ! 和式で大使用中に何度もドアを開けられた。子供心にとても恥ずかしかった。
翌日は宿舎から徒歩で会場まで。開場待ちの際にベルギーワッフルを宿舎に忘れてきた事が発覚。美味しかったのでもったいなくて自分一人で取りに戻った。—が、宿舎までの道を覚えておらず引き返した。
戻ってみたら開場待ちしている人が多過ぎて自分の両親の場所が分からない。もう自分ながらアホガキである。「この辺りだったよな」と思う場所に何度か突入してみるが空振り。次第に不安になり泣きそうになった。
その時である。見知らぬおじさんが「ぼくのお父さんたちはそこにいるんじゃない?」と教えて下さったのだ。果たして行ってみるとそこには両親たちがいたのだ。安心して涙が出た。迷子になりかけたのは恥ずかしくて「道が分からなくてお菓子取りに行けなかった」と言って泣いた。
二日目は帰り時間も考慮して午後2時か3時くらいには会場を後にした。
人生初経験あり、他人様の親切にも触れた思い出深い万博になった。