どうもみなさん、評論系の記事はお好きでないようで…
単なる自己満足に過ぎませんなぁ。
もっと楽しく読んでもらえる記事を書くよう努めます。
今後もザ・マシンガンズをどうぞよろしく m(_ _)m
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おはようございます。
今日も早朝から出勤しておりますが、
案外やることもなく、時間をもてあましていますので、
チャンスとばかり記事を書きます。
ニューヨークの帝王。
ルー・リードに与えられた「冠」です。
以前テリーとも話したことですが、
個人的には、歌詞をないがしろにすることは歌への冒とくだと思います。
歌詞にこだわり、賞賛を博し、
悟りの境地に至った彼だから言えることであって、
そこには、彼なりのウィットもあったことでしょう。
全てのロックに通ずることだとは思いません。
しかし、退屈です。
「日曜日なんだ。今日は神さまだって休んでるさぁ」
某コミックでそんなセリフを目にしたことがありますが、
こんな日はのんびり映画でも観ながらゆっくりしたいものです。
そんなわけで、今日は映画のお話。
単なる娯楽に過ぎなかった映画も、
今では立派な芸術の域に達しました。
リアリティを追求して細部にまでこだわる映画監督、
強い主義主張を持った作品も少なくありません。
また、最近では「事実に基づく物語(based on the true story)」を
売り文句にする映画も珍しくありません。
しかし、リアリティを「事実」に求めるのは、
ルール違反ではないでしょうか。
少なくとも、私はそれを映画だとは思いません。
「事実は小説より奇なり」ということばがありますが、
実際の人物、実際のできごとを作り物の世界に取り込んだ時点で、
それらはねじ曲げられ、本来の生々しい感情を失うのです。
果たしてそれはおもしろいのでしょうか。
「事実に基づく」ということは、
必然的に、その「事実」よりおもしろくないということになります。
そこには観る前から、あるいは作る前からして、
先天的な欠陥があるのです。
何ひとつ本当でない世界の中に現実を見ること。
そこに映画のおもしろさがあるのだと思います。
最後に、ある映画監督のことばを。
「夢を実現させる秘訣とは、
不可能なことと前例のないこととの違いを理解すること」
「歌詞なんてさして重要ではない、特にロックンロールの場合はね」 ルー・リード
スグルの文章に関連して「ことば」のお話しを少々。
皆さんは洋画(ビデオ・DVD含め)を観るとき、字幕と吹き替えのどちらを選びますか?
たぶん、7:3くらいの割合で字幕派のひとが多いんじゃないでしょうか?
どうしても吹き替えの場合、「ゴールデン洋画劇場」チックなカンジがするのと、やはり原語で観るほうが高尚なイメージを抱きがちですよね。実際に「お金を払うなら字幕、テレビなら吹き替え」という知り合いもちらほら居ります。
ただ原語のばあい、字幕を追うことに懸命になりすぎて微妙な言葉のニュアンスを聞き逃しがちなことがままあるように見受けられます。
昔読んだ作家のエッセイで、アメリカ留学の際にクロサワ映画を観に行ったら三船敏郎が「うぬら、いったい何者じゃ」というトコロで一言 ‘Who are you?” という字幕が出てズッコケたというハナシがありましたが、確かに間違ってはいないんでしょうがやはり単純に訳せば良いというモンでもなさそうですよね。
もともと日本語では言霊(ことだま)というほど、言語によるアプローチに重きが置かれていました。古文の時間でも習ったように「話す」という単語は、「(弓矢を)放つ」から取られており、自分の魂を相手に投げつけるという意味合いを多分に含んでいるワケですよ。
言い換えれば個人が好き勝手なことばかり言うと絶対にモメるというわけで、「気持ちを量る」とか「目は口ほどにものをいう」、最近やと「空気を読む」という行為、スグルいうところの Nonverval communication が成立したというところですかねえ。
しまった、「吹き替え映画のオモシロさ」について書くつもりがマジメに語ってしまった。というわけでこの続きはまた今度。テリーでした。