ブルーにこんがらがって | ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記)

ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記)

 心にうつりゆく よしなしごと



「歌詞なんてさして重要ではない、特にロックンロールの場合はね」 ルー・リード

スグルの文章に関連して「ことば」のお話しを少々。


皆さんは洋画(ビデオ・DVD含め)を観るとき、字幕と吹き替えのどちらを選びますか?

たぶん、7:3くらいの割合で字幕派のひとが多いんじゃないでしょうか?

どうしても吹き替えの場合、「ゴールデン洋画劇場」チックなカンジがするのと、やはり原語で観るほうが高尚なイメージを抱きがちですよね。実際に「お金を払うなら字幕、テレビなら吹き替え」という知り合いもちらほら居ります。

ただ原語のばあい、字幕を追うことに懸命になりすぎて微妙な言葉のニュアンスを聞き逃しがちなことがままあるように見受けられます。

昔読んだ作家のエッセイで、アメリカ留学の際にクロサワ映画を観に行ったら三船敏郎が「うぬら、いったい何者じゃ」というトコロで一言 ‘Who are you?” という字幕が出てズッコケたというハナシがありましたが、確かに間違ってはいないんでしょうがやはり単純に訳せば良いというモンでもなさそうですよね。

もともと日本語では言霊(ことだま)というほど、言語によるアプローチに重きが置かれていました。古文の時間でも習ったように「話す」という単語は、「(弓矢を)放つ」から取られており、自分の魂を相手に投げつけるという意味合いを多分に含んでいるワケですよ。

言い換えれば個人が好き勝手なことばかり言うと絶対にモメるというわけで、「気持ちを量る」とか「目は口ほどにものをいう」、最近やと「空気を読む」という行為、スグルいうところの Nonverval communication が成立したというところですかねえ。

しまった、「吹き替え映画のオモシロさ」について書くつもりがマジメに語ってしまった。というわけでこの続きはまた今度。テリーでした。