学問のパラドックス | ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記)

ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記)

 心にうつりゆく よしなしごと

今日から大阪府下の私立中学校の入学試験が解禁ということで、

おそらく各校では入試業務に追われていることでしょう。

本校も例にもれず、今日・明日と入試で「それなりに」忙しくしています。


というわけで、今回はお勉強のお話。

ご存知かと思いますが、私の専門は語学です。

どんな学問もそうでしょうが、なかなか「ことば」も奥が深いものです。

さて、みなさん。

私たちは日常のコミュニケーションの際、

どれくらい「ことば」に依存していると思いますか。

まず、コミュニケーションの形態は、

①ことばによる意思の疎通(Verbal Communication)

②ことばを介さない意思の疎通(Nonverbal Communication)

以上のふたつに大きく分けられます。

そして、コミュニケーションにおけるこれらの比率は①:②=3:7、

つまり、圧倒的に<ことばを介さない意思の疎通>の方が多いのです。

手の動き、目線、声の高低・長短、その場の雰囲気。

私たちは、意識的にも無意識的にも、

ことば以外の要素の方を多用しているのです。

最近コミュニケーションの主たる手段として広く活用されているEメール。

一見とても無機質に思われがちですが、案外そうでもないと思います。

たとえば、同じ「わかった」と伝えるのにも、

(a) わかった(-.-+)

(b) わかった(^-^)V

頭の中でイメージする声の調子や受ける印象はまったく違うはずです。

このとき「わかった」という文字(つまり①)からよりも、

顔文字や絵文字(つまり②)からの方が多くの情報が得られるのです。


語学を志す者は、追究すればするほど、

「ことば」の無力さに触れることになるというジレンマに陥ります。

そして、だからこそ、さらなる学習欲に駆られるのです。


知れば知るほど、自分の知識の無さを知る。

この逆説的な構造にこそ学ぶことの魅力があるのでしょう。

最後に、ある科学者が残したというフレーズを。


「科学者とは、

 この世には科学では説明のつかないことがあるのだと、

 誰よりも知っている人間である」