とある任命式に出席しました。
「主任児童委員」
遡ること3か月、「あなたを推薦させてほしい」と校区の校長先生から連絡がありました。
子どもにかかわる役割であることは分かる。
だから、正直戸惑った。
どこの誰よりも子育てに迷走してきている自分だ。
ずっとイライラとモヤモヤを抱えながら、
我が子の成長に一喜一憂している
何でもない母親だ。
自信がないから、
拠り所が欲しいから、
実力もないのに子どもにかかわる活動に参加して、
つながりを求めてきた。
そこで出会ったご縁に助けられ、
支えられ、成長させてもらって、今に至っている。
我が子が元気でいてくれている。
地域食堂も、
ランチ営業も、
そのほかもろもろ関わる活動は全て、
子どもたちが生き生きと育ち、
おとなたちも自分を大切に生きられる世界を守るため。
これは、人の役に立つかもしれないが、
何より自分のためだ。
人の役に立つには、まず自分が元気でいなければならない。
そんな独りよがりともいえる動機で、
もろもろの活動に参加してきた自分がふさわしいかどうか。正直わからない。
民生委員の枠組みの中にあるこの役を引き受けるには、人生経験も十分ではない。
とはいえ、他になり手がいないとのことで、それはそれで残念な状況だと思う。
子どもたちが悩みもがいている様子を毎日みていると、なんとかしたいと思う。
私が子どもだったころも、悩みもがいていたけど、
明らかに違う。
未来への希望が、明らかに小さい。
私たちは大人になったのに、子どもたちに夢を自由に描けさせてあげられていない気がする。
子どもたちはとても大人びて、いろんなことを知っていて、先が読めてしまって、暴れる前に冷めている。
無邪気が程遠い。
これがだめだとは思わないが、
無邪気でいるのはある意味幸せなことだと思うから、
無邪気を取り戻したいって思ってしまう。
子どもたちが求めているかどうかにかかわらず。
今まで自分がしてきた活動を振り返ると、児童委員の役割はそのままあてはまると思える。そして、この役割を引き受けることで、活動にもより責任感や使命感が増すと感じる。
一生懸命やってきたけど、まだまだ十分とはいえない。自己満足の域を出ていない。
ランチ営業に一区切りをつけた理由は、我が子や仲間の子どもたちの夢や希望を守るためでもあった。
今、次のステップに向けて準備を進めている。
「次があるんだ」その未来を創ることができて、私自身ほっとしている。子どもたちも楽しみにして、自分たちにできることをしてくれている。
どうせつまらない世の中だ、夢なんてかなわない、社会は理不尽だ、なんてネガティブな感情を植え付けるのだけは嫌だった!
未来をあきらめないでほしい!
人生、いつだってチャレンジして、変えていけるんだ!
子育てに迷って悩んだ日々から、ただひたむきに進んできた。
これからもそれは変えないつもりだ。
それなら、この役割を引き受けるにふさわしい。
行き届かないことは学び、ここからまた成長しよう。
あたらめて、この役割に出会えたことに感謝して、もろもろの活動に取り組もう。
子どもたちがみんな、自分らしく生き、地域に見守られ、人のつながりの中で幸せをつかんでいけるように。
ただひたむきに取り組もう。