友人の呼びかけで始まった100日の習慣作り活動も、3年経ちました。100日をもう何クールも継続できているのは、何よりグループの皆さんのおかげです。最初は腹筋100回から始まり、腹筋100回できるようになったら、それぞれ自分の目標を立てて、毎日取り組んでいます。私はジョギングや筋トレのほかに、1日1回筆を持つ、っていう目標も追加しています。
この活動ではグループラインで、毎朝メンバーが交代で号令をかけます。「今日は何日目」とカウントして、ちょっとした一言が添えられます。元気がでる言葉だったり、癒しの動画だったり、クイズやなぞなぞなど楽しめることなど、毎朝楽しみです。
先日の号令で「天上天下唯我独尊」という言葉がありました。これを、その日の筆書きの題材にさせてもらいました。
息子が感染性胃腸炎にかかって1週間ほどたったころでした。
夜中に急な嘔吐で始まり、一旦は寝られたものの、明け方にはさらにひどくなって動けなくなってしまいました。布団やシーツの交換や塩素消毒は、自分や他の家族への感染予防もしながら夜中も朝起きてからも、お天気を見ながらの作業となりました。
1日雨模様だったけど、奇跡的に昼間の数時間だけ晴れ間があって、布団やシーツを洗って、消毒して干せたのが本当に助かりました!そして、発症から数日の予定変更に、周囲の方が快く応じてくださったことにも感謝です。
今でも根に持ってることがあって(笑)、以前の上司から言われた「子育てと仕事のどっちが大事なんですか?」っていう言葉が忘れられないんですが、今はそんな言葉が飛んでくることはありません。そんな考えを持つ人は、少なくとも家族・友人・仲間にはいない気がします。これは、ご縁に恵まれているし、私自身も想いを周りに伝えてきたからこそ、今この居場所に行きついたと思います。
他にも根に持っていることはまだあって(笑)でも、もう怒ったり恨んだりするより、どうすればもっと良くなるのかを考えて、できることを少しずつ行動に移す毎日です。ひとつひとつは小さくて、何の役に立っているのか一見わからないようなことでも、やろうとしたことができたら「よくやった」「できた!できた!」と自分に全力でヨシヨシします。するとなんとなくうれしくなって、脳内の恨みつらみが小さくなります。それを毎日続けていたら、少しずつ「うれしい」「楽しい」「ワクワク」が脳内で陣地を広げていって、恨みつらみはだんだん肩身が狭くなっているようです。相変わらず根には持っていますが、そこから伸びている芽は確実に明るいお日様に向かって、はっぱを広げて、枝を伸ばして、花を咲かせて、「きれいだね」「すてきだね」「また見に来るね」「どうやってこの花を咲かせているの」と、花を見にきてくれるようになりました。
だから、今まで起きたネガティブな出来事は、ひとつも無駄じゃなかったと思います。
ひとつだけ変わったことといえば、自分の感情を否定しなくなったことです。感情はまるっと認めてあげて、行動とは切り離す練習をしています。これはまだまだトレーニング中ですが、だいぶましになったなと思います。その結果として、ずいぶん生きやすくなりました。周りの人間関係も変わってきたし、仕事や環境も様変わりしました。変わったことで、副作用的なことも起きていますが、それも落ち着いて受け止めることができています。どのような変化も、自分が選び取ってきたことだと腹の底から思えます。
仕事で大事な局面を迎えた今、このタイミングで、子どもたちが体調を崩して、仕事は一旦ストップすることになりましたが、これも何かの思し召しかもしれません。この日のために準備してきたこと、自分を奮い立たせてきた部分と、仲間ひとりひとりの想いもある中で、今一旦立ち止まることを誰からも責められることはありません。むしろ、家族と自身の健康が一番大事!って!同じ思いでいてくれます。
誰かの役に立つには、まずは自分が元気でいなければ。
「人身受け難し、今すでに受く」
・・・人に生まれることは、極めてまれなことで、容易ではない。しかし、今、私はその機会を得ている。
みんなひとりひとりかけがえのない存在で、ほんとうはどう生きたいかを自分で選んでいいと思う。他の誰かと違うからって、自分を責める必要はないと思います。自分と違う誰かにイラつくことがあっても、それもまた自然な感情です。イラついた自分を否定しないで、どう行動するかを工夫していれば、きっと自分を大切にできるし、周りの人も自分を大切にしてくれるはずです。大切にしてもらったら、うれしいし、感謝の気持ちも湧いてきます。
そんな想いを確認できた今日の日は、子どもたちがくれた貴重なアディショナルタイムになりました。
どうもありがとう。
息子は回復できて、その後発症した娘も比較的軽症で済みそうです。
「この事を今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん」
・・・もしこの現世で救われなければ、一体いつまたこの身を救えるのだろうか?