母の長寿祝いに書きました。
なにか役に立つものを記念に贈ろうかと相談したら、
妹から「書でなにか書いてみるのはどうかな」と。
で、それをもって健康祈願に行って渡すのはどうかな、という
健康管理を心掛ける母にはぴったりだと思いました!
で、早速とりかかり、
なんて書こうかな~
どんな風に書こうかな~
ネットで長寿祝いの色紙とか調べてイメージして。
そのうちに、
小さい頃から見てきた母の様子を次々と思い出して、
自分が母親になってから感じてきたことと、
母が子育て真っ最中の頃に感じていたかもしれないことが、なんとな~く重なる気がしました。勝手に私が重ねているだけで、とんだ思い違いをしている可能性もありますが(笑)
贈るというよりも、
わが身を振り返る書になった気がします(笑)
これをもって御祈祷に行くはずが、
なんと私は約束の日にダブルブッキングを起こしてしまい、
祝われる母から「無理にご祈祷でなくてもいいしな」と助け船を出される始末で、
妹にも貴重な日をあけてもらったのに、
また日程を調整してもらって、
ご祈祷ではなく、欲しいバッグを一緒に買いに行くことになりました。
ようやく決まった約束の前日、
とんでもない事態が発覚しました。
それも二つも!!
よりによって二つも!!!!!
一つは、学校が短縮授業で子どもたちがいつもより早く帰ってくることになった、
もう一つは、その日に入っていた仕事がキャンセルになりそうになった、
買い物は、子どもたちが学校に行ってる間に行く段取りだったし、
仕事があったから、買い物の段取りは私の都合に合わせて考えてもらってたし、
全部狂ってくるではないか・・・
しかし、
考えようによっては、
仕事がなくなったなら早く合流して買い物できるし、
子どもたちが早く帰ってきても十分間に合う。
間に合わなかった場合の準備をしておこう。
一度ミスっているんだから、よく考えて。
「困った時には人に頼る」
最近、よく目にする、耳にするメッセージです。
よし!頼ろう!
ママ友さんが快く協力してくれることになりました。
こうして、
予定通りに買い物に行けました。
母と父と妹と、久しぶりの家族そろってのお出かけでした。
事前準備がぬかりない両親なので、
リサーチして候補のバッグを決めてあって、
一緒に見ながら、
妹や私とも話しながら
バッグは決定♪
使いやすそうだし、
おしゃれだし、
母に良く似合うバッグでした。
その後、せっかく来たしとぶらぶら買い物して、
お昼も一緒に食べることができました。
感染予防もぬかりない両親と妹、
もしかしたらお昼は一緒に食べられないかな・・・
と思ってましたが、
「ここなら安全」と決めている店があるそうで、
そこへ連れて行ってくれました。
そこで、あの書を渡しました。
バッグを贈るし、いらないかもな、
とはいえ書いたものを自分で持っておくものな~と、
フレームに入れて持参。
母は喜んで受け取ってくれました。
持って帰って飾ってくれたようです。
よかったです。
そして、子どもたちが学校から帰るまでに帰宅する事もできました。
これもよかったです。
一緒に住んでいる時は、母はいて当たり前の存在だったし、
小さい頃はなにかと口うるさくしつけられて煙たい存在でもありました。
よそのお母さんがうらやましい時もあったけど、
どこのお母さんより美人でかっこよくて、器用で、
わが子のことを一番大事にしてくれてることはよくわかっていました。
それは、
私がしんどい時に、どう接してくれたかで感じることができました。
別に甘やかしてほしいとか、
言うこと全部きいてほしいとか、
欲しい物全部かってほしいとかではなく、
そのまんま、ここにいていい。
あなたはあなたのままでいい。
それだけは本当に助けられました。
なぜなら私は変わっているから(笑)
今でも変わり者ゆえに、世間の風当たりをまともに受けることもあります。
子育てしていると「あなたはおかしい」とまともに否定されることもあります。
けれども、
母が守ってくれた「安心感」があるので、
くじけず砕かれずに立ち向かっていけています。
それに、
人間一人一人違うし、
令和の時代はますます個々の良さが大切になる時代です。
「令和」は梅の花が咲く様子をたたえる歌に由来します。
于時初春令月 氣淑風和
梅披鏡前之粉 蘭薫珮後香
『万葉集』
書き下し文「初春の令月にして気淑(よ)く風和ぐ。梅は鏡前に粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」
現代語訳「初春の良い日、空気が澄んでいて風は和やか。梅の花は鏡の前で白粉で化粧したように白く、蘭は香(貴族の焚く香料)のように薫っている。」
故安部総理は、「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望と共に、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願い」との言葉を残しておられます。
このことを思うと、
色んな生き方があっていいし、
考え方も、行動も、表現の仕方も
色々あっていい、
それぞれが互いに受け入れ合って、
みんなで心地よく生きられる世界を作っていけたら・・・
と、思います。
マジョリティに合わせて自分を失くしていくのではなく、
マイノリティが手をつなぎ合って世界を作る。
大げさではなく、本気でそう思う今日この頃です。
生きづらさを抱える全ての人が、
心穏やかに過ごせるように、
私はできることを少しずつでもやっていこう。
母は間違いなく応援してくれる。
これからも元気でわが子の悪あがきを楽しんでみていてください(笑)
