
先日、日本講演新聞の編集長水谷もりひとさんのお話を聴かせていただくことができました。
多くの方に取材して、心が震える記事、胸が熱くなる記事、励みになる記事、生きる希望になる記事の数々を書いてこられた経験から、
「何を正しいと思って行動するか」について
「全承認」について
「情報を伝えることとは、報道とは」について
お話してくださいました。
「正義」は誰もがもっている。
でも、その正義は別の見方をすれば正義ではない。
まず、論語に由来するエピソードを紹介されていました。お腹を空かせた子どもに、父親が柿の木から柿を取って食べさせた、その後の話です。
柿の木の持ち主が柿の実が減っていることに気づき、父子の家に来て、盗んだのではないかと責めます。
父子が認めないので、持ち主は役人に訴えました。
役人が来て、父親に疑いをかけます。
父親は子どものことを思い、認めませんでした。
すると役人は、今度は子どもに「お前の父は柿を盗んでお前に食べさせたのではないか」と聞いたのです。
子どもは「父は盗んでいない」と答えました。
さて、この子どもは「嘘つき」でしょうか、「正直者」でしょうか。
もう一つ、元検察官で元弁護士でありながら受刑者となった田中森一氏へ取材したお話も。
田中森一氏は検察官時代、「特捜のエース」として数々の汚職事件を担当した方です。ただ、彼が持つ正義感が事件への対応で自身を苦しめることになります。
ある収賄事件で取調べ中に、容疑者に「真実を話すが2人だけで話したい」と懇願されました。事務官も同席すると規則で定められているので、聞き入れれば規則違反です。ただ、「真実を話せば生きていけない。命を絶ちます。」とまで言われ、嘘ではないと察した森一氏は規則を犯し、2人だけで話をすることを認めたのです。
容疑者の男は妻子ある人物でしたが、実は同性愛者で、受け取った賄賂をそのパートナーへ渡していた、それが真実でした。当時は世間の同性愛者への理解は乏しく、これが明るみになれば、自身だけでなく家族やパートナーも苦しむことになる、、、悩んだ末に森一氏は嘘の調書を作りました。同性愛ではなく、男女の不倫関係だったことに。
父子の話も森一氏の話も、正義について問いかけてきます。
「なにが正しいか」ではなく、
「なにが間違っているか」ではなく、
「何を正しいと思って生きるのか」。
父子の話を娘と息子にしてみました。
娘は「正直者」と答え、
息子は「嘘つき」と答えました。
何故そう思うか聞きました(^^)
息子は「盗んだのに盗んでないと嘘を言っている」と言い、娘は「そんな柿一個とったくらいで文句言うなんてひどい」と言いました(^^)
二人はお互いの考えを聞いて、あ〜確かにそうやなぁと。
なんなら柿一個といわず、要るだけ食べていいよって
言ってあげてもいいよね!
でも、くれるからって何個も何個も持っていかれると、それはそれで嫌よね(笑)
ほんと難しい。でも、きっとこうやって思いを馳せながら人と接していければ、争わずに済むことは多いのかもしれないな。
「全承認」という話は、作家であり、少年刑務所で絵本を通して社会性を育てる講師として活動されていた寮美千子氏の著書からのお話でした。
「あふれでたのはやさしさだった」
「おおかみのこがはしってきて」
この2つの著書に共通しているのは、
「認める」ということの大切さです。
罪を犯して受刑している少年達と過ごしていると、
認められ、受け入れられた経験が少ない中育ってきた背景が見えてくると言います。
人の温かい心、感情が分からず、
人を傷つけても何も感じない。
それに対して、
「おおかみのこがはしってきて」に登場するオオカミの子は、次々になぜ、どうして?と尋ね続けても、お父さんおおかみがずっと答え続けてくれます。全て受け入れてくれる存在です。
「正義」の話もそうですが、
この世の中を温かく生きやすい世の中にするには、
お互いに承認し合う心が大切なんだな、
と感じました。
できるなら「全承認」、全て認める。
ただ、これは0か100かの話ではなく、
49:51の法則が関わってくるかも、と補足されていました。
心理学で、49:51の法則というのがあるんだそうです。
何かを決めるとき、私達は心の奥でせめぎ合いがあって、ほんと少しだけ競り勝った方で決断しているんだと。
だから、「全承認」だからといって、
肩肘張って
全力全開100%をかけて承認できなくてもいい。
ほんの少し思いを寄せて、
2%だけ認める気持ちが上回らせることができれば、
結果として、
もう立派な「全承認」なのかもしれない!
完璧な人なんていない。
自分もそう。
だけど、そんな自分でもどんな人でも、
みんなで認め合うことができたら楽になる。
苦しみが少しでも減る。
そして、最後に「情報、報道」について。
情報は「情けを報じる」
報道は、柔道や空手道のように「報じる道」ともいえる。
情報は人の情けを無視するようなことはあってはならないと。伝えられる側を傷つけるような伝え方は良いのだろうかと。
やはり報じる側、発信する立場の者として、
その道を外すようなことのないように律していくことが大事なんじゃないかと。
これもまた、
「全承認」に通ずるものがある気がします。
ネット社会で、私も含めて誰でも気軽に情報発信ができるようになりました。
自分がどういう伝え方をしているのか、
よく考えなければ。
とても大切なことを学ばせていただきました。
本当にありがとうございます。
日本講演新聞のホームページはコチラです
↓↓↓