一年は早いようで、遠く昔にも感じるようで、不思議です。
ごくごく身近な親族のみで法要。
おじいちゃんのお誕生日会に集まるいつものメンバーです。
おばあちゃんがずっと心に決めていた通り、ちょうど一年の命日にお仏壇を置き、みんなが集まるその日に入仏法要。
集まった全員が、去年抱えていた苦難や悩みを乗り越え、今は新しい時間を過ごしいます。去年はほんとうに大変な一年でした。おばあちゃんの言うように「おじいちゃんが全部抱えてもっていってくれた」のかもしれません。
ひとくせもふたくせもあるおじいちゃんは、その分みんなの心に残って沢山のエピソードで楽しませてくれてます。長く連れ添ったおばあちゃんは、時々現実を受け止められないときがあるそうです。おばあちゃんにしか分からない色んな思いが、そうさせるんだろうなと想像します。
家族は一緒にいて当たり前、でも当たり前ではなかった。当たり前ではなくなった。
もう一つ当たり前ではなくなる話、我が家はまだ子どもたちが幼いですが、甥と姪はティーンエイジャーも過ぎようというお年頃。親と関わる時間はどんどんなくなり、ちょっとたまには外食でもと誘っても「あ、大丈夫です」と断られ、旅行でも行くかと話すと「ちょっと待ってね」とスケジュールを調べられ、ほんとに寂しいもんだと、パパとママが話しておられて。
あー、ほんとにそうなっちゃうんだなー。
思い知らされる瞬間的でした。
甥も姪もまだ幼い頃に、私は嫁いで出会ったので、その頃パパやママに甘える姿も、一緒にトランプやゲームで遊んだり家族旅行に行ったりする姿もよく見ていました。穏やかなご夫婦で、子どもたちもとっても穏やかで、いつまでも友達みたいな親子なのかなと思っていたけどー、
いつからかどこからかそうではなくなっていくんですね。
親子一緒に遊んだり、でかけたり、甘えられたり、おやつを食べたりするのって、人生のほんとにほんの短い期間だな。貴重だなー。産まれて子育て始まってから急に当たり前になったけど、じきに当たり前ではなくなるんだな。
離れても静かに見守るパパとママの姿を、よく覚えていよう。自分もそうやって両親に見守られてきたんだろうなぁ。