そう言えば書こうと思って書いてませんでした‼️
なんで転職したん❔シリーズです。
細かくは書けない部分もあるかもと思いつつ、本音メインで。笑 なんせ私の備忘録がアメブロやし、誰かの役に立つことができるかもしれないのはありがたい🙏
📗転職シリーズを貼り付けます❗️
※随時更新
さてさて、何故新卒からずっと同じ組織にいるかというところから始めます。
2009年に某外資系に入りました。
内定をもらったのが2008年3月。私の頭の中はネジが飛んでる人やなと改めて思うのですが、
・就職活動が早く終わる
・自分を素でみてくれてる
(面接が会話で流れていって、とても波長が合うと思いました。
他を受けてる時、業界的にか昔ながらの企業では学校名言うと圧迫面接で鼻で笑われたのに、外資が次最終ですと言ったら無言で面接終わったこともあり、アレはなんなんだろうと思ったという。笑めっちゃ怖いーー。まじで行ってたら病んでたと思う笑)
これが入社した企業の決め手でした。
2008年4月からは大手機関の面接ラッシュ。
書類が通ってたのに受けずでした。後は、今思うとアレはリクルーターやった❔という面接もあったりでしたが、外資最終なんですと話すと大学のOBとして、外資に行ったほうがよいと思うと話してくれました。
いや、今思うとさ、某ブロック長で学生囲い込みとかやらなあかんお方が、母校の実績的に自分の仕事で誘導ではなく、外資に行ったほうがってめっちゃ心広い…と、その方のお言葉を胸に刻んで入社を決意した物です。⊂((・x・))⊃
そんな外資への新卒入社前、サブプライムからのリーマンショックで、母校でも内定切りが出た、衝撃のマーケットと自分の選択。
あ、やっちゃったかなぁと思いつつ、薄い手紙が内定先から来た時は親父が内定切り通知だと思って部屋で見て来、と察してくれたという。
(実はクリスマス🎄カードで大爆笑で終わりました✋)
そんなネタ満載の外資時代は営業でなんとか耐え、いろいろありましたが結婚もあり東京のオープンポジションを探し上京。企画系の仕事やマーケティングっぽいことも地味にしたり、残業代でsurface買ったプロジェクトも経験しました。笑
外資ではなくなり買われた組として、
ペーペーだったからか数年は影響がなかったのです。優秀な先輩方がこぞって外資に転職され、残された身として何しよう❔元新卒というバリューで行くか。
そんな感じでしばらく来てしまいました。
そしてやはり外資切りは最後の手で行われるのでした。
私のバリューって、何だろう❔
ここにしがみつくことが果たしてバリューなのかな❔
ふと、上司は守ってくれないよ、と尊敬するお辞めになった先輩の言葉が頭をよぎりました。
そうだ、みんな自分を守ることで精一杯なはず。
自分で自分を守るしかない。
バリューを再認識したく、転職活動をしてみようとなりました。
※実はバリュー再認識の前にちらっと転職活動したことがあり、この話は番外編で書こうと思います。
これはこれで、面接での暖かさとか、エージェントの闇❔をみた気がして。笑笑
🔽続きです。
🔽このお値段だと試したくなります」。
どんな感じなんだろう❔(・∀・)