町田ロッテと野球散策 -16ページ目

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

昨日まで京都にいたため、今日が仕事始めです。

仕事初日は、会社の上司や同僚とリアルで顔を合わせようと思い、出社しました。

ここ数年で、「出社」という行為自体に少し特別なものを感じるようになりました。これまでは仕事と言えば「出社」に決まっていました。しかしコロナ禍以降、我が社も在宅勤務というものが導入され、当初は月に2度か3度しか会社に行かなくなったものでした。そして昨年、コロナも5類になり、世の中も段々と平常モードになりました。私たちも出社する日を増やし始めました。ただ私の仕事柄、基本的には「どこで働いてもよい」ということになり、出社するか家で仕事をするかの自由度は比較的高かったりします。


それが、案外悩ましいです。


家で仕事というのはたしかに楽なのですが、なかなか集中できないものです。そして面倒でも出社すれば、同僚や上司とのコミュニケーションがその場で済み、話も早いのです。メールとか会議ツールとかですと、どうしても円滑なコミュニケーションというところまで行かないものです。GAFAのような企業でも、一定の割合での出社を強制しようとするのもわからなくはないです。


今年は、どんな働き方をしようか。

毎日出社でもいいのですが、それはそれで、もしかしたら「旧弊」なのかもしれません。

なかなか難しいのですが、ITを駆使してリアルと寸分たがわぬコミュニケーションと成果を出せれば、良いのでしょう。


今年は、在宅と出社のハイブリッドをもっと上手にこなしていきたいと思います。



なお今日のご飯は四半世紀ぶりの御茶ノ水「カレー屋ジョニー」でした。

おお、出社してこそのグルメでは、あります。

久々に高速道路の渋滞にがっつりはまってしまいました。御殿場の、新東名と東名が合わさるところで、全く動かなくなってしまいました。鮎沢あたりで車6台が絡む事故で車線を一つ塞いだとのことでした。「通過に30分」と書いてあったものの、1時間以上渋滞が続き、かつ我が子がトイレに行きたいと言い始め…


仕方がないので、御殿場で降りてひたすら渋谷まで246。案外、空いていました。


晩御飯もサービスエリアではなく、伊勢原市の幸楽苑になりました。おお、幸楽苑も久しぶりでした。


旅は何が起こるかわからないものです。なかなか予定通りに行かないのが普通であると考えた方がいいのでしょう。


東名の事故に悪態をつきたくは、なりました。しかし事故といえば、2日に起きた羽田空港の航空機事故のほうが大変だったのは間違いなく、それと比較するのもどうかというくらいのものだと思います。

今回ばかりは「ついてない」という言葉を飲み込まざるを得ませんでした。

元旦は、映画の日でもあります。

いつもより安く映画を観られる日なので、今年もイオンシネマ幕張新都心です。

元旦から仮面ライダーの新作を観て、帰り道でそのロケ地の前を通った年もあります。

元旦から三国志を観て「今年は原作を読破してみよう!」と意気込みながらも松の内を明けた頃にはもう忘れていた年もあります。


今年は『屋根裏のラジャー』。全く予備知識はなく、ただ単に我が子が「観たい」というから観に来たというものでした。


凄く良かったです!

(公開中の映画につき、ストーリーには一切触れません)

妻だけでなく我が子も泣いていました。映画に感情移入する我が子を見たのは初めてだったので、驚きました。こうやって成長していくのですね。

一方で、アンパンマンは卒業してしまっています。ついこの前までは楽しんで観ていたのに。

数年後は寅さんあたりを観ているかもしれません。
 

小学2年、書き初めに臨みます。昨年に続き、2度目。
筆は熊野筆。
硯は甲州・雨畑硯。

8年前に「命名」した時のものをそのまま使わせています。

我が子、型にはまらぬ自由な筆跡を残します。そして意表を突く、余白。
字の大きさという固定観念を打ち破る、署名。

習字を習わせているわけでもないので、好きなように書いてもらえればいいのかな、と思います。字の巧拙よりも、書に臨む姿勢を体験してくれればよいと思います。

久しぶりに初日の出を見ました。
ここは鴨川の漁港です。
今年はいい年に、するぞ。


と、思った矢先の16時台。車のフルセグでお正月バラエティーを観ていた時に突然の地震速報。この日書こうとしていたことが全部吹っ飛んでしまいました。
ただただ、我々は地震多発国に住んでいるということを実感しました。元旦だろうがなんだろうが、地震は来ます。
あれだけ切迫したアナウンスをするNHKを初めて見ました。このような事態を想定して普段から準備をしていたと思います。「テレビなんてなくても死なない」と思っていて昨年は意識的にテレビから距離を取っていた私でしたが、さすがにインフラとしてのテレビ報道の大切さを感じることとなりました。

とんでもない一月一日となりましたが、2024年が始まりました。

今年もよろしくお願いします。