2011年の日大三高のスターたち | 町田ロッテと野球散策

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いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

10月は戦力外通告の季節です。ヤクルトの次に戦力外通告の報道が出たのは阪神だったと記憶していますが、そこに髙山俊の名前を見たとき、「髙山が!?」という意外な思いと「やはりか…」という気持ちでした。そして、やはり2015年のドラフトで髙山をドラフト1位で引き当てたつもりになって渾身のガッツポーズを繰り出したあのおじさんも思い出しました。真中が逃がした魚、8年で戦力外になるとは。

 

そして今日、楽天の横尾も戦力外となりました。たしかに今年、彼を見ませんでした。

 

プロ野球なので、衰えて結果を出せなくなったらクビになるのは仕方がありません。ただ、髙山と横尾に関しては、2015年のドラフトより前の、2011年の甲子園を思い出すのです。実はこの年、私は甲子園で彼らを観ています。

この年の日大三高、監督は言わずもがな小倉全由さんです。主将の畔上翔、エース吉永健太朗、そして横尾、髙山。一つの学校でこれほど多くの選手が注目されるのもすごいと思って見ていました。

私が観たのは8月16日の準々決勝でした。初戦の習志野戦を観た後に1試合挟み、その次の如水館対能代商業の大熱戦(ものすごい延長戦で、最後にさわやかに力尽きた能代商の保坂投手が実に印象的でした)の後に観たのが、智辯和歌山対日大三高でした。日大三高、見事に智辯和歌山に勝ちました。そしてその日大三高は、決勝で田村と北條の光星学院を破り、優勝したのです。

 

これ、そんなに昔のことだとは思わなかったのですが…。

 

小倉監督の方針で、彼ら4人はいずれもその時にプロへはいかず、大学へ進学しました。畔上は法政、吉永は早稲田、髙山は明治、横尾は慶應(たぶん合っていると思います)。その後髙山と横尾はそれぞれ阪神と日本ハムに指名され、畔上と吉永は社会人に進みました。

 

これも、そんなに昔のことだとは思わなかったのですが…。

 

これで現役は(現時点では)、Honda鈴鹿の畔上だけでしょうか。

吉永は引退し、JRの職員をしつつ母校もたまに訪れ、今年の日大三高のエース安田虎汰郎の指導なども行っていたそうです(U-18W杯の解説を担当した小倉氏談)。

髙山と横尾は、どうなるでしょうか。

 

ああ、時が経つのは早いものです。