突然、書き始めます。もう何度もこんなことをしているような気がします。
そもそも書くことは自由だというスタンスでいけば、とりあえず気にしなくてもよさそうですので続けます。
今週は、風のマリンで始まりました。オリンピック閉会式(観ていません)の翌日のことでした。エキシビジョンマッチを観るべくマリンスタジアムのバス停で降りてから、コントのような風に見舞われました。冗談抜きに、前に進めませんでした。そしてやっとのことで球場に入ってみたら、目を疑うような風速表示を見ることになりました。
コンコースの売店でご飯を買っている最中に、この試合の中止を知りました。自身、強風による中止を食らったのは初めてでした。
実はこの前の日のエキシビジョンマッチも、我が家は観に行きました。オリンピックがあったため中断していたプロ野球を久々に観たのでした。やはり、現地で観る野球は結果はどうあれ、素晴らしいです。スポーツを堪能できる喜びを感じました。週末には公式戦も再開し、雨に見舞われたものの13日、14日のオリックス戦もマリンで観ました。藤原選手の勝ち越しホームランが眼前に飛び込むさまに驚嘆したものです。
さて、オリンピックです。日本は空前のメダルラッシュだったようです。コロナ禍で自宅観戦を強いられた中で、大いに沸いたものです。かくいう私は、オリンピックの開会式と閉会式については「観るものか」と思い全く観なかったのですが、競技については実は、観てしまいました。やはりスポーツの魅力に惹かれてしまったものです。たしかに日本人選手がたくさんメダルを取ったのは喜ばしいことですが、その後、新聞でとある記事を読んでから、行き過ぎた「メダル至上主義」に嫌悪感を持ったのも事実です。メダルは、たしかにアスリートの努力の賜物であります。ただ、国策としてメダルが期待される競技について強化費を傾斜配分していたとしたら、どうでしょう。もうそれだけで、メダルはそこまでしてまで取りに行くものだろうかと思ってしまうものです。スポーツとは、そういうものなのでしょうか。古代オリンピックにおいても権勢を誇示した部分はあったかもしれませんし、敗者がそれこそ生物的に抹殺されることもあったかもしれません。しかし、スポーツの本義として結果が先行してしまうのは私としてはかなり違うような気がしてしまいます。もちろん、私が30年以上見続けたプロ野球についても球団は優勝が経営のミッションではあります。もちろん、優勝というゴールがあるからこそ我々は熱心に見続ける部分はあります。それは否定しません。ただ言いたいことはもう一つあります。
それだけではないだろう、と。
勝たなくても、勝てなくても、スポーツをする、体を動かす、全力を尽くす…という行為自体を大切にしていけないものでしょうか。そう思ったものです。
こと、少年野球を目指そうとしている5歳児が我が家にいるからそう思うのかもしれません。「狂喜の宴」のあとに、考えてみました。