博物館網走監獄 | 町田ロッテと野球散策

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

 釧路帯広遠征(というか旅行!)の時の話に戻りますが、北海道初日は・・・なんと網走まで行っていました。人生で一度も行ったことがなかった道東エリアなので、ついつい欲張っていろいろ巡ってしまいます。

 ・・・実に甘かったです。

 

 大迫さん風に「半端ねぇって!」と言ってしまいたくなるほど、広いのです。我々が机上や牛乳のパッケージで北海道の地図を見る限り、わかるのは形くらいだと思っておいたほうがいいということを痛感します。その脳内で描く縮尺は、99%間違っています。

 したがって新千歳空港に着いたその日は網走で刑務所見ようぜ、と計画して道東道を東へ進み足寄(あしょろ=メジャーリーグ解説でお馴染みの三井浩二氏の町ねとしか連想できないあたりが野球バカ)あたりで「え!?ここから一般道なの!?」とうろたえ、さらにナビの言う通りに道を選ぶわけですが、網走到着時にはすでに16時前。いやぁ、遠かった・・・

 なお網走に着く直前に飛行場を発見します。そうか、ふつうは女満別空港を使うのか、と気づきます。

 

 ついに来ました、番外地。

 いや、実はここに監獄があったわけではなのですが。

 

 網走刑務所は実際に存在し、かつて恐れられた網走監獄も本当にあったのです。ただ刑務所の改築が必要となった1983年、当時の建物を文化財的な観点で保存しようという考えもあって、この博物館が開館しております。

 

 入館します。意外にも、WAONが使えました(笑)。網走の地で決済端末が甲高く「わぉん♪」と吠えます。

 

 さて、面会でもしようか。ここで所持物の中に剃刀の刃なんかが発見されたら、さっきWAONで買った入場券が片道切符と化しそうです。

 入口右手に守衛が立哨しています。そこでいきなりビビりますが、人形でした。その後、数多くのリアルな人形にビビることになります。

 

 こちらが旧網走監獄の庁舎。1912年・・・明治の建築です。(なお1912年は明治天皇が崩御した明治45年)

 ここで網走監獄の歴史を知ります。よく知られているように、実に厳しい「網走送り」。ただそれは、「蝦夷地」と言われた北海道の開拓と発展の歴史に大いに関わります。行刑として行われた道作りなどで北海道は急速に「人が生活できる地」となり、今では北海道日本ハムファイターズが本拠地を置くまでになったのです(歴史飛びすぎですが)。ただ、「刑死」が多かったのも事実。社会問題になったそうです。

 

 え、来てたの!?(笑)

 ・・・これ、「ゆく年くる年」の後に始まるアレですよね?

 

 ちょっとした「ユルさ」を感じつつ、閉館まで残りわずかとなった時間でもって「どうしても見たい」エリアを中心に見学します。

 

 いきなり独居房。窓がなく煉瓦で囲まれた「離れ」。相当恐れられたそうです。

 

 お風呂。ちなみに浴槽は深く、座ってお湯を堪能するなんてことはできないようです。そして当然のことながら、看守に見られ続けます。

 

 「本丸」と言ってしまっては観光気分丸出しでしょうか。

 「ザ・網走」とも言える舎房。入り口から半円を描くように、長い建物が5つの方向に放射状に伸びます。

 

 おお・・・。

 

 ここで、当時の獄舎の様子を知ることができます。吉村昭『破獄』において脱走を繰り返した主人公も収監されていたことがある、とのこと(『破獄』は小説なのでフィクションですが、そのモデルとして吉村が題材とした囚人がいたということだと思います)。

 

 我が息子、喜んで収監されます。そして外からカギを締めると、数秒で泣きました(笑)。

 「悪いことしたらこうなる」を手っ取り早く教育できたかと思います(笑)。

 

 うんうん、想像通り。

 

 たまに人形がいて(かつ柳葉敏郎そっくりで)びっくりさせられます。

 

 舎房を見た後に、主に模範囚がいたという「二見ヶ岡刑務支所」というところへ行きます。ここは比較的開放的で、農作業、調理などを通しての自給自足的な矯正を行っていたとのことです。

 

 なおここの食堂で、囚人と一緒に「監獄食」を食べることができるそうですが・・・何せ到着が夕方だったので営業終了でした。次はもうちょっと早い時間に来たいものです。

 

 閉館時間に「出所」(笑)。なお出たところに売店があり、「網走記念にでも」と思ったのですが・・・こちらは閉館1時間前にクローズ・・・残念。

 

(入る前に撮りました)

 これ、気になっていたんですけどねぇ。