
まさかマリンで偉業を成し遂げられるとは思いませんでした。初めて規定打席に到達したのは30歳のシーズンだったらしいです。その遅咲きの和田一浩、ついに、2000本安打を達成しました。
交流戦を振り返る時、やはりこのシーンを抜きにしてはいけないのかなと思ってしまいます。
メモリアル映像で、打たれた植松が頻繁に登場してしまいます( ̄□ ̄;)!!
◇◆◇
随分前の話です。
まだ若い和田が活躍した試合でした。試合を終えた狭山丘陵ではこんな喚きかたをするファンがいました。
「和田グッズないの!?和田グッズないの!?マジか~」
…本当になかったのです。たぶん、作成すらされていませんでした。当時は伊東勤が正捕手として君臨し、和田はあくまで控え捕手。当時のライオンズはあまりにも「日本一捕手・伊東勤」の壁が厚く、有望な若手は捕手として入団するもすぐさまコンバートされていました。高木大成もそうでしたし、垣内哲也もそうでした。
「和田絶対に活躍するってば!」
…本当にその通りになりました。
和田も外野に回り、そこから立派なキャリアを積み上げました。そう、マリンで咄嗟に思い出したのはかなり昔の所沢でのあの光景でした。
語弊があってもこう締めてしまいたくなるのは人間が浅はかなのかもしれませんが、本人は隠そうとせずむしろアピールせんばかりなのでこう締めましょう(本人も「オープンにいきましょう」的なことはどこかで言っていました)。
いつまでも輝け、和田一浩!
にほんブログ村