母をなくし、居候したのは東京都田無市(現・西東京市)の伯父夫婦の家でした。わずか数か月しかいませんでしたが、その年の日本シリーズはとても印象的でした。
伯父の次男、つまり従兄弟にあたる子が、熱狂的な阪神ファン。プロ野球チップスのカードでゲイルやら佐野やら吉竹やらが出ると(吉竹、あったかな?)・・・没収されます(笑)。日々西武柳沢駅前の売店で日刊スポーツを買いに行くのは私の仕事でした。
その年、セ・リーグでは阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝。パ・リーグは私が当時ファンだった西武ライオンズが制します。吉田義男の阪神、広岡達朗の西武が日本シリーズを戦います。
今でも調べることなく思い出せるこの年の日本シリーズ、4勝2敗で阪神が日本一。当時の阪神は3割バッターが多く名を連ね、バース・掛布・岡田のクリーンナップは強烈でした。あの西武がこんな負け方をするとは・・・
日本シリーズが終わった直後、我が家は阿佐ヶ谷に移り、居候生活は終わります。
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なおこの時わずか2か月通ったのが「田無市立柳沢小学校」(現・西東京市立)。最近の『週刊ベースボール』の広告で、久々のその名を目にして驚きました。字は小さかったのですが・・・
井口資仁選手の略歴!!
井口くん、クラスこそ違えど同じ小学校、同じ学年だったのか・・・。この年の9月1日の朝礼で転校生として全校生徒の前で挨拶した私、そこで実は井口くんに会っていたようです。知らんかった・・・。
なおその7年後、井口くんと私は再びニアミスを起こします。その話はまた後日。