麻雀とバイトに明け暮れていました。その年の元旦は年が明けて3時間くらい経ったときに「国士無双」を振り込んで(「西」を斬っての親役満だったのは未だに鮮明に覚えています・・・)、これはいかんと武蔵野線で南越谷まで出てから向かった先は、佐野厄除け大師。帰宅してから「東武線使うんだったら、西新井大師のほうが近いじゃん」と気づきました。そんなさんざんな1997年でした。
随分、昔です。随分、かかったものです。今や私は四十路手前のおじさんです。
広島東洋カープ、16年ぶりのAクラス!
おめでとうございます!
◆◇◆
1997年を振り返ってみました。この本の表紙のとおり、日本一となったのは野村克也率いるヤクルトスワローズ。先日引退を表明した石井一久がいの一番にベンチから飛び出て高津臣吾・古田敦也のバッテリーに駆け寄っています。当時24歳の石井、この年はノーヒットノーランも達成しています。ちなみにスワローズが日本シリーズで下したのが、くしくも今石井が所属する西武ライオンズ。時の監督・東尾修はまさか石田純一が義理の息子になるとは思っていなかったであろう1997年。
なおこの年のカープは66勝69敗の3位。監督は故・三村敏之でした。まさかその後15シーズン、Bクラスを低迷し続けるとは思っていなかったでしょう。
【当時のベストメンバー】
1(遊)野村謙二郎31歳
2(中)緒方孝市29歳
3(右)前田智徳26歳!
4(三)江藤智27歳
5(左)金本知憲29歳
6(一)ロペス33歳
7(二)正田耕三35歳
8(捕)西山秀二30歳
9(投)
※澤崎俊和が新人王、42歳大野豊が最優秀防御率!
大野が現役だったのか・・・。そして今も現役なのは前田智徳のみ。当時の一番打者・野村謙二郎は16年後、監督としてAクラス!
この年がどれだけ昔であるか。ルーキーたちがそうそうたるものでした。
・今岡誠(阪神)
・小笠原道大(日本ハム)
・黒田博樹(広島)
・岩村明憲(ヤクルト)
・清水将海(ロッテ)
そして・・・
・井口忠仁(ダイエー)
・松中信彦(ダイエー)
おお、16年って、長い。ポストシーズンのカープの戦い、本当に楽しみです。
◆◇◆
帰宅したとき、札幌ドームはもう8回裏でした。最寄駅で初めてケータイ開いて「( ̄□ ̄;)・・・」となってしまったのですが、5点返して7-10になっていたのはちょっとびっくりしました。うーん、でもさすがに打たれすぎました。
ただ、ここまで楽天の優勝をこれまで遅らせてきたのは・・・1997年に57勝76敗2分の最下位だったマリーンズなのです。翌年には18連敗を記録する近藤政権において、小坂誠の新人王のみが明るい材料でした。
そのマリーンズも、強くなりました。まだまだ最後まで、熱い戦いを見せてくれることでしょう。
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